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2018年9月 9日 (日)

山王廃寺もやはり「東偏5度」だった・・・と言いたいものです

群馬県の山王廃寺は,塔心礎のデザインと根巻石や石製のし尾で有名で,
しかも山上碑にも「放光寺」とも呼ばれたとあり,
法起寺式で白鳳瓦も出土している。
「この寺は絶対九州王朝系でしょ!」と当初から思っていた。
しかし,思ってばかりいてもしょうがないので,証拠を探さねば…。

Dscn3397

Aが図面で,ご親切に塔・金堂・講堂などと書いてあったりするものだから,
ついついその辺りを探してしまう。

最初に気になったのは,寺に向かう参道と思しき道。なんか「東偏5度」っぽい。
続いて区画溝で「東偏5度」になっていそうなものはないか。
あった!図の中央部に何本かのそれらしい溝が,垂直に交わっている・・・。

そして,その流れで探して行ったら,3か所に礎石抜き取り作業の途中みたいなものを見つけた。
(赤の破線の中に,いろいろな形をした礎石の穴が見えるだろうか)
この礎石抜き取り作業が途中でやめになったかは.私たちの仮説によれば,
「東偏5度」で作られた寺院や宮殿や都市。
それらの1つとして,山王廃寺は「東偏5度」で建てられていた。
しかし,隋に対抗して正方位に切り替える途中で,
隋の後出てきた唐と対立することになり,
白村江の戦いをきっかけに滅亡。
ということは,この「作業の途中」には歴史的背景があったのだと思う。

皆さん,この推理でいかがでしょうか。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 図をもっとよく見て。
 礎石抜き取り穴に見えたものは「植栽」だと思う。
 奈良文化財研究所のデータベースで原本を拡大してみられる。
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m101051-37665/up.jpg

 もう深夜で遅いので、明日の平曲会に差支えるのでこれで寝ます。
 おやすみなさい。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

えーっ,植栽ですかあ…。
ついに私は植栽を穴と間違えてしまいましたか。
疲れてますね。(そういえば数が多すぎるか)

ただ,参道や中央部の区画溝みたいなものの平行線が気になります。
これは植栽はありませんよね。


肥沼さんへ

 なんでも東偏の線を探せば良いものではありません。
 中央の区画溝みたいな平行線:これは現在の道路。
 北東辺の区画溝みたいなもの:これは芝生の境界線。

 この地図には現在の寺院や建物や道路や植栽など、いろいろのものが薄い細い線で描かれています。
 地図の記号に注意して注意深く読みましょう。

 すでに肥沼さんの目は「東偏僕」で曇ってしまい、何でもかんでも東偏溝にみえているようです。
 この寺院は正方位。
 この寺院の下には西偏25度くらいの掘立柱建物群があり、これが豪族の居館なのか郡衙なのかが論争になっているようです。

 地図だけで調べないで、不審なものは、グーグルマップの航空写真で確かめるとか、さらにこの寺院について調べたものを読むとかの慎重さが必要。

 あせるな! 走るな! 急ぐな! 肥さん!

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

「例は多いほどいい」と考え,調査している次第です。
もうこれくらいで十分だということでしたら,
別の作業もあるので一旦やめようと思っています。

肥沼さん

 データは多いほど良いです。30あるから十分・・・ではないです。
 だから、少しずつこつこつと、ゆっくりやってゆけば良い。

 他の作業があるのなら、それも進めて、東偏探しは一日に一か所くらいでぼちぼちとやって、データが集まったらアップするくらいのペースで良いでしょう。
 毎日ブログに報告しようと思わない方が良いと思います。

 研究はすぐには成果はでません。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 研究はすぐには成果はでません。

そうですね。「急いては事を仕損じる」ということわざもありました。

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