突然『武蔵国分寺跡発掘調査報告既報・ⅩⅧ』が出現!
本日,長い間探していた上記の報告書が,
ついに国分寺市の各図書館に姿を見せた。
まず,その報告をしよう。
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本日私は,午前中に恋ヶ窪図書館に向かい,
国分寺市ふるさと文化財課に1冊しかないと思われていた『ⅩⅧ』を
恋ヶ窪図書館で閲覧できるように(そしてコピーできるように)しようと思っていた。
ところが受付の司書さんは,「ちょっと待っていて下さいね」と館内を少し歩き,
「新着図書のところにありましたよ」と『ⅩⅧ』を手渡してくれたのだった。w(゚o゚)w
「えーーーっ,なんで?」私は頭が混線した。一冊しかないはずの報告書がここにもあるとは。
先日電話したら,「ここにも『ⅩⅧ』だけはありませんねー」という例のせりふを言っていたのに・・・。
その謎は,司書さんと話しているうちに解けた。
私が「ふるさと文化財課」を訪問したことはすでに書いたが,
3つ図書館からの別ルートの連絡がプレッシャーとなり,
「全ての図書館に配布されていない」という事実が26年ぶりに明らかになったようなのだ。
そこであわてて倉庫を探してみたら,案の定そこには図書館配布分のものが残っていて,
即日国分寺市内の図書館に「新着図書」として配布されたのだった。
(確かに「新着」には違いないが・・・)
「図書のコピーは半分まで」というルールを私は知っていたので,
半分だけコピーをさせてもらって,お礼を言い,次の元町図書館へ。
ここでも『ⅩⅧ』が入っているのを確認して,お礼を言い,さっきとは違うところをコピー。
本当は2枚ずつコピーしたかったのだが,ルールは守って。
(実は,元町図書館から私に何回も電話いただいていたらしいのだが,なぜか掛からなかった)
さらに武蔵国分寺跡資料館の2階のふるさと文化財課へ向かう。
先日の閲覧のお礼を言い,各図書館にも配られたとの確認をし,以下の交渉をしてみた。
「私たちは,武蔵国府・国分寺について研究しています。この『ⅩⅧ』はとても貴重な資料なので,
コピーは取れるようになりましたが,ぜひ報告書も持っていたい。
有償でいいので余分があったらお分け下さい。もし非売品ということでしたら,無償貸与という形でも」
返事は後日いただけるそうだが,あまり期待しないで待ちたいと思う。
さて,その足で国分寺四中の資料館へ。吉報を知らせようとしたが,祭日の次の日でお休みでした。
またさらにその足で,国分寺駅北口の本多図書館へも。ここでもお礼を言って,『ⅩⅧ』を確認。
(この図書館の司書さんも,恋ヶ窪図書館との連絡をしぶとく取って下さった)
今回の『武蔵国分寺跡発掘調査報告既報・ⅩⅧ』の捜索においては,
3つのことがうまく作用したと思う。
(1) 『ⅩⅧ』をぜひとも見たいという私たちの執念
(2) 国分寺市立元町・本多・恋ヶ窪図書館の司書さんたちのありがたいサポート
(3) ふるさと文化財課の方たちによる最終捜索
この三つが「三位一体」となって作用し,9月7日から『ⅩⅧ』は26年ぶりに,
国分寺市内の各図書館で自由に閲覧できるようになった。
(1992年発行→2018閲覧開始)
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肥沼さんへ
驚きの結果ですね。
なんと発掘調査概報18だけ図書館に配布するのを忘れていた。
肥沼さんが調査報告書を見たいと、図書館を次々に尋ね文化課までも尋ねなければ、この26年前の配布忘れは、気が付かれることなく、報告書はずっと文化課の倉庫に眠り続けたというわけですね。
なんとまあ。
でもこれで四中遺跡の調査の後半部分をじっくり精査できますね。
何度も足を運んでもらって、ありがとうございます。御疲れ様でした。
投稿: 川瀬 | 2018年9月18日 (火) 17:19
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
本当に驚きの展開でしたが,
倉庫から出された『ⅩⅧ』が,
「ぜひ活用して本当の歴史を明らかにしてくれ」
と私たちに言っていようにといました。
そのためにも,頑張らなくては!
投稿: 肥さん | 2018年9月19日 (水) 01:56