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2018年6月11日 (月)

稲荷山古墳鉄剣~銀30%と銀10%との境目

文章でやりとりしていても,読者にはわからないでしょうから,
蛍光X線の論文に載っているグラフを載せることにしました。

Dscn2262

「剣先の方が銀が多い(30%)ので固く,
手元の方が少ない(10%)ので柔らかい」とかの話をしていることになります。
純金に近い色合いを出すには,少ない方がいいということですが・・・。
もちろん金象嵌の貴重品を実用していたとは思えませんが,
「実用」&「鑑賞」の両方兼ね備えていたのかもしれません。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ
図でわかりやすくなりました。

剣を(実用でないとしても)鞘なしで贈答するということがないとすれば、
剣先の方が鞘と多く接触することになると思います。
普段抜いた形で飾ってあったとしても、
鞘に納めることが全くないとは考えられません。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

きっといろいろ考えて,「この方法でいこう!」と思ったのでしょうね。
金象嵌というと,どの文字も均一の金の含有率で書いたと思っていたので,
それがまず驚きでした。
他の金象嵌の考古遺物は,どうなんでしょうね?

肥さんへ
これ「剣」(両刃)とありますが「直刀」(片刃)の様に見えます(中央側が刃)。

もしそうだとすれば、右利きの人が多いとすれば、
刃を地面側(下)に向けて鞘に納めようとすれば、
刀身の左側(図では右側にある方)が鞘と余計こすれます。
そこまで考えて造られているのではないでしょうか。
これが左右の違いの理由だと考えました。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

なるほど,「金象嵌・・・剣」ではなくて,「金象嵌・・・太刀」というわけですね。
じーっと眺めていると,そのようにも見えますね。

 刀身がこすれるという問題を離れて、もう一度文章のほうから表面と裏面の純度の高い金で象嵌した箇所を考えてみました。
 表面。乎獲居臣の先祖七人のうち、4代・5代・6代の三人。つまり乎獲居臣の祖父・曾祖父・高祖父の三人。
 裏面。此百練利刀記吾奉事根原也。つまりこの百練利刀を作った目的の部分。言い換えれば自分が「獲加多支鹵大王寺」を「左治天下」していることとその由来を示すためにこの刀を作ったという部分。
 表面はこの刀を作らせた目的だから純金に近い金糸を使って強調したとしても理解できる。では裏面の三人は。
 ここはこの三人がこの関東の大王の「杖刀人首」として特に重きをなした人だったからと理解するしかないですね。
 以上のように象嵌された文面の内容から考えてみると、上記の部分だけが、白銀に輝く刀身に燦然と黄金色に輝いて見えるようにした意味が理解できるように思います。
 以上「文面からは理解できない」とした私の前の考えを訂正します。
※追伸:なおこの文面には「剣」ではなく「刀」と書かれています。鉄剣の形からすると刀の可能性もたしかにありますね。古田さんも『関東に大王あり』の中でこの「刀」の文字に注目していました。第15夜。p161~165。古田さんは鉄剣自体は「剣」であり両刃だとして考察されていました。作刀者が剣と刀を区別していない。文字が「刀」ではなく「刃」。ほかに三本刀が出ているから、この銘文で示した「百練利刀」はこの銘文入りの鉄剣ではなく他の直刀である。この三つの可能性を指摘していました。
 山田さんのお考えのようにこの「鉄剣」が「鉄刀」だとするとこの問題がすっと解決してしまいますね。 
 たしかに銘文を示した写真だけ見ていると、刀の可能性はありますね。直刀である可能性。これは断面を見てみれば一目瞭然だとは思いますが。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんと山田さんに検討していただいて,
私の「気が付き・思いつき」も少しはお役に立てたようです。
今後ともよろしくお願いいたします。

肥沼さん。
 もう一つ確認すべきことがあります。
 それは、この金象嵌のある鉄剣は、ふだんどのように使用されていたかということ。
 鞘につけられていた豪華な金銅製の飾り金具も出土しているので、これは実用品ではなく「飾り」だと思います。ということは普段は腰に下げるのではなく、どこか目立つところに置いて飾っておいた。
 この飾る際に、鞘から抜いて金文字が見えるようにしたのか、鞘に入れたままにしたのかが問題です。
 いつも抜いたままなら、別に鞘にこすれることを考える必要もありません。普段は鞘に入れていて必要があれば抜いて金文字を見せるのであれば、鞘にこすれることも考える必要があるでしょうね。

 ただここを確認する方法がありません。
 これを推測するに一つ方法があります。鉄剣の墓の中での埋蔵状況です。
 つまり鉄剣が鞘から抜かれて抜き身で置かれていれば、普段もそうだったと。逆に鞘に納められていたとすれば、普段から鞘に入れて飾られていたと、考えることが可能です。

 ネットでしつこく検索してみましたが、この出土状況を示したものは一つしかありませんでした。
 http://kodakana.hatenablog.jp/entry/2017/10/20/215651
 このサイトには当初金象嵌が発見されなかった理由として「刀身には錆と木製の鞘が膠着しており」とあるので、これが正しければ鉄剣は鞘にいれておかれたということです。

 最終的には発掘報告書で確認しないといけませんが、金象嵌の鉄剣は、普段は鞘に納められて飾られていたと考えて良いようです。
 
 ここから金の純度の違う金糸が使われた理由を説明できるかどうか。
 出土状況からの普段の使用状況の推測も、あくまで推測なので、やはり理由は不確定です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私の「気が付き・思いつき」からいうと,
鞘に収めて「あの世」へ持っていくのかなと思います。
墓を閉じてしまえば,「この世」に誰も見る人はいませんし,
鉄剣(鉄刀?)の保護の観点でも都合が悪い。

となると,逆に生前は「鞘」時々「鞘外」で,
特別な場合には人に見せ,普段はしまっておくということではないか。
これは単なる「思いつき」で「気が付き」ではありませんが・・・。
(私たちも普段大事なものに対してそうすると思うので)

肥沼さんへ
 たしかに通常私たちは、大事なものはしまっておき、特別な場合に人に見せますね。この観点からすれば、金象嵌の入った鉄剣は普段は鞘の中に納められ、特別に自分の権力を誇示する場合に鞘から抜かれて人に見せられたと考えるのが常識的判断です。
 ならばなぜ誰にも見られないあの世に鞘に入れたまま持って行ったのか?
 刀身に鞘が付着していたという発掘事実ならこういう疑問が出てきますね。
 でも逆に、あの世に自分が普段使っていたものや持っているものを持っていくという行為の意味を考えてみると、それはあの世でも普段と同じように暮らすという意味だったのではないかと思われます。
 そうであるならば、普段通りに、金象嵌の鉄剣は鞘に入れてあの世に持っていかれた。
 こう理解してよさそうだと思います。

 ということは結論として、金象嵌の鉄剣は普段は鞘に納められており、特別の場合だけ鞘から出されたと結論づけられそうです。
 つまり、鞘から剣の出し入れの回数はそれほど多くはなく、鞘にこすれて金象嵌がはがれる危険は少ないと結論づけられます。
 したがって論理的結論としては、金の含有量の多い場所がいくつかあった理由は、その文字列だけを強調したかったからという結論が導き出されますね。
 ただしこの場合でも銀30%の金糸の輝きと銀10%以下の金糸の輝きが異なり、前者は白銀色で鉄剣の地の色に紛れ、後者は黄金色なので鉄剣の地の色の白銀から浮かび上がるということが事実でないと、「強調する」ということになりませんね。
 結局肥沼さんが最初に出した「銀30%と銀10%の金糸の色って本当に違うの}という問いに戻ってしまいましたが。これは実物を見ないと何とも言えませんね。
 ネットで検索すると、金糸の金の含有量まで忠実に再現したレプリカがあるようです。このレプリカの実物を見るか、その色味まで忠実な写真で確かめるかを、したいものです。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  ネットで検索すると、金糸の金の含有量まで忠実に再現したレプリカがあるようです。
このレプリカの実物を見るか、その色味まで忠実な写真で確かめるかを、したいものです。

それは,行田市の埼玉古墳群の資料館なのでしょうか,
それとも別の所なのでしょうか?
でひ出かけて見てきたいと思いますが…。

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