薩摩&豊後国分寺も,東偏5度→正方位か
東偏5度が,東山道を中心に例が多く出て,
昨日の講演会でも報告したが,
四国・九州にまだ例を見出していなく,
心苦しい思いがしていた。
しかし,ついに九州内でも例を見出しました!
それは薩摩国分寺で,創建が東偏5度→再建が正方位という,
どこかで聞いたような素晴らしいタイプだった。
(親分の南朝にマネて東偏,天子を主張して正方位と考えるので)
4~12世紀,日本列島は原則「西偏の時代」だ
その逆の東偏の寺院を作ることは,「自己主張」なのだ。
(崩れかけているが,塔の礎石も「東偏」の模様)
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もう1つくらいはあるだろう。
「柳の下にどじょうが二匹」とも言うし・・・。
そうしたら,豊前国分寺でやはり興味深い例を見つけました。
南門と中門の中心線が「東偏5度」というのだ。
これはもう偶然が20回近く続いているとは思えない。
東偏5度の方位で日本列島に寺院や街並みを作っていったとしか思えない。
ちなみに塔は,磁北のようだ。
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本日の資料は両方とも,『新修 国分寺の研究』からだ。
セブン・イレブンは「開いててよかった!」だが,
こちらの場合は,「買っててよかった!」か?
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