府中熊野神社の祭神と末社の神様
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>「八●比古」と「八●比女」だ。
●のところには,行にん篇に「曜」のつくりの部分みたいのを中に入れている。
なんて読むのかなあ。
この石碑の碑文の名前の文字の所をもっと大きくしてくれれば、詳しい漢和辞典で字を特定できますよ。
そした●●(地名)比古と●●比女の組み合わせは、土地の神を表わすもの。
古墳の主の祖先神であると思われます。
投稿: 川瀬 | 2018年9月12日 (水) 12:41
肥さんへ
よくわかりませんが、
八衢比古・八衢比女(やちまたひこ・やちまたひめ)ではないでしょうか?
》古代伝承上の神。
集落や道の要所にすわり,邪神・悪霊の侵入をふせぐ。伊奘諾尊(いざなぎのみこと)が檍原(あわきがはら)で禊(みそぎ)をしたときに生まれた道俣神(ちまたのかみ)は,この両神をさしているともいう。
投稿: sanmao | 2018年9月12日 (水) 13:31