『南相馬に躍動する古代の郡役所~泉官衙遺跡』入手
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肥沼さんへ
この遺跡の年代比定はおかしいと思います。理由は
Ⅰ期の遺構は(Ⅱ期も)、東西南北の各塀に一体化した殿舎が設けられている。これはとても古い形式のもので、こんなものが7世紀後半から8世紀初頭とは思えない。
久米官衙の政庁もこの形式で、ここでは7世紀前半の年代が付けられていました。
7世紀後半から8世紀初頭のたとえば大和国の宮殿や官衙遺構では、Ⅲ期のように、塀と殿舎とは別に作られる形式に変わっている。
したがってこの年代比定は、1世紀後ろに動かされている。
つまり
Ⅰ期は6世紀後半から7世紀初
Ⅱ期は7世紀初頭から後半
Ⅲ期は7世紀後半から8世紀後半。
こう考えると、東偏から正方位にかわったのは九州王朝が東偏から正方位に変えたそのときという、私たちの推定とほぼ同じになります。
この本をじっくり読んで、なぜこのような年代比定がされたのか、その根拠を確認してください。おそらく出土土器を基本にしていると思います。
投稿: 川瀬 | 2018年9月30日 (日) 12:09
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 この遺跡の年代比定はおかしいと思います。理由は
〉 したがってこの年代比定は、1世紀後ろに動かされている。
そう言っていただけると,1600円+税+電車賃で買ってきた甲斐があるというものです。(笑)
〉 この本をじっくり読んで、なぜこのような年代比定がされたのか、その根拠を確認してください。おそらく出土土器を基本にしていると思います。
その出土土器なのですが,Ⅰ期の政庁とペアになると思われる「花葉文」という植物文が寺院跡と思われる場所から大量に出土していて,続く単弁より古いと考えられているそうです。(素弁にあたる?)
それを別項で写真入りで紹介しますね。
投稿: 肥さん | 2018年9月30日 (日) 17:30