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2018年8月16日 (木)

『日航123便 墜落の新事実 -目撃証言から真相に迫るー』

青山透子著,河出書房新社,2017年7月刊,1600円+税の
上記の本を教えていただいた。
インターネット検索したら,以下のような内容であった。

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先輩を失った元スチュワーデスが当時の警察・自衛隊・政府関係者、医師、遺族、目撃者らに取材を重ねた先に見えた新事実。墜落の真相解明に拘り続ける理由と事実を見つめる勇気を伝える。
日航機123便墜落事故原因に迫る新事実!
この事故は「事件」だったのか!?

1985年8月12日。日航ジャンボ機123便は、なぜ御巣鷹の尾根に墜落しなければならなかったのか──。

「この出来事を風化させてはならない。」三十三回忌を前に、その情熱が生んだ、真相究明に一石を投じる渾身のノンフィクション!

当時、生存者の一人である日航客室乗務員落合由美さんの同僚であった著者は、
この「事故」に今なお疑問を抱き、数々の目撃者の証言をもとに真相に迫っていく。
前著からさらに探査の精度が深まり、頁をめくるごとに次々と新事実が明らかになっていく
迫真の展開力で一気読み必至!

*本書が追求する問題点

●公式記録にはないファントム二機の追尾が目撃されている。
●日航機に付着した赤い形状のものが目撃されたが、それは何か。
●地元群馬県上野村の小中学校の文集に寄せられた子どもたちの目撃証言。
●米軍機が墜落地点を連絡したにもかかわらず、なぜ現場の特定が遅れたのか。
●ジェット燃料の火災ではありえない遺体の完全炭化から考えられるある種の武器使用の疑い。
●事故原因はなぜ意図的に漏洩されたのか。
●圧力隔壁修理ミス原因説への疑問。

疑惑の証拠隠滅につながる数々の証言をもとに、今まで隠蔽されてきた問題が次々と明らかとなり、
この事故が「事件」であった可能性が浮かび上がっていく。

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著者
青山 透子 (アオヤマ トウコ)
元日本航空国際線客室乗務員。国内線時代に事故機のクルーと同じグループで乗務。
その後、官公庁、各種企業等の接遇教育に携わり、専門学校、大学講師として活動。
東京大学大学院博士課程修了、博士号取得。

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読者の声
この本に寄せられた読者の声一覧

読んでいないのは、遺物は語るだけですが、御巣鷹山関係の本は30冊位読みましたが、
何かが外部からぶつかった可能性は否定できませんね。
それと、ケロシン以外の成分も見つかったという事は、何か不審です。
事故後のその日のうちに、上空をヘリコプターが旋回しているのを目撃していて、
捜索が、次の日の日の出からなんて----とにかく、怪しい事がたくさんです。 (郷 さん/55歳 男性)

横田の管制内なのになぜジャンボが消えるのかと信じられなかったことは覚えています。
でもこんなひどいことが行われていたとは。ショックです。
今も多くの事実が国民の眼から隠され続けています。
もりかけ疑惑、東京オリンピック誘致のわいろ・・一部の人が知っていても黙っていたら、
あるいは小さな声では、隠ぺい体質は変わりません。
みんなに知らせて声を大きくしなくては。声を上げる事さえできなくなる日が来ないように。
(まゆちゃんのばあば さん/64歳 女性)

本書を読んで居るうちにあの日の記憶が鮮明に戻ってきました。
母と家内が用意した夕食が一口も喉を通らずテレビの報道に夜中まで釘付けになっていました。
一時過ぎだったと思います。NHKか民放か覚えていませんがほんの一瞬、
事故現場に人間が降り立っている光景です。すぐにその画像は映らなくなりました。
大きな力にマスコミも屈したのだと今分かりました。日本中が隠蔽に加担したんです。
でも信じたいです。事件に関わった人が勇気をもって真実を語ることを。墓場まで持っていくのは
美談でも何でもなく間違った正義、悪魔の理屈にすぎないと思いました。
あの日、キャンセルした123便のチケット(家族4人分)を目の前に
呆然自失の自分がそこに居たことを思い出しました。合掌 (YKreds さん/ 男性)

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1985年8月といえば,先日の「34年ぶりの同窓会」を行った彼らと卒業式をした
翌年(26~7歳)の夏休みであった。

8月2日から10日までの8泊9日の赤門塾の第6回後山合宿を終え,
その足で10日と11日の野尻湖の陸上発掘に参加し,
自宅に戻って授業プラン「釧路の漁業~浮き魚と底魚」を作っていた日が当日だった。
あれから33年の歳月が流れた。

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コメント

1985年8月12日。
 あと10日で弟の命日。弟が事故で死んだのが1984年8月22日。
 いったい何が起きたのかとテレビニュースや新聞記事を追っていたが、不審なことばかりだった。
 母がとても気にしたのは、遺族の中に大勢の妊娠中の女性がいたことだ。
 弟の妻も、弟が死んだ時おなかに子供がいた。
 そして彼女もそのご何度も夫の後を追おうとしたが、おなかの子供が、そして周りが止めたので、事故から4か月後の12月5日に無事男の子を生んだ。
 このことが母の頭にあったのだ。
 この子達どうなるんだろうね・・・と。
 日航機の墜落からすでに33年。
 そして弟の事故死からはもうすぐ34年。
 墜落後生まれた子供たちもすでに32才。父を知らない子も32才。
 弟の息子もすでに33才。

 30年を超える時間は長いようであっという間です。
 弟の事故は幸い裁判で真実が明らかにされ事故を起こした側は責任をとりましたが、日航機墜落は事故原因は整備ミスということにされ、予測不能ということで製造会社も運航会社も責任を問われなかった。
 問われないはずですね。青山さんの結論は、原因を作ったのは自衛隊(+米軍)なのだから。
 尾翼を壊したのはテスト中の対空ミサイル。そして最後までジャンボに付きまとったのも対空ミサイル。だからすぐ自衛隊のファントムが追尾し、どこかに着陸させようとした。候補地は米軍横田基地だが市街地の空港に尾翼を失って操縦の難しい飛行機が着陸するのは危険すぎ、他の着陸地を探しているうちに高度を下げ過ぎて墜落。
 日米同盟を強化し軍拡路線を走っていた政府には、この事実をどうしても隠しておきたかったのだ。
 この結論に至るまでの著者の懇切丁寧な謎解き。
 ぜひご一読ください。
 当事者たちは今も複雑な思いを抱えているはずです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

事故だと思わされていたものが,実は事件とは・・・。
本は月曜日に届く予定です。

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