礎石建物・掘込地業は,九州王朝・国府寺の正方位の伽藍配置か?
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肥沼さんへ
私は創建伽藍を「法起寺式」か「観世音寺式」で塔の西側の今の塔2があるところに金堂と想定していました。
しかしもっと北方に掘り込み地業跡があるのなら、ここが東西に長い僧坊と考えていくと、寺院が縦長になるので、南大門ー中門ー塔(中軸線東側)-金堂ー講堂ー僧坊と南からならぶ、「大官大寺式」を想定することや、塔が東西二つある「薬師寺式」を想定することも可能になります。
この塔の北側の地域はすでに住宅地が広がっているので発掘があまり進んでいませんでしたが、この発見された掘り込み地業跡がどこまで広がるのか。今後の発掘調査に期待します。
投稿: 川瀬 | 2018年8月28日 (火) 12:27
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 この塔の北側の地域はすでに住宅地が広がっているので発掘があまり進んでいませんでしたが、この発見された掘り込み地業跡がどこまで広がるのか。今後の発掘調査に期待します。
本当に楽しみですね。それはきっと,「実はこうではないか」という
仮説を持っているからなのでしょうね。
この地区で水道やガスの工事がたくさん行われることを期待します。(笑)
投稿: 肥さん | 2018年8月28日 (火) 22:44