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2018年8月29日 (水)

未見の『武蔵国分寺跡発掘調査概報18』を求めて

これは上記の本を求めて1日国分寺の街を歩き続けた男と,
それを助けた図書館の司書さんたちのささやかだが,さわやかな物語である。
「ドキュメンタリー映画」のナレーションみたいだ!

(1) 元町図書館(国分寺駅南口徒歩10分)

とりあえず『武蔵国分寺発掘調査概報Ⅴ』を使って,第2~4目回の発掘内容を調べる。
第1回目がすごかったので期待したが,「市立第四中学校々地第8・17・38次調査の概要」
というのがそうなのだが,A4判でわずか8ページのもので,とても納得のいくものではなかった。
(苦心して,3枚のコピーに色ペンで彩色してみましたが)
「これはやはり,『18』がないとだめだなあ」と思って帰ろうしたが,
ダメもとで司書さんに相談してみた。
「『18』が見たいのですが,どこに行ったら見られますかねえ」
すると,Kさんという司書さんが,「ちょっと待ってて下さい。調べてみますね」と電話してくれた。
その結果,「ふるさと文化財課に1冊あるだけで,閲覧するとしたら,
恋ケ窪図書館になります」とのこと。(閲覧の予約をした)
あることがわかっただけで感謝である。「ありがとうございました!」

(2) 本多図書館(国分寺駅北口徒歩10分)

しかし,疑い深い私は,「もしかしたら,中央図書館である本多図書館にはあるかも・・・」
と考えて,念のために行ってみることにした。
しかし,『18』どころか,他の巻も見当たらない、
不審に思って司書さんに「閉架書庫に入っているのですか?」と尋ねると,
「うちは,中央図書館ということになっていますが,規模もそんなに大きくないし,
古代史については,手薄です」と,私に同情していっしょに探してくれることになった。
先程元町図書館で話題に出た恋ケ窪図書館に電話すること20分,
やはりそこにもなく,「直に見るには,武蔵国分寺跡資料館2階の
「ふるさと文化財課」の事務所に行くしかない}ということになった。

「いったいその事務所はどこにあるんですか」と私が聞くと,
司書さんは「お鷹の道はご存じですか?」と聞かれ,
私は「ええ,しょっちゅうそこらへんには出没していますから」(不審者みたい?)
「じゃあ,そこに武蔵国分寺跡資料館」というのがありまして,その2階が事務所です」

私「え~~~っ?」(開いた口がふさがらないという「間」)w(゚o゚)w

あのコピーもさせてもらえず,使い勝手が悪い資料館の,その2階が事務所だったとは・・・。
事実は小説よりも奇なり。本当に驚いてしまった。
(念のために付け加えておくと,コピーなし(なぜか写真はOK)と通説オンリーの説明以外は,
好きな場所です。瓦も展示してあるし,よく資料館だよりも出すし,もう何十回も行っている)
ということで,またまた図書館の司書さんのお世話になり,
道を遠しとせず,南南西に進路を取ったという次第。
「ありがとうございました!」

(3) ふるさと文化財課の事務所(本多図書館から徒歩20分)

階段を上り,ノックをすると,係長さんのような方が,『18』を持って待っていた。(笑)
どうやら本多図書館の司書さんが「これから行くと言っている人がいる」と,
予告の電話をしておいてくれたらしい。(もしかしたら私は,モンスター歴史研究者?)
ありがたい。用件をお話しして,30分程閲覧し,メモを取り,写真を撮影した。
(「あ~っ,コピーがしたいよう」とつぶやきつつ観察すると,10人以上の人が働いていた)
それらの情報は,別項で紹介する。
元町図書館で知りたかった,出土地なども補えた。

そして,「南部の正方位の九州王朝の役所中心地帯」(栄町の100m四方ともつながりそう)と
「北部の西偏している地元有力者の支配する役所地帯」を分けるを道(両脇に掘がある)が
あるように私には思えてきたが,その判断は読者の皆さんにお任せしよう。
私は今日調べたことを記すだけだ。
忘れていましたが,第1回調査のところで,実は瓦塔も2片出ています。(「早く言えよ」の声)
別に「隠し玉」していたわけではありませんが,
あの時は,役所(政治中心)に頭が働いていたので,刀子とかが気になった

(4) 国分寺四中資料館

スリリングな1日の最後は,国分寺四中資料館で過ごした。
「もしかしたら,この遺跡は古い時代に武蔵国府だったかもしれませんよ」
と言ったら,驚いていたが,「なるほど,そういうわけで,金銅製のバックル
(ただ今,他のところに出張中)が出たりするんですねえ。
バックルは当時,身分を表していたようですから・・・」と
『武蔵国分寺のはなし』(国分寺市教育委員会)のP140を見せながら話すところは,
なかなかの勉強家と見た。

「またいろいろ分かったら来ますね。
とりあえず今週末こんなことをやります」とすかさず出したのは,
9/1(土)の古代史講演会のチラシ。
(なにしろ,誰にでもあげられるほどいっぱいいただいたので)

この資料館には,いったい何回か立ち寄ったことだろう。
1人で何回も来た。社会科サークルでも来た。古田史学関係の人とも来た。
しかしここが,会津磐梯山のように「宝の山」だとは気が付かなかった
ふと気が付くと,鞴(ふいご)羽口やたくさんの刀子たち,須恵器や土師器たちが,
いっせいに私の方を見て,「ようやく大事なところに気が付いてくれましたね。
いつも素通りして寂しかったけれど,今後ともよろしくね」と
言っているのが聞こえたような,聞こえなかったような・・・。(笑)

「出土物はしゃべらない。それに語らせるのは,掘った人間の方なのである」
シュリーマンのお友達の肥さん

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ここで音楽,由紀さおり「夜明けのスキャット」をどうぞ・・・。
ルルルルル・・・・♪

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