『葬られた驚愕の古代史』
合田洋一著,創風社刊,2800円+税の上記の本を,
昨日入手した。
副題に,「越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや」とある。
「伊予の古代」から始まった合田さんの探求は,
「越智国の発見」を経て,ついに「紫宸殿・天皇」地名に至っていく。
そのスタートが郷土史であることは私に勇気を与えてくれる。
郷土史 ⇄ 日本列島全体の歴史
この2つは別物ではなく,コインの表と裏のようなものだ。
郷土史の世界にとどまり,大和朝廷の神輿を担ぐことになってはうまくないし,
かといって「日本書紀」の迷路にはまって,郷土史からの視点を捨ててもならない。
日本書紀によって隠された(なかったかのようにされた)地域の歴史の復権も
郷土史が担っている仕事だと思っている。
幸い私は「東山道武蔵路」が住んでいる地域を通っていたことから,
「古代日本ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」ということに気が付くことができた。
そして,それと並行して「各地の国分寺は,九州王朝が作った「国府寺」がもとになっているのではないか」
という考えにも至ることが出来た。(多元的「国分寺」研究のスタート)
これらは郷土史と日本列島全体の歴史の間を,
行ったり来たりするなかで得ることが出来た認識であった。
しかし,まだこの謎解きは始まったばかりである。
これからもその探求は続く。
ぜひあなたのお力を貸していただけれは幸いである。
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-5a2f.html
« 糸井重里さんが語る「テレビとネット」 | トップページ | 西日本の記録的豪雨 »
「古田史学」カテゴリの記事
- 年輪年代により,土器編年を訂正(20年前の記事ですが)(2021.01.27)
- 払田の柵の柱の年輪年代について(2021.01.25)
- やはり入手しておくか(2021.01.22)
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
コメント