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2018年9月 6日 (木)

★★★ 福原長者原遺跡 ★★★

すごい遺跡を川瀬さんが見つけて下さった!
その名は,「福原長者原遺跡」。

今まで,見たことも聞いたこともなかった遺跡だが,
川瀬さんとやっている「東偏5度」の世界(祭祀と都城の合体)を
見事に表してくれているような遺跡なのだ。

【奈良文化財研究所のデータベースのもの】

Dscn3362_2

【肥沼の色ペン版・・・まだ途中です。増やした分余計なものもはいったかも。
なお,区画溝については中央部が目立たなくなるので,あえて描いてありません】

Dscn3365

福原長者原官衙遺跡の資料

http://www.city.yukuhashi.fukuoka.jp/doc/2016061000024/files/H29_fukubaru_kinenkoen.pdf#search=%27%E7%A6%8F%E5%8E%9F%E9%95%B7%E8%80%85%E5%8E%9F%E5%AE%98%E8%A1%99%E9%81%BA%E8%B7%A1%27


この資料の後半に,この遺跡が何の単位(尺)で作られたかという問題がでてきます。
昔ずいぶん煩わしかった問題ですが,この遺跡が九州王朝の建てたものだとすると,
南朝尺が使われていたと思います。
私は「尺アレルギー」に掛かっているので,どなたか,
川瀬さんか山田さんがちょっと検討してくれませんでしょうか?
「アレルギー反応」的思い付きが功を奏すことを祈っています。


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 この遺跡。検索しているとすごく話題になった遺跡ですね。
 一つ。太宰府政庁と同等の規模を持つ官衙遺構。
 二つ。その建物配置からは国府とは思えない。つまり「宮殿」だが九州に宮殿があると通説では理解しないから、「国府」以上の官衙遺構という言い方に。
 三つ。九州王朝説からは、太宰府がある筑紫国以外の豊前国から王宮が出た。しかも京都郡。こここそ豊前に拠点を置く「九州王朝皇統派」の都で太宰府は筑紫に拠点を置く「九州王朝王統派」の都だと騒いでいます。

 三はどうでも良いが、一と二は大事な指摘ですね。
 最初は大溝で区画し、次には大溝とその内側の回廊で区画する。きわめて特殊は神聖な地。
 そして建物の配置が見事な朝堂院様式。北側の主殿が大極殿。
 街路を持つ太宰府や藤原京と比較するのはおかしいですね。
 比較するならそれぞれの宮域とだ。

 この遺跡は東偏5度。
 つまり九州王朝が隋と対抗しようとする以前の時期の宮殿。
 7世紀末から8世紀初と判断されているが、とんでもない。6世紀末から7世紀初と判断すべきでしょう。50年以上も前だ。
 いやもっと遡るかも。
 しかも街路を持たずに宮域だけの都。
 かなり古式の都です。

尺の問題ですか。
 平成24年度の現地説明会資料に、南門と南回廊の柱間寸法の詳細な数字と図がありました。これなど回廊の長さ以上に良い史料でしょうか。
 http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/kyureki/_common/pdf/hakkutupdf/h24_fukubaru.pdf


 そうそう。肥沼さんが図示した図だと、北にある「方形壇」めいたものと、南にある「円丘」めいたものは完全に見えませんね。
 グーグル地図の航空写真で確認したが、かなり削平いて、人工物か自然のものかは判断できません。

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