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2018年8月31日 (金)

秦の咸陽城もわずかに東偏か

私としては,建康(南朝の都)が東偏の街並みだったことで,
論文24ページもすぐ印刷したのだが(もちろん目を通しました),
仮眠したら少しやる気を回復して,
「秦や漢の都くらいは質問に答えられるようにしておこう」と考え,
何件か検索してみた。
なかなか地図入りのものがなくて歯がゆかったが,
「これはもしかして・・・」というのがあったのでアップしてみる。

秦の咸陽城もわずかに東偏か

http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/image769000010%5B1%5D.jpg

(阿房宮は正方位に見えるのに対して)

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日本古代の墳墓と都城~位置と方位を中心として
宮原健吾さん・臼井正人さんのGISを使った研究を見つけました。

file:///C:/Users/koenumtakaharu/AppData/Local/Packages/Microsoft.MicrosoftEdge_8wekyb3d8bbwe/TempState/Downloads/kosh_024__361__349_360__361_372%20(1).pdf

こちらは,「度」に満たない「分」の範囲で正方位と考えていいようです。
しかし,その少し前には東偏の寺院や街並みを作っていた勢力(九州王朝)がいたということです。
今回川瀬さんと府中や国分寺の調査をして,
私の十八番の「おもいつき」に,少し「直観力」が付け加わったようです。
ありがとうございました。m●m

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※ 「无射志国荏原評銘文字瓦」という評制時代の瓦が見つかっているので,
もしかしたら武蔵国府や多磨郡衙は「无射志国府」や「多磨評衙」と,
武蔵国分寺は「无射志国府寺」と呼ばれていたのかも?

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コメント

興味深い地図だ。地図の上が真北であれば、

周の都もほぼ正方位。
秦の咸陽城は東偏5度くらい。
秦の阿房宮は正方位。
漢の長安城もほぼ正方位。
唐の長安城もほぼ正方位。

あとは洛陽城ですね。
秦の咸陽城。ここだけ東偏なのは場所のせいかな?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 地図の上が真北であれば、

そうなんですよ。それが悩ましいところです。

〉 あとは洛陽城ですね。

ちょっと調べてみますか。

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