« 写真がアップできない | トップページ | 新々アパートの建設 8/21 »

2018年8月22日 (水)

古代史講演会の流れ案(かなり変更)

(0) 自己紹介

半年前まで中学社会の教員をやっておりました肥沼です。どうぞよろしくお願いいたします。
古田史学との関りは,『吉野ヶ里の秘密』で古田先生と再会したこと。
今から30年近く前のことです。それ以来著作の渉猟,講演会や旅行会への参加をしてきました。
いくつかの団体に会費を払い,研究紙を送っていただいたり,新古代学の扉のサイトを覗いたり,
数年前から,多元的「国分寺」研究サークルをブログで開設したり,
一番最近では「武蔵国府」の謎解きもやっています。

お近づきのしるしに手品を1つやらせて下さい。
手品「マジック・ワールド」の披露(手品の謎解きと歴史の謎解き)
最初は何も古代のことがわからなかった私たちも(白色),
古田先生によって九州王朝説他の謎解きをしていただき(白黒の絵),
それに私たちが研究を持ち寄る段階になってきた(カラーの絵)。
ぜひ研究を交流し合って,日本に世界に多元史観が広がっていくことを願います。
質疑の時間があったら,もう1つ別な手品(「エレベーター式!?トランプ」)がありますので,
よろしくお願いいたします。

(1) ONライン

今から25年くらい前,文京区の区民会館で,古田先生を中心に3年間いっしょに
2か月ごとに「ONライン」の研究をしました。

700年と701年の間を,画期と認定していいかということがメインテーマだったと思います。
2か月に1度でしたが,いろいろな話題が出て,また仕事が終わった後行われたこともあって,
半分以上(あるいはほとんど)頭に残っていないのですが,
しかし,結論としては,「やはりそこに画期がある」ということだったと思います。
なので,これは自然科学でいえば「法則」「原理」みたいなもので,
もっともっと活用すべきもののような気がするのです。

ーーー700年までーーーーーー701年から-----------
                
 (九州王朝の年号)    大宝(初めて大和政権が年号の建元)~
 (九州王朝の律令)    大宝律令~
 (九州王朝の評制度)   郡~
 (朝賀できず)        朝賀~
 (曲水の宴開けず)     曲水の宴~
 (九州王朝の冠位)     位記~
 (九州王朝時代の国印)  新しい国印の頒付~

PS ・・・ということは,大極殿で行われたクーデター事件(大化の改新)も,
その大極殿の所有者=九州王朝内の事件ということになるのかな?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

他にもいろいろあると思いますが,今日のテーマに即して言うと,
「全国6300キロに及ぶ古代官道を作ることを命じられるのは誰か」
ということになると思います。個々の工事は地方の王が分担してやらせたにしても,
たとえば,①幅12mを基準とすること,➁直進が原則,③基礎工事の高度な技術など,
国家的な命令がなければその統一性はないと考える。
その命令を7世紀半ばに出せるのは誰か。
それは,ONラインの考えによれば,九州王朝しかない。

ところが,6年前にNHKのBS2で再放送された「古代日本ハイウェー
~1300年前の“列島改造”」を観たら,「そんな大事業で,しかも緊急性のあることをできるのは,
天智天皇か天武天皇かみたいなストーリーでした。「いやいや,それは違うでしょう。
7世紀半ばは九州王朝が主権者だったのだから命令も九州でしょう」ということで,
私的ONラインの適用が始まった次第で,その後「古田史学会報」に書かせていただきました。。

しかし,「その後100年もすると,古代ハイウェーは使われなくなり,地下に埋もれた」と
NHKは続けました。そういえば,同じように廃棄された例があるぞ。吉野ヶ里遺跡は
「親魏倭王」=「反呉倭王」だったのが,魏が力を持った後はかえって魏からにら睨まれかねない
軍事要塞になるのだということを思い出しました。

唐の進駐軍が進駐してきたら,代々の王墓は破壊され,防衛施設だった神籠石遺跡は撤去され,
何の施設だったか分からない程にされている。(宗教施設かも?)
さすがに全国を結んだ6300キロの古代ハイウェーまでは破壊されなかったけれど,
軍隊の移動くらいしか用がない幅12mの道路は,修理されなければどんどん傷み,
やがて律令制の衰退とともに使われなくなっていったというのが私の仮説です。

もっとも溝と化した中央部は使われないが,そのハイウェー沿った道は使用され,
鎌倉時代になると東山道武蔵路に並行した鎌倉道が何本も存在し,
今はこちらの方が有名になっています。そういうのが21世紀の「今」なのだと思います。

まず小中学校で「一元史観」を刷り込まれ,引退後は再び地域の歴史の学習会から
「一元史観」を刷り込まれている現在。
古代日本ハイウェーが多元史観への橋渡しになることを願っています。

(2) 山田さんへの橋渡し

ところで,私が古代官道について考えていた時,どこがスタートでどこがゴールかなんて
あまり考えてはいませんでした。とにかくこんな巨大プロジェクトをやれるのは
九州王朝しかない,と。そして,私にとっては東京の横田基地と埼玉の入間基地の間を結ぶ
直線の幅広い道路(行政道路)は,軍用道路に決まっている。
便利ゆえに渋滞が絶えない道でしたが,最近いろいろなバイパスができました。
また,空を見上げれば軍用機が朝礼や授業時間にも飛んでうるさく,かえって冷房化が進む
という矛盾した話も起きてます。

では,西村さんの研究をさらに発展させ,古代官道についての認識を深めていただいた
山田さんに,これからの話をお任せいたしましょう。では,山田さん,よろしくお願いいたします。

« 写真がアップできない | トップページ | 新々アパートの建設 8/21 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 写真がアップできない | トップページ | 新々アパートの建設 8/21 »

2020年8月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          
無料ブログはココログ