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2018年7月24日 (火)

武蔵国府候補地(府中市幸町)を歩く

先日はJR北府中駅から武蔵国分寺を目指したが,
今回はJR府中本町駅から,
川瀬さんがご推奨の武蔵国府候補地(府中市幸町)を経由して歩いてみた。
熱中症も心配されるので,常に「日陰者」として行動した・・・。

明治初期の字(小字)名地図では,
国府の所在地と思われる「こう」「こふ」みたいなダイレクトなものはないようだが,
その東隣の「天神道 → 天神町」は昔の小字名を活かしており,
やはり注目しておくべきだと思った。
また,「天神」というのも,九州王朝に関係ありそうな地名だ。

そのあと,武蔵国分寺に向けて北西に進路を取ったが,
印象として「平らな土地が続いている」という感じ。
東京農工大のキャンパスが東西に横長に広がっており,
もし武蔵国分寺の参道口から斜めに南東に下れば,
「おそらくキャンパスのどこかは横切るだろう」と思われた。
(出土物があるといいなあ)

Dscn2825

公営住宅3階より武蔵国分寺方面を眺める

Dscn2826

幸町の盆踊り大会の会場

Dscn2828

東京農工大の農学部の入口(実習用の土地もあるので,広大なキャンパス)

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東村山駅の駅ビルの本屋で,府中市の地図を購入した。
「府中市の地図」ではあるが,ナントありがたいことに武蔵国分寺もちゃんと掲載されている。
もし持っていなかったら,これは「買い」です。昭文社,800円+税。
1万分の1なので,1キロは地図で10cmとなります。

Dscn2831

Dscn2835

青いペットボトル・キャップが,府中本町駅。
白いものが府中市幸町(右)と武蔵国分寺跡(左)。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥沼さんへ
 東京農工大キャンパスも訪問されたのですか。事前に調べておいて本部に立ち寄って聞いてみればよかったですね。
 武蔵国分寺の参道が東南に延びて、国府遺跡(大国魂神社東官衙遺跡)からまっすぐ北に東山道武蔵路と平行に伸びた南北路とぶつかるのですが、その場所は、府中ふるさと歴史館でもらったパンフの地図と、ネットのグーグル地図とを重ね合わせてみると、まさしくそこは農工大のキャンパス内。
 正確な場所は、正門を入ってすぐ東側。本部の建物のすぐ北側。正門から東に行く道と、本部建物の西を真北に進む道の交点あたり。ここから古代道路跡と考えられる遺構が見つかっていると。
 ちなみに府中刑務所内からも古代道路あとがでていて、武蔵国分寺参道の東南の延長。場所は刑務所の北東の角。
 学園道路に面した場所です。
 もう一つ情報。
 東山道武蔵路と国府遺跡(大国魂神社東官衙遺跡)の北側を東西に延びる古代道路の交点(片町交差点付近)の谷には豊富な水がわく湧水があったのですが、ここから北東に延びる斜交道路があります。この道路は都営幸町一丁目アパート付近で先の南北路と交差して(たしかめられていません)そのまま北東に延びていると推定されています。この斜交路と、参道からの斜交路とがもし交差するとすれば、そのばしょは、東京農工大の農園。
 武蔵国府跡の候補地としては、東西に広がる東京農工大キャンパスの東側の部分だと思います。

 あと天神町の由来。
 ここの谷を南北に天神道という道路があったのでついた名前。この道は、府中大国魂神社の摂社である天神社に向かう参道とのこと。
 https://www.ookunitamajinja.or.jp/meguri/ten.php
によると、「大國魂神社東方約500m、宮町3丁目京所の東端、競馬場に面して小高い所にあり、そこを天神山といい欅の巨木数本がある。また別名丸山ともいい、その西北隅、日吉神社の北側に鎮座し、一間半四方の覆屋をもつ小社が北面する。北面の末社としては本社と共に数少ない社である。天神山は競馬場が移転する以前、もっと東方に延び、現在の倍以上の岡であった。一説に国造の墳墓跡ともいわれている。新編武蔵風土記稿に「除地二段、小社、祭神少名彦命」とある。この神は大國主命と義兄弟となって国土経営に当たった神として、国府に多く祀られている。天神山の東方から南方にかけて天地(天神の転訛)または天神下などという広い範囲に亙る地名があり、もとは相当の信仰があった。ここで近藤勇の天然理心流4代目襲名の野試合が行われた。」と。

 したがって武蔵国府候補地の東限がこの天神道が走る谷でしょうね。その西の河岸段丘面。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 東京農工大キャンパスも訪問されたのですか。事前に調べておいて本部に立ち寄って聞いてみればよかったですね。

また歩かれる際には,ぜひお声を掛けて下さい。当方.今年から時間はあるので。

〉 武蔵国府跡の候補地としては、
東西に広がる東京農工大キャンパスの東側の部分だと思います。

では,幸町3丁目辺りだということですね。

〉 したがって武蔵国府候補地の東限がこの天神道が走る谷でしょうね。その西の河岸段丘面。

昨日,天神道を歩いてきました。発掘も行われていました。

この情報を登録するをポチしてみました。

ところで幸町は
「こうまち」「みゆきまち」「さいわいまち」
何と読むんでしょうね?

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

〉 この情報を登録するをポチしてみました。

この言葉の意味がよくわからないのですが,
私のよくやるのは「さいわいちょう」ですね。
音と訓が混じっていますが…。

前半はコメント欄の件です。
やはり残っていました。
翔空と名前を打ち込む必要がなくなりました。


後半のひらめきは
幸町「こうまち」なら、国府こう→こう幸に変わって幸町になったのではないかということですが
全然関係ないですよね。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

名前が消える件。
「この情報を登録する」でOKですよね。
大きな問題が解決しましたね!

地名の変化の件。
「国府 → こう → 幸」という変化はあり得るので,川瀬さんともお話ししましたが,
どうやら個々の場合は,「蛇久保(「蛇」がたくさんいる「窪」地)」というあまり有り難くない名前を
イメージ一新する意味での改称のようです。

そうでしょうね。
国府町なら換える必要ないですね。

翔空さんへ
コメントありがとうございます。

ぜひ翔空さんも古代の研究をいっしょにやりましょう。
楽しいですよ~。認知症予防にも効果あるかも。(o^-^o)

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