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2018年8月31日 (金)

肥さんの「東アジア・方位の旅」

「所さんの日本列島ダーツの旅」という人気番組がある。
日本地図めがけて所ジョージがダーツを投げ,
それが突き刺さった街をディレクターが訪問する。
そこには「村人たち」の繰り広げる喜怒哀楽の暮らしが
垣間見られる・・・という番組である。

それをもじって,「肥さんの「東アジア・方位の旅」」としてみた。
私の古代史研究の旅は,まさしく方位に悩まされ,
方位に助けられてここまで進んできた。
それを古代史講演会の前日に,振り返ってみたいと思う。

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(1) 「武蔵国分寺周辺の地図」・・・「なぜ塔も東山道武蔵路も尼寺もほぼ正方位なのに,
 金堂以下の主要伽藍は西にけっこう傾いている(西偏7度)のだろう?」 
 → もしかして作った主体が違うのかも!(この矛盾はチャンス?)

(2) 府中熊野神社古墳も,西偏7度であることが分かる → 国分寺の主要伽藍を建てた人?
 なにしろ上円下方墳の立派な古墳で,ただ者とは思えない「石だらけのデラックスなお墓」だ。

(3) 「武蔵国府」の調査で,今の大國魂神社のものでは規模が小さかったり(正倉3棟),
 郡寺の多磨寺と方位が違っていた。いったいどういうこと? 
 → 多磨寺は東偏5度なのに,大國魂神社は正方位を確認。

(4) もし多磨寺の東偏5度を正しいとするなら,それに対応する郡(評)衙が東偏5度のはず。
 しかも大國魂神社の付近にそれはある。
 → 大國魂神社の付近を「地下マップ」で捜索する → 「あったー!」東偏5度の掘立柱建物群

(5) 最初は府中市東部だけが東偏5度だと思っていたら,府中市全体に及ぶことを指摘される。
 逆に西偏7度も府中市西部だけでなく,府中市全体に及んでいる。それに正方位もあるので・・・
 → とりあえず3時代を設定する。
 ①九州王朝が各地に東偏5度の寺院や街並みを置いた時代
 ➁九州王朝が正方位に乗り出すことになり,国府や国府寺を置いた時代
 ➂滅亡後の西偏7度の時代
 これで,いろいろな遺跡を調べてみよう

(6) 川瀬さんが,府中市栄町3丁目交差点付近に100m×100mの正方位の区画を発見。
 → 最初は国庁かと色めき立ったが,国衙の一部ではあるが,中心は別にあると方針変更

(7) 工房のある武蔵台遺跡に川瀬さんが取り組んでいる間,私は国分寺四中遺跡のチェック
 → なんと,掘立柱建物40棟を見つける。四面庇の建物を含む豪華な建物が立ち並び,
 立派な工房もあり,ここが官庁の中心地と確信。正方位の建物群が九州王朝で,
 西偏7度の建物群が地元豪族と考える

(8) 川瀬さんが,塔の南方に国庁が入るのではないかと,正方位の区画溝から推理する
 → さらに国分寺の東部にも正方位の掘立柱建物があることを確認。おまけに版築地業を
 した土地(横長の僧房?)があることを川瀬さんが発見し,最初の頃山田さんも含めて検討
 していた古い形式の寺院があった可能性が大きくなる!

(9) その一方,なぜ昔の東山道の寺院(国分寺や廃寺を含む)や街並み(周防市や府中市)に
 東偏5度が多いのか。また,同じように昔の東海道(瀬戸内海や太平洋廻り)や昔の北海道
 (日本海廻り)もあるのである。これはなぜだ?
 → もしかして,九州支配したところがそうなっているのではないか?(一般には西偏の時代)

(10) なぜ東偏なのか?もしかしたら,九州王朝が仕えた南朝がそういう制度だったのでは?
 では,南朝の都を調べてみよう。
 → 何やら怪しい点線があるぞ!果たして,南朝の都・建康(今の南京)は東偏(25度?)の都。
 それをマネしたに違いない。なぜなら,倭の五王が大和王朝だとしたら,「あなたに従います。
 位を上げて下さい」ってお願いしつつ,自分の国ではせっせと西偏の寺を建てている,
 というのでは大ウソだ。反対に倭の五王が九州王朝だからこそ, ご主人の都に倣って,
 東偏5度の寺院や街並み作るということは,自慢できることだし,誇れること。もしかしたら,
 「そうか,倭国は可愛い奴」と思われ,位が上がる期待も広がるだろうから,理屈にも合う。
 
 ※ 今朝,「朝飯前」に倭の五王のことを気が付きました。倭の五王が大和だった場合と,
 九州だった場合。単純だけど,説得力ありませんか?この時代,日本では西偏が普通。
 その中で東偏は目立つと思います。(しま模様が流行している時に,水玉模様の服を着る等)

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お腹がへったので,朝飯を母と食べてきます。(いや,母はとっくに朝飯を食べ,
何食わぬ顔をして,2回目の食事を狙っているかもしれません。
そこをどう推理して押しとどめるか。古代史と同様,難しい問題です。笑)

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