« コスモスは来年も咲くが・・・ | トップページ | 街角・古代史「歴史と方位」のアイデア »

2018年9月23日 (日)

前方後円墳の墳丘規模(岸本直文さん)

南朝尺について,こんな論文が検索で見つかりました。
「大阪市立大学大学院文学科研究紀要」の岸本直文さんの論文で
「前方後円墳の墳丘規模」というものです。

前方後円墳の墳丘規模

http://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/DB00011102.pdf#search=%27%E5%8D%97%E6%9C%9D%E5%B0%BA+%E5%AE%9F%E7%94%A8%E4%BE%8B%27

岸本さんは,いろいろな古墳を調査して.
前方後円墳では「23・24・25・35.5cm」という
4つの尺度が使われていた.と考えているようです。

35.5cmだけ飛んでいて,それが気になりはするものの,
私の経験(36cmは,尺の歴史的推移からを存在を失う論)からいうとアウトで,
やはり23~25cmあたりになるのかなあ,と思っているところです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※ 志賀島の金印の大きさ「2.31cm」は,当時の1寸だったようだ。
今私たちは1寸を「約3cm」と考えるのに比べて,かなり短い。
そして,大さっばに言うと,歴史が後代になるにつれて,その長さは長くなる傾向にある。
なので,その途中の時代は,中間の長さになるのが自然であると考える。

※ ただし,里という単位には例外があり,いったん古い時代の「短里」に戻すという
特別な時代もある。何と短里と長里では,6倍もちがうのだ。
これが「邪馬台国」論争の1つの原因にもなっている。

« コスモスは来年も咲くが・・・ | トップページ | 街角・古代史「歴史と方位」のアイデア »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« コスモスは来年も咲くが・・・ | トップページ | 街角・古代史「歴史と方位」のアイデア »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ