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2018年9月21日 (金)

福原長者原官衙遺跡の八脚門の大きさ

福原長者原官衙遺跡の南門は,八脚門と呼ばれる門である。
どのくらいの規模のものか,他の遺跡と比べた表が
現地説明会の資料の中に入っていたので見ていただこう。

Dscn3539

単純に比べただけでも,けっこう上位に入る。
もし古い遺跡なら,かなりトップクラスに大きい。
なのに,現在「8世紀前半の遺跡」とされてしまっているのだ。
もしC14の測定に掛けることができたら,驚くべき測定値を得るのではないか。


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 この資料画像。拡大すると鮮明に読めます。掲載方法変えました?

 興味深い資料です。
 福原長者原官衙遺跡の南門の八脚門は、通常の国府のものより大きいということがよくわかります。

 他にもいろんなことがわかりますね。
 特に太宰府の礎石の八脚門の巨大さ。とても一地方官衙とは思えません。
 また、国府の中で、近江・肥前の巨大さが目を引きます。近江国衙の中門と南門の大きさは、これは元は都であったのかもしれませんね。近江宮からの移築とか。同様に肥前国府の門の大きさも、個々が単なる国府だったのか?と思わせます。
 もう一つ興味深いのが久米官衙遺跡群の門です。
 ここは伊予松山にある遺跡群の中の方110mの回廊状遺構によって囲まれた区画の南門。区画の中の建物は南北7m東西36mの巨大なもの。この回廊によって囲まれた区画の北側に同じ規模の物がもう一つあり、さらにその北側には7世紀中ごろの久米評の政庁が発掘されている。この遺構は一地方官衙とされているものの、回廊に囲まれた二つの遺構の性格は不明とされている。ここからは素弁蓮華文軒丸瓦が出土。
 この回廊状遺構は板塀と考えられていて、福原長者原遺跡のそれと酷似している。
 これもも宮殿ではないのか? 大溝こそないが。
 この遺構も東偏5度。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 この資料画像。拡大すると鮮明に読めます。掲載方法変えました?

画素数を2倍にしてみました。これなら大丈夫ですね。

〉  他にもいろんなことがわかりますね。
特に太宰府の礎石の八脚門の巨大さ。とても一地方官衙とは思えません。

そりゃあそうですよね。一国を代表する門ですから。
(一元史観だと,「見れども見えず」ですが)

〉  もう一つ興味深いのが久米官衙遺跡群の門です。
ここは伊予松山にある遺跡群の中の方110mの回廊状遺構によって囲まれた区画の南門。区画の中の建物は南北7m東西36mの巨大なもの。この回廊によって囲まれた区画の北側に同じ規模の物がもう一つあり、さらにその北側には7世紀中ごろの久米評の政庁が発掘されている。この遺構は一地方官衙とされているものの、回廊に囲まれた二つの遺構の性格は不明とされている。ここからは素弁蓮華文軒丸瓦が出土。
この回廊状遺構は板塀と考えられていて、福原長者原遺跡のそれと酷似している。
これもも宮殿ではないのか? 大溝こそないが。
この遺構も東偏5度。

八脚門の規模や方位からも,歴史が見えてきますね。
東偏5度も,一丁追加!

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