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2018年7月15日 (日)

武蔵国分寺の参道口 7/15

いつもと違うルートで,武蔵国分寺を訪ねてみた。

(1) 武蔵野線のJR北府中駅で下車

(2) 府中刑務所の脇を抜け,「刑務所角」を右折

(3) 9小のところで左折して,北へ

(4) 万作の木公園(武蔵国分寺の参道口)

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そのあと,武蔵国分寺へ。
鐘楼(礎石が1個だけ残る)が金堂・講堂の東に確定したようだ。
ということは,反対の西側に経堂ということになるのだろう。

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武蔵国分寺跡資料館に行き,川瀬さんから教えていただいた冊子
=『古代道路を掘る~東山道武蔵路の調査成果と保存活用~』(2017年3月刊,税込み700円)
を手に入れることが出来た。

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久しぶりのフィールドワークとなり,ノーミソが刺激され,
「なかった!」シリーズの続編が生まれそうな気配だ。(o^-^o)


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古田史学」カテゴリの記事

コメント

冠木門のように柱を差し渡してあると「鳥居」のようにもみえるので、こんどは「柱が二本」という図にしてありますね。
しかし、長野県長和町「豊受大神宮」の鳥居のように古式鳥居は柱二本に注連縄を渡してあります。
どこまでいっても「鳥居」は背後霊のようにつきまとってくるのです。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

三内丸山遺跡の巨大建造物の時も,
上がどうなっているかが議論されましたね。
他の国分寺の場合はどうなんでしょうか?

肥さんへ

南大門の遺構さえないような国分寺であれば、参道口の遺構の発掘は難しいのではないでしょうか。武蔵国分寺の参道口遺構は「こんなの発掘されなきゃよかったのに」という「ためいき」もあったりなかったりでは?
寺院の参道口に「鳥居ではないか」というような遺構は一元史観には「厄介なしろもの」だと思いますよ。なんたって「廃仏毀釈」(焚書坑儒に匹敵する行為)を行った思想ですから・・・。

 神仏習合の最も古い例が、八幡神と阿弥陀如来だ。そしてこの信仰の発祥は宇佐八幡宮にあるとされる。
 八幡神とは何かは諸説あるが、確実にこれは九州王朝時代に始まる信仰。
 ということは日本の寺院は最初から神社と一体であった可能性がある。
 日本書紀に伝えられるように、百済から九州天皇家に仏教が入ってきたとき、既存の神道との関係が問題視され、なかなか受け入れられなかった(百済聖明王が丈六仏や釈迦尊像を送った相手は九州王朝)。
 この話は九州の話と近畿の話が混在しているように読める。
 この信仰上の抵抗を融和・緩和するために神仏習合は始まったのだと思う。
 ということを考えてみれば、武蔵国分寺の参道入り口にある「二本柱」は鳥居と考えてもなんの不思議もないと思いますよ。

山田さんへ 川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

神道と仏教が「正面衝突」しないための知恵が,
神仏習合なのでしょうかね。
「おおざっぱ年表」にしてみると,

(1) 八百万の神の時代
(2) 仏教の登場(6世紀ごろ?)と両者の衝突
(3) 神仏習合の時代(1000年以上続く)
(4) 明治・大正・昭和前半(国家神道による「廃仏毀釈」など)
(5) 戦後の信仰の薄い時代

というようになるでしょうか。

ウィキペディア「神仏習合」

https://ja.wikipedia.org/wiki/神仏習合

肥沼さんへ
 今週水曜日に気になったので、武蔵国分寺参道口遺跡を訪ねてみました。
 北府中から肥沼さんが歩いたのと同じ道筋で。
 国分寺市が発行した東山道武蔵路のパンフの地図を見ながら歩いていたのですが、この参道口遺跡のすぐ東側に「薬師道」と呼ばれる道があり、これが現在の国分寺の山門につながる道になっているということです。
 そしてこの道は参道口遺跡の参道が、国分尼寺からの道にそって東南に曲がって大国魂神社から北に向かっている南北路(東山道武蔵路と平行の路)に接続しているのとはことなり、そのまままっすぐほぼ南に延びて、途中から現在の府中県道と合流して(つまり鎌倉路と合流して)府中宿に向かっていることに気が付きました。
 つまり古い参道口は東南に向かって「国府から北上した南北連絡路」に向かっているのに対して、中世にできた薬師路は、まっすぐ南にむかって中世の府中に向かっているのです。しかしこの違いの意味については、現在の大国魂神社の東の官衙遺跡を国府とする限り、説明することができません。
 なぜなら通説では古代も中世も武蔵国府・国衙は大国魂神社東側の官衙遺跡だと考えているのですから、国分寺と国府の連絡路が古代と中世とでつけ変わった理由を説明することは不可能だからです。
 私が以前考えたように、府中刑務所とその東の東京農工大学付近に国府があり、大国魂神社東の官衙遺跡は多摩郡衙だとすると、この道の変化の意味は良く説明できます。
 つまり律令国家がまだ維持された平安末には国府も維持されていたが、鎌倉室町期となって国家の統合力がなくなって国府は消えてしまった(東山道武蔵路も)。このため国府の機能は南にあった多摩郡衙が兼ねるようになり、やがて多摩郡衙の跡地にできた大国魂神社を中心とした府中の町が武蔵の国の中心となった。
 このため中世にも存続した国分寺から府中への連絡路として、参道をそのまま南に伸ばした薬師路が出来上がった。
 こう考えることができるのです。
 昨日府中郷土の森博物館に行って、現在わかっている限りでの国府復元のリーフレットを手に入れて、大国魂神社東の官衙遺跡が国府に相応しいか確認しました。この結果やはりここは大国の国府としては規模も小さいし(小国の国府程度)、並ぶ官衙の建物が、通例の国府のように東西棟の主殿の南側東西に、南北棟の側殿が並ぶという、朝堂院様式のコの字型の建物配置にはなっておらず、このリーフでも、国府に相応しい建物配置になっていないとしていることを確認しました。そしてこのリーフでは、大国魂神社東の官衙遺跡のすぐ近くに国府・国庁があるのではないかと推理していることも確認しましたが、こう考えてもふさわしい遺構は全くないのです。
 この官衙遺跡の東側に接する白鳳寺院は多摩寺と言い、多摩郡寺であることは確認できているのですから、その西に接する官衙遺跡は、多摩郡衙とするのが正しい認識だと再確認しました。
 博物館の学芸員さんがちょうど説明のためにいらしたので、この考えを披露したところ、それは同感だと。じゃあ、国府はどこかと逆に聞かれたので、北は国分寺国府連絡路と南北路の交点で、南は南北路と東山道武蔵路のそばの泉から伸びている斜交道路の交点。この南北やく1㎞の地点の、南北路の両側500mの範囲か、南北路の東側か西側の1キロの範囲と場所を指定し、この遺跡のない空白地帯こそ本来の国府の場所であると指摘しました。
 こう考えると、多摩郡衙がない謎と、大国魂神社東官衙遺跡からまっすぐ北に東山道武蔵路と平行にはば10mほどの古代道路が敷かれた謎(国分寺との連絡路なら西北方に延びるはず)、さらには東山道武蔵路の泉から東北に大規模な道が斜交道路として伸びる謎がすべて解けてしまう、と説明したところ、その学芸員さんは大いに納得して、「初めて聞いた話でとても興味を持った。東京農工大学の敷地を調べてみたい」と言ってくださいました。
 私もこの遺跡が存在しないとされている地域を精査してみたいと思っています。
 そして東京農工大のある地名が「幸町」であることが気になっています。
 この地名は戦後府中町の複数の字を統合して「幸町」としたのですが、こう名付けた理由がよくわかりません。
 あちこちの国府を調べたとき、国府の跡地に「幸神社」があり、これは「こふ」神社と呼ぶのであり「国府神社」が転化したものと理解されている事実を知っています。
 この幸町に「幸神社」があれば、どんぴしゃりでここが国府だったとの痕跡になるので、神社も探索してみようと考えています。
 
追伸:学芸員さんに話していて気が付きました。武蔵国分寺の創建瓦が素弁であれば、この寺は遅くとも650年頃の創建。そしてこの創建瓦と同じものが多摩寺の創建瓦なので、多摩寺も650年頃の創建。これは東山道武蔵路の年代とも一致しますし、上円下方墳の熊野神社古墳の年代とも一致します。さらに大国魂神社東官衙遺跡の創建瓦も武蔵国分寺と同じであることも確認できました。
 つまりこれらはすべて考古学的事実に基づけば、遅くとも650年頃までには作られたものであり、一斉に計画的に作られた可能性が高いということです。

追伸

 府中市幸町の遺跡について。
 ここも含む天神町遺跡というのがあって、そのうち東京農工大学の畑も含む幸町2・3丁目も遺跡となって発掘されている。この調査報告概要が、東京都の遺跡地図と奈良文化財研究所の報告書抄録データベースにあった。
 これによるとなんと、奈良平安時代の遺跡は、社寺と溝だと。
 掘立柱建物が16棟、柵列4・溝3、さらに緑釉陶器+銅製帯金具+鉄鉗+石製帯飾まで出ているし、瓦も出土している。さらに他の研究論文だがここから出た墨書土器に「天○女」の文字がある。
 この報告書「武蔵国府関連遺跡調査報告23 天神町遺跡調査報告3 国府地域の調査19」を府中のふるさと歴史館に行って精査してきます。
 
 幸町が武蔵国府である可能性が出てきました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 幸町が武蔵国府である可能性が出てきました。

これは大収穫の報告ですね。
ぜひ皆さんに知っていただきたいですね。
また,地図を持ってのフィールドワークもやりたいところです。

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