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2018年8月15日 (水)

出土している「主要建築物」の分布図を作ろう!

昨日のコメントで,川瀬さんから「出土している建築物には,
質的な差があるのだ」ということを教えていただいた。
ではどうしたらいいか?ここはやはり,得意の?グラフで可視化すべきだろう。
私も返信コメントの中でアイデアをだしてみたが,
以下のようなグラフの記号を,府中市の白地図に記していったらいかがだろうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

小型(下級役人の住居等)の掘立柱建物・・・△
役所とおぼしきものは大型掘立柱建物・・・〇
役所のさらに中心とおぼしきものは、庇のついた大型掘立柱建物で、
四面庇は中心的な建物・・・◎(四面庇・三面庇)
正方形のしかも総柱の建物は正倉などの倉庫・・・■

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たとえば,こんな感じになるのではないでしょうか。

△△△△△△△△△△

○○○○○
■■■■■

◎(三面庇)
◎(四面庇) 最も重要 
◎(三面庇)

■■■■■
○○○○○

△△△△△△△△△△

記号数の多少は,その人の感じ方ですが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ダメもとで,1回作ってみるといいと思うのです。
そうすると.視覚的にわかりやすいだけでなく,
けっこう本質をズバリついてしまうかもしれない。
小中学生でも,「ここが中心ですよね」と指摘できるような感じになる。
ちなみに現在「武蔵国府」に比定されている場所の付近には,正倉がわずか3つ。
この規模では,郡衙の倉庫としてはいいが,とても武蔵国全部の租のお米はしまい切れないでしょう。

そう言えば,古田さんの『ここに古代王朝あり』の考古出土物の分布図を使って,
1992年に授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」を作ったのを思い出しました。
今から26年も前のことになります。
銅鏡,青銅器の武器,鉄器,絹の4つで,出土地を予想してみました。
4つが重なる場所を,「邪馬台国」と考えるわけです。
生徒たちにも好評でした。(5段階評価で,➄と④が8~9割以上)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以上の要領で,「東偏タイプ」「南北軸タイプ」「西偏タ3枚の分布図をつくったのだが,
うまく写真をアップできないのだ・・・。どうして?

〈東偏タイプ〉 南北軸のタイプの下には,東偏の建物があったと考えられる(一部発掘されている)

Dscn3087

〈南北軸タイプ〉 一見今の南北軸の「武蔵国衙」が中心に見えるが,正倉3つのため郡(評)衙か

Dscn3084_3

〈西偏タイプ〉 その中心は400mほど北部にあるのではないか(南北道の両側に庇付きの建物)

Dscn3086

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 本日はお疲れ様でした。
 また昨日は。府中市域(中央部と東部の)東偏・南北軸・西偏の掘立柱建物の分布図の作成お疲れ様でした。
 分布図、アップできましたね。
 図にしてみると、三つのタイプの建物群が同じ地域に展開しながらも、それぞれの中心地が微妙に異なることがよくわかりますね。

 先ほどは、西偏の時期には多摩郡衙がまだ存続していたのかも(郡衙域に西偏建物がないので焼けずにそのまま使われていたと考えて)と申し上げましたが、郡庁の大型建物群は、国庁のそれと同様に国家的儀式や宴会のためのものなので、王朝国家末期、つまり平安時代後期の11世紀にはすでに維持する必要も維持する力もなくて廃絶していたと考えられます。

 したがって郡衙内南部に東偏した南北棟の掘立柱建物があるのを報告書は、その柱穴から10世紀後半の土師器が出ていることを基準に11世紀の建物としていましたが、これはまさしく国庁郡庁の廃絶時期と重なりますから、廃絶して礎石を移動されて畑などにするために削り取られた際に、礎石を置くために掘立柱の柱穴を拡張してそこに根石などを置いた大規模な柱穴になっていたところに、使い古した土器などが混入したと解釈できます。

 そして郡衙の主殿(大型の東西棟の礎石建物)が東偏の小型の掘立柱建物を切っていることを考え合わせれば、この東偏の建物群は確実に、正方位の建物群よりも前の時代であることは確定できると思います。

 残念ながら東偏の建物群の年代を判定する資料は手に入らなかったですが。

 引き続き、やることは、

1:郡衙建物群の中の正方位建物と東偏建物の年代を判定する資料がないか調査すること。
2:もう一つの東偏建物群である「多摩寺」遺跡と区画Aの年代を判定する資料の調査。
3:さらに西偏建物群である区画Bと国衙遺跡の北方にある南北路両側の西偏大型掘立柱建物群の年代を判定する資料の調査。

 以上三点が多摩郡衙について考察するのに必要なことだと思います。

 私のほうは、

4:武蔵台東遺跡群のまとめの調査報告書とその南の東西路で出てきた武蔵台一丁目遺跡群のまとめの調査報告書が府中市立中央図書館にあるかたしかめ、報告書の要点を手に入れる。

 これをやって武蔵台東遺跡群が正倉院であるかどうかを確かめれば、国府調査は一応終了です。

 府中刑務所を含む晴見町は一切考古学的調査がされていないので、初期国庁遺跡を確定することは無理だと思います。周辺情報の状況証拠だけ。


 以上4点をやりたいですね。

 私が今後動けるのは、
 来週22日水曜午後と24日金曜午後、そして29日水曜午後です。
 できれば22日は弟の命日なので墓参りをしておきたい。だから24日か29日です。

 24日は肥沼さんの誕生日ですね。

 他に予定がなければこの日は調査はしないで、どこかで昼食会をしませんか。午後2時過ぎから5時ごろまでならおつきあいできますので。できたら他に誰か誘って。翔空さんとか愛の世代ズの二人など。場所と人選はお任せします。

 とすると次回合同調査は29日金曜日かな?


追伸:本題です。
 「日航123便 墜落の新事実 -目撃証言から真相に迫るー」
 青山透子著 河出書房新社2017年7月刊 1600円

  ぜひご一読ください。

追伸2:9月平曲会について
 肥沼さんはご参加ということでよろしいでしょうか。
 できたらどなたか誘っておいでになることはできるでしょうか。
 というのも今のところ予約が一名しか入っていないのです。どうなることか・・・・。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 分布図、アップできましたね。

なぜか,帰ったらできました。パソコンの気持ちはよくわかりません。

〉 引き続き、やることは、
1:郡衙建物群の中の正方位建物と東偏建物の年代を判定する資料がないか調査すること。
2:もう一つの東偏建物群である「多摩寺」遺跡と区画Aの年代を判定する資料の調査。
3:さらに西偏建物群である区画Bと国衙遺跡の北方にある南北路両側の西偏大型掘立柱建物群の年代を判定する資料の調査。
 以上三点が多摩郡衙について考察するのに必要なことだと思います。

はい,わかりました。多磨寺の調査,興味深いです。

〉  24日は肥沼さんの誕生日ですね。
 他に予定がなければこの日は調査はしないで、どこかで昼食会をしませんか。午後2時過ぎから5時ごろまでならおつきあいできますので。できたら他に誰か誘って。翔空さんとか愛の世代ズの二人など。場所と人選はお任せします。
 とすると次回合同調査は29日金曜日かな?

29日ですね。なんとか,他の仕事と折り合いをつけます。
24日と25日は,仮説等の関係へ行くことになっていまして,都合が付きません。
そして,24日は講演会の資料の締め切りとなっていますので,「還パ」は無理ですね。

〉  「日航123便 墜落の新事実 -目撃証言から真相に迫るー」
 青山透子著 河出書房新社2017年7月刊 1600円

先程インターネットで注文しました。
読みたくないような,読まなければいけないような,複雑な気持ちです。

〉 9月平曲会について

私は大丈夫ですが,かなり長時間なので,他の人は誘いにくいですねえ。

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