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2018年9月 5日 (水)

体調不良です

睡眠不足に加えて,夏のしんどさが堪えたのか,
一昨日の夜からついに下痢を発症。
おまけに○○も発生。

トイレが近くにないと不安な現在です。
もう1日○○が続くようなら,
医者に行こうと思っています。

本日は川瀬さんと国分寺の図書館で研究をする予定でしたが,
あの図書館は涼しく,しかも閲覧コーナーとトイレがずいぶん離れているもので,
「もしも」の時のことを考えて,欠席しました。
司書さんを通しての伝言では詳しく言えませんでしたが,そんな状況です。

ブログを書いている時はそれを忘れられるので大丈夫なのですが,
それは「トイレまで5メートル」という安心感があるからかもしれません。
川瀬さんも,皆さんも,どうぞご自愛を!

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心と体」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

講演会などもあり、東偏五度などもあって、とばしすぎたのです。スピード違犯で捕まったのです。しばらく留置されてください。お大事に。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 講演会などもあり、東偏五度などもあって、とばしすぎたのです。

まあ,そういうことなのでしょうね。
電車に乗ると,すぐ寝られます。

母に「自分の方が早く逝くと思わないでね。
息子の方が先に逝く家もあるんだよ」と言っておきました。
我が家は,父が79歳で事故で亡くなり,祖母が102歳まで生きたので,
いわゆる「逆縁」になってしまったのでした。
父は親孝行な人だったのに,最後に「親不孝」をしてしまって,
さぞかし残念なことだったでしょう。

肥さんへ
大丈夫ですよ。子どもは幼いうちに、充分過ぎる程親孝行を済ませているのですから。

肥沼さんへ

 たしかに飛ばし過ぎでしょうね。しかも酷暑の夏が三か月続いた中で、7・8月は毎週府中と国分寺の図書館通いだった。
 じっくり体を休めてください。
 そして9日の平曲会に来てくださいね。

 本日の調査の報告。
 一旦四中遺跡のすぐ東側に国庁があったとの仮説。これはひっこめます。
 理由1:塔1の南90mにある布状掘り込み地業。これは溝ではなくて、幅が2mで東西が20m以上になる、地面を掘って版築工法で土を積み上げたあと。道路しか掘っていないので南北に広がるかどうかは不明。
 通常考えれば、この位置に掘り込み地業の必要な礎石建物があったということ。
 いったいなんでしょうね。
 
 理由2:その西に見つかった溝(道路にそって)。これは東西ではなく南北の溝でした。
 したがって四中遺跡の一番東にある「溝」とはこれらの遺跡がつながらない。

 その四中遺跡の東側の溝ですが、調査概報18を見ないとわかりませんが、概報5で何も書いてないので、現代の溝かもしれません。
 
 ということで一旦。国分寺創建伽藍のすぐ南に初期国庁があったとの仮説はひっこめます。
 でもその南。
 例の100m四方の正方位の官衙遺跡の東側化南側。府中刑務所のすぐ北側の可能性は残っています。

 そうそう。創建伽藍の僧坊かもしれないという掘り込み地業。南北が10mほどで東西が15mほど。東にどこまで伸びるかは不明です。

 以上報告でした。

 追伸:7日金曜日にはまた府中市立中央図書館かふるさと歴史館に行って調査する予定です。

肥さん、どうか、ゆっくりと休んでください・・・。どうか、ご自愛ください・・・。私の、知人で2りほど、若くして亡くなった者がいます・・・。2人とも、頑張って、頑張って、と・・・。目標を目指して、とにかく、からだを酷使することなどいとわず・頑張って・予定をいれまくって・がんばって・がんばって・・という、タイプの方々でした・・・。まわりの人達は、いまだに、頑張らずに、ただ、生きていてほしかったと、言っています・・・。こえさんは、まだまだお若いのです・・・。どうか、無理をなさらずに・・・生きていてください・・・。なんか、もう・・こえさんが、危ないみたいな・・話になってしまいましたが(笑)・・・。  現世を、もう少し、気楽に、遊ぶように、生きてみてほしいな・・という勝手な希望を、書かせていただきました・・・。こえさんと、健康でおいしいお酒が、ときどき飲めることを、希求する、ゆめぶろの、いちファンより・・・。

肥さん、体調はどうですか?
9月7日金曜日、オフ会にお誘いしましたがどうでしょうか?
なんとか元気になって参加して下さい。
なにしろ私が、20年前に「九想話」を書き始めた9月7日です。
ささやかなお祝いをしたいのです。

「愛の世代ズ」てるちゃんへ
コメントありがとうございます。

私は時々スピードアップし過ぎて,ダウンするタイプの人間です。
でも,すぐ回復するので大丈夫だと思います。
明日も不調が続くようなら,医者に行きます。

山田さんへ
コメントありがとうございますす。

〉 大丈夫ですよ。子どもは幼いうちに、充分過ぎる程親孝行を済ませているのですから。

中学生は1000人以上教えてきたのですが,
自分の子どもは1人も育てていないもので,
なかなかその境地が理解できません。
(中学生も幼いと言えば,幼いですが・・・)

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  じっくり体を休めてください。
 そして9日の平曲会に来てくださいね。

じっくり体を休めながらも,7日(金)には府中に集まり,9日(日)には川崎では,
なんだか矛盾しているように思いますが…。(笑)

〉 本日の調査の報告。

なかなかうまくいきませんね。
でも,1つ1つつぶしていくことが,警察の捜査の定石だし,
研究のそれでもあるのでしょう。
それにしても,「国庁」はどこに隠れているんだか・・・?

肥沼さんへ
 7日金曜日は一人でやるつもり。
 肥沼さんはじっくり体を休めてください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  7日金曜日は一人でやるつもり。
 肥沼さんはじっくり体を休めてください。

ありがとうございます。
では,次の「登板(平曲の会)」まで肩を休めておきます。

九想さんへ
コメントありがとうございます。

ご心配おかけしてすみません。
金曜日には回復していると思いますので,
三人で「九想話」20年をお祝いいたしましょう。

肥さんへ

>自分の子どもは1人も育てていないもので,

私も同じですが、毎日ファストフード店で親子連れを見てますと、
子どもを育てるのは大変だなあと思う反面、
親はかけがえのない幸せな時間を子どもからもらっているように感じます。
子どもと過ごせるこのような時間はとても短い期間なのですから。

親より先に逝くという親不孝をしない限り、子ども自身が親孝行な存在なのです。
私はそう思います。

山田さんへ
コメントありがとうございます

〉 親より先に逝くという親不孝をしない限り、子ども自身が親孝行な存在なのです。
私はそう思います。

社会科の授業の中で,たまに「生きてるだけで親孝行」の話をしたら,
生徒たちはビミョーな顔をしていました。


のうてんきですが
百薬の長で完全回復を図りましょう。
体内脳内消毒で。

思い悩むことは多いですが
時が解決してくれることもありますので。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

「ブログ時々3人オフ会」のお付き合いを,
今後ともよろしくお願いいたします。

では,今晩・・・。

肥沼さんへ
 9月7日の調査報告。
 本日は府中ふるさと歴史館に行って、先日国分寺のもとまち図書館で確認した、創建「国分寺」遺跡の塔1の南90mにある、東西の布状掘り込み地業の西で見つかった、幅2.3mで深さ80㎝、底の幅1.5mの南北の区画溝(SD130)の延長が、その南部の道路建設現場で見つかっていないかを確認しました。
 結果はまったくそれらしき大規模な区画溝はありませんでした。
 つまりSD130はそこまで伸びていないことが確認済み。
 そのあと発掘報告書の発掘箇所全体図を見ていたら、なんと先ほどの掘り込み地業のずっと南で、尼寺の南辺区画溝と同じ方位の溝が、国分寺の外郭区画溝のさらに外側で見つかっていることに気が付きました。
 もしかしたらこれらの二つの区画溝は、創建「国分寺」の内郭区画溝と外郭区画溝なのかもしれない。どちらの溝も、正方位の東西南北ですから。
 ということは四中遺跡の東側にあったのは、国庁ではなくて、創建伽藍の南辺。
 そしてかの道路発掘遺跡から、尼寺から南東に延びた幅10mほどの道路遺構と、さらに僧寺の外郭溝付近から南西に延びた同じく幅10mほどの道路遺構が出ていることに気が付きました。これは例の国分寺参道口のV字型道路のもっと大規模なものです。
 この道路。創建「国分寺」の僧寺と尼寺の参道ではないか。
 そしてこの二つの参道が交わるところは。
 東山道武蔵路に沿って見つけた正方位の方100mほどの官衙遺跡のその東側300mほどでした。ここが初期武蔵国府の北辺では?
 のちほど地図に書いて報告しますね。
 請うご期待!

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

なんだか凄いことになってきましたね。
川瀬さんは地上だけでなく,地下もお見通しなんですね。
(私もこのところ「東偏・僕」ですが)
ますます研究が面白くなってきました。
今度はいつ研究会をしますか?

肥沼さんへ
 改訂版復元:武蔵国府・国府寺図。
 これをメールで送っておきました。詳しい解説はメール本文に。

 やっと6月末から手掛けた初期武蔵国府の探求。めどがついてきた感じです。
 あとは詰めの作業。

1:寺地区画溝と思われる二つの溝の報告書での確認。
2:参道と考えられる三つの道路遺構と溝の報告書での確認。
 以上で創建伽藍の復元は完成。あとは瓦の編年の再検討だ。
3:国庁は発掘されていないので手の付けようはない。
4:国府に伴う官衙遺構の年代の再検討。対称は第四中学校遺跡・武蔵台東遺跡・武蔵台遺跡・武蔵台一丁目道路建設に伴う遺跡。この四つ。報告書を見る限りでは9世紀から11世紀と判断されている模様。本当にこれで良いか再検討。
5:正方位での多摩郡衙(評衙)以前の東偏多摩郡衙とその市街の復元と年代の判定。

1は国分寺の図書館じゃないと報告書がない。
4の第四中学校遺跡の確認も国分寺市の図書館。
2・4・5は府中の図書館。ふるさと歴史館でほぼできるが、府中市立中央図書館じゃないとできないものもある。

次の研究会。
来週金曜日14日の午後2時過ぎから府中ふるさと歴史館ではどうでしょうか。
2・4・5の作業に手を付けたいと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  やっと6月末から手掛けた初期武蔵国府の探求。めどがついてきた感じです。
 あとは詰めの作業。

お疲れ様です。でも,川瀬さんからその言葉が聞ける日が来て,うれしいです。
私も本日,山王廃寺について挑戦してみました。
礎石の抜き取り穴の作業らしきものが見えて,「東偏5度」に入れられそうです。
「夢ブログ」にアッブしますのでご検討下さい。

〉 次の研究会。
来週金曜日14日の午後2時過ぎから府中ふるさと歴史館ではどうでしょうか。
2・4・5の作業に手を付けたいと思います。

了解しました。「東偏5度」の遺跡数をさらに増やして報告できるようにします。
現在25件です。

肥沼さんへ追伸

>なんだか凄いことになってきましたね。
川瀬さんは地上だけでなく,地下もお見通しなんですね。

 「お見通し」なのではなくて、2016年前半に数か月かけて山田さんと二人で、武蔵国分寺創建伽藍の復元について議論をしてまとめた経験があったからです。
 この時の創建伽藍は、最初は「薬師寺式」最後は「法起寺式」か「観世音寺式」としましたが、今回の調査でこれらは完全に否定されました。
 理由は
1:創建伽藍の外郭区画溝と考えた、塔1の南90mにある布状掘込地業が、溝ではなくて礎石建物の基壇のための掘込地業であったことが判明したこと。
2:創建伽藍の内郭の幅を、塔2の場所に塔もしくは金堂があったと仮定して復元したが、先の布状掘込地業を位置から南大門と考えると、「南大門」「中門」「塔1」が一直線になる形式なので、内郭の幅は想定よりもっと狭くなり、西偏が塔2より塔1側に寄った。これで内郭の範囲想定が崩れた。このため伽藍配置は全建物が南北に並ぶ四天王寺式しかなくなる。これで僧寺と尼寺の伽藍形式が近いものに。
3:この南大門の西90mに南北の区画溝SD130が出てきたのだから、外郭の東西幅が180mで、塔1と西の区画溝の距離が43mだから、内郭の東西幅が86mとなり、当初の想定の幅よりもぞれぞれ大幅に修正。

 今回の創建伽藍の復元は、2016年前半に一度復元をしていて、今回見つけた遺構がその復元を否定していたことがわかったからできたことです。
 そして寺地区画溝らしき南辺の二つの溝の存在や、僧坊らしき掘込地業の出現、さらには参道遺構らしき道路遺構の確認と続いたので、創建伽藍の復元どころか、初期国庁の復元にまで手をだせたのです。

 そうそうもう一つ追加です。
 国庁の位置と幅について。
 国庁は創建伽藍の真南。その東西幅はおよそ300m。その東西の中心を創建伽藍からの南北の参道がそのまま国庁の真ん中を貫き、そのまままっすく伸びて、大国魂神社東官衙遺構の前を東西に走る道と直交し、さらに南に延びて多摩川付近まで行っていたのではないか。
 そしてこの道の終点は武蔵国造の祖先神を祀る坪宮ではないか。

 実は坪宮と塔1がほぼ南北に並んでいると地図を見ていて気が付きました。
 その経度と緯度。
 塔1:北緯35.691502,  東経139.473962
 坪宮:北緯35.667432,  東経139.473703
 ほぼ南北でしょ。
 そしてさらに塔1の北を見ると、ほぼ真北に福田さんが「何かの宗教施設」と判断した掘立柱建物が南向きのコの字型に建っている一角がある。方形区画だ。
 閃きました。
 武蔵国府の都市設計思想はこれらの宗教施設を貫く南北正方位線に、北から
 「方形宗教施設」-創建「国府寺」-「初期国庁」ーーーー「坪宮」
 と並ぶものだったのではないかと。

 この南北線が創建伽藍からの南北の参道。この参道と私が想定して国庁の西の端までの距離がおよそ150m。
 したがって国庁の東西幅はおよそ300m。
 このような結論になります。

 ただし国庁の南北幅を推定する資料はありません。
 今の大国魂神社東官衙遺構と同じく長方形とすると、南北400mから500mでしょうか。でもこれは当てにはなりません。
 以上追加報告です。

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