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2018年8月30日 (木)

ふるさと府中歴史館にて 8/29

昨日も上記の場所で川瀬さんとお会いし,
研究の方向性についてアドバイスいただいた。

(1) 国分寺四中遺跡について,さらにグラフを改良する

グラフ化(視覚化)したことにより,遺跡の性格が見え始めたので,
さらにグラフの精度をあげ,追求していく。
とりあえず,後世の溝は邪魔なので色を付けない。
正方位と西偏7度のそれぞれの地図に,掘立柱建物(ピンク)と竪穴住居(青ペン)で色分けする。
さらに遺物については,★や■などの記号で示す。
それを使って,さらに分析していく。

(2) 武蔵台東遺跡(尼寺の北方)についても同様にする。

(3) 大國魂神社の東方域に,「東偏5度の竪穴住居」を「正方位の掘立柱建物」が切っている例を探す。

これで出土物から年代判定ができるが・・・。

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川瀬さんより,区画溝の精査から「国庁=国分僧寺のすぐ南説」が飛び出した。
これまで「府中刑務所付近説」だったが,国分寺四中の存在もクローズアップされたことで,
より近くに「300m四方の国庁」があるのではないかとのこと。
そこはすでに住宅が立ち並んでいるが,時々水道やガス工事もあるので注目していきたい。
国分寺四中遺跡の研究と共に,こちらも車の両輪として並行研究していくことが,
両者の精度をより高く上げると信じる。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ

 三番目のポイントが間違っています。
 私が提案したのは、
  東偏の掘立柱建物が竪穴住居を壊しているところがないか。
 です。
  遺跡の重なり具合から、東偏掘立柱建物群が正方位の建物群に先行することはわかります。でも東偏建物群の年代がわからない。
 これを確定する方法はいくつかある。
1:東偏掘立柱建物の柱穴から年代のわかる土器(須恵器・土師器)が出土。
2:東偏掘立柱建物が竪穴住居を壊していて、竪穴住居の床面から年代のわかる土器が出土。
 このうちの2を昨日提案しました。
 1があればよいのですが、すでに11世紀の土器が出土した例がありましたが、これは廃絶したあとの後世の混入と判断しました。

 この二つの方法は、市立第四中学校遺跡の正方位の建物や西偏の建物の年代や、武蔵台東遺跡の同様の建物群の年代、さらには武蔵台一丁目の遺跡の同様の建物の年代判定につかえるものです。
 考古学者が遺跡の建物の年代を判定する通常の方法ですが、なかなかこうした例は見つからないのが通例です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  三番目のポイントが間違っています。
 私が提案したのは、
  東偏の掘立柱建物が竪穴住居を壊しているところがないか。
 です。

すいません。間違えました。ご指摘ありがとうございます。
「建康は東偏の都だった」を書いていたものですから,
お返事が遅れました。

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