出雲国府跡
先日話題になった「出雲国府跡」を,インターネットで検索してみた。
ウィキペディア「出雲国府跡」
国庁跡が松江市大草町の六所神社周辺であることが判明した。国庁は、一辺167メートルの区画を大溝で区切り、その南半分に南北96メートル、東西72メートルの政庁区画を取り、その中に正殿・脇殿などを配置し、北半分も溝によって仕切られ官衙建物が並んでいたと推定されている。遺物では「大原評(こおり)□部□□」「進上兵士財□…」「□□二百代」などと記された木簡、「厨」(くりや)「酒杯」「少目」(しょうさかん)などと書かれた墨書土器、「門」「社辺」(こそべ)などの篦書き土器がある。「評」という木簡から、出雲国庁が大宝元年(701年)以前に溯って建造されたと考えられる。その他、柱の一部、軒瓦類、大量の食器類、硯、分銅、玉作用の原石、砥石、和同開珎(銀貨)、春という文字を刻んだ銅印などが出土している。
アンダーラインのところに注目してほしい。
7世紀の「評」が使われている=九州王朝が出雲国府を置いた可能性大なのである!
(もちろん今調査中の武蔵国府もそう考えている)
復元図があったらいいなあ,と思ってさらに検索すると,こんなものが見つかった。
インターネットの時代である。
出雲国府跡
http://www.siromegu.com/castle/simane/izumokokufu/izumokokufu.htm
さらに検索していたら,出雲国府付近で2つの銅印「常」「春」が見つかっているとの話題が出ていた。
http://www.izm.ed.jp/cms/news.php?mode=yoyakuadd&id=519
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