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2018年9月13日 (木)

「東偏」探索 9/13

近畿地方には,東偏の寺院や街並みはないのか?
それにチャレンジしてみました。

(1) 伊丹廃寺(兵庫県)
 伊丹廃寺(兵庫県) 

http://www.city.itami.lg.jp/SOSIKI/EDSHOGAI/EDSYAKAI/SINAI_BUNKAZAI/KUNI_SITEI/1386840091335.html

伊丹廃寺(兵庫県)

http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m103521-10722/up.jpg


法隆寺式(ただし,講堂が東に寄る)。東偏15度でした。
大阪にも1つ見つけました!

(2) 瀬田廃寺(愛知県)

聞いたことがある?
3方位(東偏・正方位・西偏)あるのだが,東偏の3棟はいずれも「東偏8度」でした。

瀬田廃寺(愛知県)

mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m121059-90545/zentai.jpg

(3) 土佐国分寺(高知県)

土佐国分寺(高知県)

http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m102852-14678/etc.jpg

多くは東偏15度でした。
5度と8度と10度と15度の違いは,時期なのか何なのかは不明。
府中も東部は5度で,西部は10~15度のようだし・・・。

Dscn3447


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
>近畿地方には,東偏の寺院や街並みはないのか?
それにチャレンジしてみました。

 ということは狙いとしては、近畿天皇家の領域に東偏の建物があるのかないのかを確認することで、もしなければ、東偏建物は九州王朝固有のものと証明しようとしているのかな?
 であれば「近畿地方」という現在の大雑把なくくりでやらないで、近畿天皇家の固有の領土は古代の国のどこなのかを確認してからやるべし。
 これは書紀のいわゆる大化改新詔に「畿内」の四至が示されている
 あと、遺跡地図の分析ですが問題が多いまま。

●伊丹廃寺
 伊丹市史の復元図だと東偏15度にみえるが、
 奈文研のデータの遺跡地図で詳細にみると、
西側回廊:東偏5度
東側回廊:東偏13度
北側回廊:東偏10度
南側回廊:東偏10度
築地:ほぼ東偏5度
金堂・塔・講堂:東偏10度

西側回廊と築地が最初につくられ。
次に伽藍の建物と北と南の回廊。
最後に東側回廊だけが後で作られたような感じですね。

 全体として東偏であるが、三つの異なる時期に伽藍が作られたようにおもえます。

 そしてこの寺院の場所ですが、大阪府ではありますが、古代では摂津国。
 摂津は書紀の仏教伝来関係の記事でわかるように、近畿天皇家の領域に仏教が伝わる以前から仏教が広がり、すでに多くの僧尼がいたことが明らかです。
 つまりここは九州王朝の直轄地。近畿天皇家の固有の領土の河内ではない。

 なお伊丹市のサイトには間違いがあります。
 白鳳時代を八世紀初めという伊丹市のサイトの記述はあやまり。
 七世紀後半です。
 金堂基壇の復元をみると、河原石の乱石積みです。武蔵国分寺と同じ。

●瀬田廃寺
 図示された図。本当に瀬田廃寺?図面の肥沼さんの字は「北野廃寺」だ。
 しかしリンクされた図には「椿山遺跡」とある。
 一体何を調査したの?

●土佐国分寺

 http://kawa-k.vis.ne.jp/2017122musasi2-9-3.pdf

武蔵国府寺の復元訂正版2-9 南海道編で詳しく考察した。
 今確認されている遺構は金堂の基壇だけ。その方位は東偏16度。

地図だけではなく「建物データ」なども見て確認してから分析してほしい。やみくもに遺構図を見て、その遺構が何であるかを確認せずに方位を測っても意味がない。

 まだまだ慎重さと正確さが欠けた遺構分析です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

●伊丹廃寺・・・上総国分寺みたいな「複雑型」ですが,
西側回廊と築地が「東偏5度」ということでOKですね。

西側回廊:東偏5度
東側回廊:東偏13度
北側回廊:東偏10度
南側回廊:東偏10度
築地:ほぼ東偏5度
金堂・塔・講堂:東偏10度

●瀬田廃寺・・・自分でもわけがわからなくなっています。ごめんなさい。
椿山遺跡なら「東偏8度」で準OKということですが・・・。

●土佐国分寺・・・いちおう方位(1度違い)だけでいえば,準OKですね。

肥沼さん
 ●北野廃寺●楮山でなにをしようとしていたのかがわかりました。

●北野廃寺
愛知県岡崎市北野町

http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m103963-90708/up.jpg

これなら東偏10度
四天王寺式

●楮山遺跡
所在地 愛知県岡崎市字頭町楮山・楮・新畑
遺跡種類 官衙関連集落ヵ
地形 矢作川中流域右岸に広がる標高約20mの碧海台地上
歴史環境 東海道に近く鳥取駅家関連集落とされる。近隣には北野廃寺・別郷廃寺などがある
http://mokuren.nabunken.go.jp/NCPstr/strImage/m121059-90545/zentai.jpg

 二つの遺跡はすぐ近くにある。
 楮山遺跡が東海道の鳥取駅家で、その北隣にある寺院が北野廃寺。
 それぞれが東偏8度と東偏10度。

 このセットを示したかったのじゃないかな。
 どうして瀬田廃寺と標題が付けられたのかはわからない。瀬田廃寺は近江にしかなく、近江国庁のすぐそばの近江国分寺と目される遺跡。

 やはり昼間か朝。頭がしっかり動くときにやらないといけないな。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

》 そうそう,それです。まさしくそれを書いたつもりでいました。
謎を解いていただき,ありがとうございました。

(なんで瀬田廃寺が出てきたかは謎です。
「聞いたことがある?」というのは瀬田廃寺のことでした)

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