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2018年9月14日 (金)

筑後国の「条里制の図」から・・・

山田さんが興味深い資料をメール添付で送って下さった。
筑後国の「条里制の図」である。
なので,それをもとに一話書いてみたい。

 

193

 

実は,この図は『海路№12号』(海鳥社)に載っているもので,私もかつて持っていた。
ところが当時は方位よりも古代官道について関心が向いていたので,
また,多元的古代の考えが取り入れられてもいなかったので,引越しの際捨ててしまった。
(山田さん,ありがとうございます!)

 

今回改めてこの図を見ると,いくつもコメントしたくなることが出ている。(東偏・僕なもので)
※ 条里制については,ONライン以前なので,
当然九州王朝が取り入れ,大和王朝が引き継いだと考える。

 

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(1) 九州王朝のお膝元に「5・10・15・20度」というバラエティーに富んだ方位が散りばめられている。
これであと「25度」が入っていたら,ロイヤルストレートフラッシュ(ポーカーの強い並び方)みたいだ。

 

(2) それにしても,5度ずつなんて,なんか臭ってくるなあ。

 

(3) もしかして,中国の南朝の5度の洛陽~25度の建康と関係あるかも!

 

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そして,これと関連して,「当時はどんな分度器」を使っていたか」という変なことを考えてみた。
「おいおい,古代の分度器なんか発掘されていないぞ!」なんて言わないで,ちょっと話を聞いてほしい。

 

私たちは現代に生きているので,1度が最小目盛りの分度器を使っている。
この1度をめぐって喧嘩にもなる。
では,当時の人たちは何度の角度まで「目盛り」として気にしていたかということである。
「もしかしたら,1度ではなく5度かもしれないぞ」というのが私のアイデアである。
(1~2度の違いは肉眼では気が付きにくいが,5度以上になると「明らかに違う」と思える)

 

最もよく出てくる「東偏5度」というのが最初の目盛りで,
端数のやつは●と●●の間ということもあるのではないか。
みなさん,どう思いますか?

 

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正方位(±0)

 

3度・・・「0」と最初の目盛りの「5」の間 

 

5度【洛陽の方位の傾き】

 

8度・・・8度と10度の間

 

10度

 

15度

 

20度

 

25度【建康の方位の傾き】

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

健康には気をつけるので,もうしばらく「東偏・僕」でいさせて下さいね。(o^-^o)

 

PS 山田さんには,特製ざぶとんを20枚差し上げたいと思いました。(笑)

 

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分度器の歴史など

 

http://office-frt.com/955

 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥様

本名でなくて失礼いたします。

今回の5度の件ですが、その当時に分度器があったとは思えませんが、
七十二候が頭をかすめました。
1年は約365日。72で割ると約5日。
1円は360度。72で割ると5度。
1周を72で割るという概念があったかはわかりませんが、どうでしょうか?

 条里制で方位が異なること。
 正方位の場合は、太陽の影などを使って真北を測定して測量したものだとおもう。
 では東偏や西偏のものはどうなのか?
 条里制は田を同じ面積で区画するということとともに、条理区画に沿って水路を張り巡らしたということではないでしょうか。
 となると水路を引くには、その土地の高低を考えなければいけない。
 当然基準となるのは、川が発する山地と、水路が流れ込む川の位置だ。
 条里制が敷かれた各地で、正方位以外に、さまざまな角度の東偏・西偏があるのは、水路を掘る基準となる山や川の位置が、そのような角度に条里制を敷くしかなかったということを意味するのではないでしょうか。
 5度・10度・15度・20度と、まるで規則的に作ったかに見えますが、それは結果ではないでしょうか。
 中国の都城で、漢魏洛陽城が東偏5度を軸にしたのは、たままた天を祀る円丘を置く丘陵と、地を祀る方形壇をつくる丘陵の位置が、都から見てその位置にしかなかったから。そして南朝の建康城が東偏25度の軸で都城が作られたのも、この二つの祭祀を行う場所の自然地形が原因だった。
 これと同じなのではないでしょうか。
 数字に意味や思想は無いと思います。正方位以外は。

 少し資料が古いですが、私と同様の意見の地理学者がいました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chirikagaku/3/0/3_KJ00003718549/_pdf/-char/ja
 「地理学」1964 年 3 巻 p. 177-189 。
 水野 時二著「条里制の方位」

追伸
 掲載された筑後の条里制の図。
 同じ筑後でこれだけ違う角度で条里制が施行されていたということは、これは水路を引くための山と川の位置という、私の考えを支えるものだと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  条里制は田を同じ面積で区画するということとともに、条理区画に沿って水路を張り巡らしたということではないでしょうか。
 となると水路を引くには、その土地の高低を考えなければいけない。
 当然基準となるのは、川が発する山地と、水路が流れ込む川の位置だ。
 条里制が敷かれた各地で、正方位以外に、さまざまな角度の東偏・西偏があるのは、水路を掘る基準となる山や川の位置が、そのような角度に条里制を敷くしかなかったということを意味するのではないでしょうか。
 5度・10度・15度・20度と、まるで規則的に作ったかに見えますが、それは結果ではないでしょうか。
 中国の都城で、漢魏洛陽城が東偏5度を軸にしたのは、たままた天を祀る円丘を置く丘陵と、地を祀る方形壇をつくる丘陵の位置が、都から見てその位置にしかなかったから。そして南朝の建康城が東偏25度の軸で都城が作られたのも、この二つの祭祀を行う場所の自然地形が原因だった。
 これと同じなのではないでしょうか。
 数字に意味や思想は無いと思います。正方位以外は。

なるほど。それを頭に入れて,今後条里制を考えてみます。
埼玉県の場合,正方位が葯半分を占めていました。

通りすがりの素人さんへ
コメントありがとうございます。

360÷72=5
なるほど,答えは5になりますね。

肥沼さんへ

>埼玉県の場合,正方位が葯半分を占めていました。
 これは興味深い。
 府中付近は正方位ですね。これは南に東西の多摩川が流れ、この多摩川に向かってわずかの緩やかな傾斜の立川崖線段丘面が広がっているので、正方位で条里制を施行しやすかったからでしょう。
 その段丘面の下の河の氾濫原も同じ傾斜でしょうから。
 では他の正方位の場所と、そうでない場所は?
 調べてみると面白いと思います。

追伸:あと筑後の条理遺構が5度刻みになっていること。「分度器が5度刻みだった」かは別にして、測量上あまりに細かい数字は面倒なので、0・5・10・15・20と5度刻みで測量した可能性はあります。

追伸2:寺や国府など。東偏・正方位には政治思想を感じます。しかしその東偏角度については、その寺院や官衙の立地でいろいろな角度になるのではないでしょうか。多くの建物を建てるための一定の広さの平地が必要ですし、その平地の平坦さの程度も問題です。わずかでも敷地が傾斜していれば、寺院のように一定の伽藍配置という設計モデルがありますので、これに合わせるために、地面を削ったり盛り土をしたりと、さまざまな基礎工事が必要です。こうした工事がなるべく煩雑にならないように寺地を決め、伽藍の方位を決めた可能性があります。官衙の場合も一定のモデルがありそうなので同様な理由を想定できます。
 それと今日お話ししたように、伽藍の復元は大変な作業です。残っているのは柱穴や礎石や礎石据え付けのための根石や、さらに基壇のための掘りこみ地業に溝。それらも経年変化で崩れているでしょうし石など動いている。しかも尺が時代によって変化するから、一定の尺で伽藍を復元することもできない。このため伽藍の大部分の遺構が残っていれば別ですが、一部しか残っていないとか、一部しか掘れないという事情では、伽藍の復元はどうしても不正確に。復元した人の主観もはいりますので。だから基本プランとして東偏5度で作られても、遺構からの復元では東西に何度かズレル可能性は大だと思います。
 ということで、伽藍や官衙遺構では、軸の角度は「おおむね●度」で良いのではないでしょうか。1~2度の違いは無視して切り捨てにする。
 じゃあ、3度?と言われそうですが。これは切り上げで。
 案外5度刻みで考えると、全体設計プランを復元するには有効かもしれません。そして当時も設計するのに細かい数字ではなくて5度刻みだと設計しやすいのかも。
 「5度刻みの分度器」の使用ではなく、「5度刻み」だと設計がしやすいという合理的思考と考えてみたらいかがでしょうか。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 >埼玉県の場合,正方位が葯半分を占めていました。
 これは興味深い。

30遺跡のうち,正方位17,東偏4.西偏6.不明3でした。

〉  案外5度刻みで考えると、全体設計プランを復元するには有効かもしれません。そして当時も設計するのに細かい数字ではなくて5度刻みだと設計しやすいのかも。
 「5度刻みの分度器」の使用ではなく、「5度刻み」だと設計がしやすいという合理的思考と考えてみたらいかがでしょうか。

はい,頭に入れておきたいと思います。

 私の地元には条里制(三十六の字名)の名残があり20度東に傾いています。
北東方向(鬼門)には部木原古墳群、南西方向(裏鬼門)には戸原王塚古墳があり、
都城制に基づいて造られたものと思われます。東偏の参考になりますか?

ひきがえるさんへ
コメントありがとうございます。

私たちが想定している「東偏」は,5世紀中頃~6世紀後半です。
〈方位の考古学〉によれば,九州の年代は100年ズラされて書かれているので,
6世紀中頃~7世紀後半となります。
ご指摘の「東偏」はその範囲になっていますか?

 コメントありがとうございます。
「部木原古墳群の1号墳は墳長23m、高さ2mの周溝・周堤をもった前方後方墳で、墳形から4世紀の古墳と考えられている。」と文化財情報検索に載せてありました。
戸原王塚古墳は「古墳時代前期の全長48mの前方後円古墳。 周溝の痕跡」とホームページにありましたので、3世紀 後期 ~ 4世紀 後期頃と思われます。どちらも6~7世紀でははありません。

ひきがえるさんへ
コメントありがとうございます。

どうも「東偏」より前の時代のようですね。
東偏は倭の五王の南朝に対する「忖度(そんたく)」みたいなもので,
まだその段階ではなかったのでしょう。

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