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2018年9月19日 (水)

『太宰府は日本の首都だった』掲載のC14検査

川瀬からご所望の上記の検査のところを,
とりあえず写真で載せてみます。
後日,コピーを差し上げますね。

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Dscn3513_2

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山田さんのご指摘を受けて,表示方法を変えてみました。
「画面を本文に合わせる」という方法で,瓦の素弁・単弁・複弁の時に使ったものです。
★★★画面をクリックしても拡大しませんが,左手と右手の二本の指で開くと,
ビヨーンと拡大して読みやすくなるのではないでしょうか。★★★

それでも見えないというのであれば,コピーをお送りします。
川瀬さんにはすでに送らせていただきました。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ
貴重な資料の掘り出し、お疲れさまでした。世の為になる掘り出しでしたね。

肥さんはかなり高価なものや手に入れにくい資料をお持ちですので、カメラではなくSurfaceで撮影して掲載して頂くと、かなり大きく拡大表示できるので、コピーを配付してもらわなくても、参加できる方が増えるのではないでしょうか(現在の画像は、クリックしてもほとんど大きさが変わりません)。

なお、データ量が多くなりますので、ブログの契約容量を充分にご考慮いただいた上でご検討ください。肥さんは充分な容量のご契約だとは思いますが(2ブログ開設できる契約だから)。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

ご指摘を受けて,表示方法を変えてみました。
「画面を本文に合わせる」という方法で,
瓦の素弁・単弁・複弁の時に使ったものです。
★★★画面をクリックしても拡大しませんが,
左手と右手の二本の指で開くと,
ビヨーンと拡大して読みやすくなるのではないでしょうか。★★★
それでも見えないというのであれば,コピーをお送りします。
川瀬さんにはすでに送らせていただきました。

肥さんへ

画素数の少ない画像は、拡大してもボヤけるばかりです。先の「八衢」もそうでした(この場合は屋外でしたので他に手のないケースでしたが)。

同じ画像なら画素数=解像度です。

読者の参加を期待するならば、という想定での話です。どうしてもという話ではありません。気にしないでください。

肥沼さんへ
>★★★画面をクリックしても拡大しませんが,左手と右手の二本の指で開くと,
ビヨーンと拡大して読みやすくなるのではないでしょうか。★★★

 この記述の意味がわかりません。
 画像が荒いので保存してから拡大しても読めませんよ。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 ビヨーンと拡大しては「タッチパネル」が使える場合,
二本の指で拡大できますよ,ということでした。
それもできないとなると,後は「工場・地図記号」のマークで
拡大するという手がありました。
今使っているパソコンでは,画面の右上に,
①家(ホーム)マーク②黒星★③機械の歯車みたいの)が3つ並んでいるのですが,
それをクリックすると拡大というのが入っていて,
50%~400%で自在に画面を変化させることができます)
それもできないとなると方法が思いつきませんので,
コピーが届くのをもう少しお待ち下さい。

肥沼さんへ
>今使っているパソコンでは,画面の右上に,
①家(ホーム)マーク②黒星★③機械の歯車みたいの)が3つ並んでいるのですが,
それをクリックすると拡大というのが入っていて,
50%~400%で自在に画面を変化させることができます)

 こんな方法もあるのですね。やっと読めました。
 前から気になっていたのですが、この本に掲載されたデータは古いですね。「○○○年±○○年」という表示は、昔の放射性炭素測定の結果。このやり方だと、どの時代も大気中に含まれる放射性炭素14の量は一定であるとの仮定に基づいたもの。だから試料の中の放射性炭素14の量を測って、基準となる1950年の放射性炭素14の量と比べてみて、およそ何年前の物とデータをだす。たとえば「1450年±45年」というように。
 そして基準年1950年から1450年を引いて「AD500年±45年」と。
 でもその後大気中の放射性炭素14の量は、その時の紫外線の量、つまり太陽活動の活発さによっても左右されるので、単純には比べられない。その上、1950年前後は活発な核実験の影響でかなり放射性炭素14の量が変動しているので、この分も補正しなければいけない。そこで今では、年代が分っているものの中に含まれる放射性炭素14の量を測って、この大量なデータと参照して、歴史年代を出すようになっているのだそうです。
 だから福原長者原遺跡の場合では、
 掘立柱建物1の柱穴1(P1)の柱痕跡から見つかった炭化物の測定データは、
 14C 年代が1200±30だから、1950から引いて、750年±30年とするのではなくて、
 lAD720-740,770-890、という幅のある年代が表示されています。
 複数の年代幅が出てくるのは、比較対象とした資料からのデータがまだまだ不安定だからだそうな。
 放射性炭素年代測定法も日々進化しているし、まだまだ未開発な方法。

 そしてもう一つ注意しなければいかないこと。
 それは何を測定したのかということ。
 つまり先ほどの福原長者原遺跡の掘立柱建物1の柱穴1(P1)の場合だと、「柱痕跡から見つかった炭化物」としか報告書にはなく、柱穴の中の堆積地層が詳しく掘り出されているはずですが、その中の「柱痕跡」と判断した地層から出てきた炭化物だということ。要するに、柱穴の中で腐った柱の一部が炭化物として出てきたと発掘者は判断したわけだ。
 だが本当にそう判断して良いのかということ。
 報告書のこの柱穴の図を確認すると(P21)柱痕跡が上から見ると長楕円状を呈しているのです。つまり柱を横にゆすって穴から抜き出した痕跡だと思う。
 となると柱痕跡の中の「黒褐色の粘質土」が腐った柱の跡だとは判断できなくなるのです。つまり柱を抜いた後に堆積した土だと。
 ということはここから出てきた炭化物の年代は、柱の伐採年代ではなくて、この建物が不要となって解体され、柱を抜かれたあとに混入した何かの年代になるのです。

 こう判断できれば、この掘立柱建物の年代は8世紀初から中ごろという「科学判定は覆り」、この建物が解体されたのがこのころという判断になるのです。
 
 そしてこの判断は、この遺跡から出てきた土器編年での年代が7世紀末から8世紀初という判定ととても整合性が出てきます。
 遺跡に残っている土器というのは、しばしば誤って判断されますが、この建物群を作った年代を示すのではなく、破棄された年代を示すものだからです。

 科学判定は万能ではありません。
 やはり科学判定にかける資料がどのような状況から出たものか確認して、それがなんであるかを確認しないと使えないということです。

 「太宰府は日本の首都だった」に掲載された、この放射性炭素14による年代判定は、かなり古いものなので最新のデータで更新する必要がありますし、使った資料が何であるかが詳しく書いてないので、本当に土器などによる相対編年と放射性炭素年代測定がどの程度異なるかの判断材料としては不十分だと思います。

追伸
 この資料の中には、太宰府の遺跡の放射性炭素での年代測定データが載っていません。
 私が知りたかったのは、全国の遺跡とのそれではなくて、太宰府の年代が、一期政庁が7世紀末だというその年代観を覆すような科学判定が出ているのかどうかだったのです。
 もしこれを記した部分があったら、ご教示ください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  「太宰府は日本の首都だった」に掲載された、この放射性炭素14による年代判定は、かなり古いものなので最新のデータで更新する必要がありますし、使った資料が何であるかが詳しく書いてないので、本当に土器などによる相対編年と放射性炭素年代測定がどの程度異なるかの判断材料としては不十分だと思います。

この本が出版されたのは,2000年のことです。(18年前)
そして,測定値の出典は,『考古学と実年代』埋蔵文化財研究会,1996年です。(22年前)
私の記憶では,「ようやく若手の研究者たちが,科学的な数値を出すようになった」と
古田さんが講演会の中で言っていたのを覚えています。
なので,その後さらに測定値の進歩があると信じたいです。


川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 追伸
 この資料の中には、太宰府の遺跡の放射性炭素での年代測定データが載っていません。
 私が知りたかったのは、全国の遺跡とのそれではなくて、太宰府の年代が、一期政庁が7世紀末だというその年代観を覆すような科学判定が出ているのかどうかだったのです。
 もしこれを記した部分があったら、ご教示ください。

この『太宰府は日本の首都だった』は,「他の遺跡では,けっこうC14測定が行われているのに,なぜ太宰府ではやらないんだ!」と問いただす書だと思いますが…。
だから,当然「太宰府の数値」は出ていない訳です。

肥沼さんへ
 
 コピー。たった今届きました。
 九州は従来の年代推定と放射性炭素年代のずれが大きいとありましたが、最初の火葬墓の年代はそれほど大きな変化はなく、年代と大きなずれがあるのは「炭化材」ですね。数百年も違う。
 何が炭化したかがわからないのですが、「炭」の場合はそれこそ炭にするまでの木材の乾燥期間を考慮すれば古い年代もわかるが、「神田中村遺跡」の紀元前950年は理解不能です。
 沈目遺跡の住居跡木片で考えると、二つの年代判定法の年代差は、およそ100年程度ではないでしょうか。たぶん古墳時代の始まりの、近畿と九州の始まりの差に起因しているものと思われます。
 一つ一つ精査しないといけないでしょうね。報告書にあたって。
 それにしても「±」が100年近い数字では、正確な年代判定とは言えないと思います。歴史で100年近くずれたら一時代ずれてしまう。

 最新の測定値で、土器などによる相対年代と放射性炭素の年代のずれを見比べてみたいものです。
 福原長者原遺跡の報告書でやってみることにしましょう。

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