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2018年9月22日 (土)

奈良県(大和国)の中の「東偏」官衙

昨日の「東偏」寺院に続いて,本日は「東偏」官衙である。
全部で38件のうち,「東偏」が見出せたのは11件であった。(寺院より割合が高い)
見やすいように,地図に記入してみた。

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寺院と同じように,南部に集まっている。
それがどうしてかは,あとで考えることにする。

次に,われわれの研究を助けてくれる「変遷」が載っているものを4つ紹介する。
いい仕事してくれてますなあ。

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最初「東偏」だったのが,ある時期に「正方位」にされているのがわかると思う。
そこには,政治的な意思が必ず働いているはずだ。
特に,右側のものは,最後に一棟だけ「正方位」の建物が残り象徴的だ。
では,もう一枚。

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左側のものは上と同じで,東偏が正方位に変わって行ったもの。
それに対して右側は,東偏のものしか載っていない。
東偏のままだったのか,それとも焼き払われたのか,それとも・・・。
想像が果てしなく広がっていく。

「歴史は,地上のものだけ見ていたのでは,本当のことはわからない。
考古学の力を借りて,見えない地下のことも知って,初めて本当の歴史を知ることができる」と思った。

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コメント

肥沼さんへ

 提示された遺構の一つの「香山正倉」。遺構変遷図がどこかで見たなと思ったら、古代寺院の所で出てきた「木之本廃寺」の物と同じでした。
 ネット検索で「木之本廃寺」とやったら、これは吉備池廃寺と同じ瓦が出ていたので昔から古代寺院と考えられていたが、寺院遺構が全く出てこないことと、藤原京から平城京に遷都した後もこの地に「香山正倉」という施設が残されていたことが文献でわかるので、今日では古代寺院ではなくて「正倉」という官衙遺構であるとされています。
 したがって古代寺院の中で考察した「木之本廃寺」はなくなります。
 ただ遺構図でわかるように、7世紀代の正方位の遺構の下にさらに東偏の遺構がいくつもみられるので、藤原京が作られる前から、ここに東偏で官衙遺構があったことはたしかです。

 以上気になっていたことの探査報告です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 したがって古代寺院の中で考察した「木之本廃寺」はなくなります。

失礼しました。また,ありがとうございました。
m●m

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