もしも1時間半で多元的「国分寺」をご案内するとしたら・・・
「もしも原子が見えたなら」という仮説実験授業の授業書がある。
小学校低学年から原子分子について学べるスグレモノである。
(色塗り+お話がメイン。場合によっては,分子模型づくりも)
これに名前を借りて,どのように1時間半で武蔵国分寺関係を廻ったらいいか,
アイデアをメモしておきたい。(1月の多元の会の前に,東京・古田会があるかも)
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(1) 400mの「東山道武蔵路のアスファルト」の真ん中からスタート
実際に200mほど歩いていただき,幅の広さと直進性を体で感じていただく。
(2) 武蔵国分寺跡資料館
ここで,通説と多元的「国分寺」研究の違いを話す。聖武天皇の「国分寺建立の詔」の読み方。
西偏7度の地図の用意。瓦の部屋にて解説。
(3) 塔 → 金堂・講堂の見学
金堂を先にすると「混同」するので,創建の順に塔から廻る。
私たちが考える創建プランを説明した後,中門辺りから金堂・講堂を眺める。
西偏7度は府中熊野神社古墳と同じ方位であることも説明する。
(4) 国分寺四中資料室
ここで発掘調査図を示し,とんでもないもの(創建武蔵国府の国衙街)
が自分たちの地下に埋まっていることを知り,展示品を見ていただく。
掘立柱建物40棟.複数の工房.たくさんの出土物。
(5) 国分尼寺
塔(ほぼ正方位)・東山道武蔵路(東偏2度)・尼寺(東偏2度)の中の「西偏7度」
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こんな感じでしょうか。何か加除があれば,よろしくお願いします。
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肥沼さんへ
これだけ多岐にわたる内容場所を案内しないと、多元的国分寺論は理解できないと思います。
したがってこれを1時間半ではむりでしょう。
少なくとも3時間。半日コースだと思います。
投稿: 川瀬 | 2018年9月26日 (水) 12:10
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 これだけ多岐にわたる内容場所を案内しないと、多元的国分寺論は理解できないと思います。
したがってこれを1時間半ではむりでしょう。
少なくとも3時間。半日コースだと思います。
私もできるとは思わないのですが,
「こんな内容が考えられますよ」というたたき台ということです。
このサイトは川瀬さん以外の古田史学の方も少なからず見ていますので,
その人たちに向けての内容紹介と思って下さい。
最初の東山道武蔵路をはしょるだけでも30分くらいは短くなると思いますし,
説明には資料も用意するつもりです。
多元の会の場合,熊野神社古墳を削ったように…。
投稿: 肥さん | 2018年9月26日 (水) 14:20