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九州王朝の「東大寺」問題(1)・・・古賀さんの問題提起

「古賀達也の洛中落月日記」に上記の話題が掲載されました。
先日の古代史懇親会の報告も兼ねられていますので,転載いたします。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1667話 2018/05/10

九州王朝の「東大寺」問題(1)

 一昨日の東京出張では、代理店やお客様との夕食の予定が入らなかったので、
肥沼孝治さん宮崎宇史さん冨川ケイ子さんと夕食をご一緒し、
夜遅くまで5時間以上にわたり古代史談義を行いました。

そこでの話題は、『論語』の二倍年暦、多元的「国分寺」研究、九州王朝の「東大寺」問題、
そしてわたしが5月27日の多元的古代研究会主催「万葉集と漢文を読む会」で発表予定の
「もう一つのONライン 670年(天智九年庚午)の画期」など多岐にわたり、とても有意義でした。

 中でも精力的に多元的「国分寺」研究に取り組んでおられる肥沼さんとの対話には大きな刺激を受けました。
古田学派の研究者で進められている多元的「国分寺」研究の成果はいずれ『古代に真実を求めて』で
特集したいと願っていますが、そのためにはどうしても避けて通れない研究テーマがあります。
それは九州王朝にとっての「東大寺」はどこかという問題です。

 大和朝廷による国分寺の場合、その全国国分寺の「総本山」としての東大寺がありますが、
もし九州王朝による「国分寺(国府寺)」創建が先行したのであれば、
同様に九州王朝にとっての「東大寺」が九州王朝の中枢領域(筑前・筑後)にあってほしいところです。
ところがその九州王朝「国府寺」の総本山にふさわしい寺院が見つかっていないのです。
しかも、この問題についての古田学派内での研究を見ません。
この問題抜きでの多元的「国分寺」研究特集は完成しないとわたしは思うのです。(つづく)

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 九州王朝の「国府寺」の総本山に相応しい寺とはどんなものなのだろう?
 古賀さんは「天下立評」に相応しい都という問題を提起して、これには前期難波宮の大規模な朝堂院の前庭こそふさわしく、太宰府政庁の前庭や、それ以前の宮の前にはではふさわしくないと言った。
 この前提には、「天下立評」という国政の大改革なのだから、大規模な儀式があったはずだから、宮殿も、中国に倣った大規模なものではなくてはふさわしくないとの思い込みがあった。
 九州王朝の東大寺。
 こういう問題の立て方をしてしまうと、巨大な大仏を備えた大仏殿を金堂とした大規模寺院でなければ九州王朝の「国府寺」の総本山に相応しくないとのバイアスを人々に与えてしまうと思う。だから豊前の小倉山に大仏殿があったのを大和に移設したなどという根拠のない妄想が生まれるのだと思います。
 たとえば太宰府の観世音寺では相応しくないのでしょうか?

投稿: 川瀬 | 2018年5月14日 (月) 00:30

その通りですね。古田先生がお元気だったころ、このように、後の時代から、前の時代を推論するのを反映方と呼び、直木さんがされていたが、問題があると、言われていました。古賀さんは、会のホームページと、会報、それと、定期出版である雑誌を利用して、一方向への集約を図っているように見えます。個人の仮説を誉めて認めて、人間関係を作り、掲載機会を増やしながら、古賀シンパを形成していくのが目的なんでしょう。会の本来の在り方を無視した巧妙な私物化に見えます。皆が川瀬さんのように冷静で有ってほしいものです。

投稿: 川瀬さん、上城です。 | 2018年5月16日 (水) 11:55

上城さんへ
 おっしゃるとおりです。
 古賀さんは会のホームページとご自身のブログの使い方を誤っていますね。自分の主張とこれと近い人の主張を一方的に「正しい見解」として流布する。ネットは本来双方向の発信が基本で、対等に討論できる道具なのに。
 そして会の機関紙や雑誌をつかって「一方向への集約を図っている」。
 その通りだと思います。
 さらに、「個人の仮説を誉めて認めて、人間関係を作り、掲載機会を増やしながら、古賀シンパを形成していくのが目的」。見事な分析ですね。
 肥沼さん。この古賀さんの「策謀」気が付いていないですね!
 雑誌に論考を掲載されて舞い上がっていてはいけない。

 証拠は如何に?と聞きたいと思いますが。ありますよ。
 「多元的国分寺研究サークル」に古賀さんや正木さんは私たちの激しいしかも実証的な議論が展開されているなかで一度も登場しませんね。コテンパンに批判されることがわかっているからです。
 「古田史学の継承のために」でも一度服部さんが登場しましたが大下さんにコテンパンにやられて引っ込みましたね。
 今回服部さんが「多元的国分寺研究サークル」に登場しましたが、古賀さんの前期難波宮九州王朝副都説を前提にして素弁瓦を持つ寺院の全国展開を解釈してはいけないと私が突っ込んだら、途中からコメント欄ではなく、私への個人メールに切り替えようとしました。
 この方たちは、公開の場で対等に議論できないのです。

投稿: 川瀬 | 2018年5月16日 (水) 12:20

川瀬さんへ 上城さんへ
コメントありがとうございます。

もう「夢ブログ」に掲載するのは,これくらいでいいでしょう。
私が多元的古代に関する話題を書くと,どうもうまくないようです。
でも,書きたい時は書くつもりですが,
今度からはよく考えてから書くことにします。
議論の続きは,「国分寺」か「継承」でお願いいたします。

投稿: 肥さん | 2018年5月16日 (水) 16:05

お心遣い感謝します。

投稿: 肥沼さん。上城です。 | 2018年5月16日 (水) 16:39

肥沼さんへ
 「夢ブログ」で議論されるのはいやだということでしょうか。議論は当然ながら、議論の当事者だけではなく、関係する他の人の批判がなされる。
 議論が嫌なのでしょうか。
 それとも他の人が批判されるのが嫌なのでしょうか。
>どうもうまくないようです。
 とは何が「うまくない」のでしょうか。
 やはりここをはっきりさせる必要があるとおもいますね。論争に対する肥沼さんの立場も含めて。

 古賀さんのブログの紹介をするということは、しかも批判的コメントなしでするということは、当然、古賀さんの意見を支持しているとうけとられること、これくらいはご存知ですよね。
 もしかして、こうした微妙な問題を考えずに書かれているのかも。
 おかしな意見が出されているときは、それが肥沼さんのものであれ、他の人のものであれ、私は即座に批判的コメントをします。これを避けていては、何も明らかにならず、議論も進みませんから。
 
>でも,書きたい時は書くつもりですが, 今度からはよく考えてから書くことにします。
 これが良いと思います。

※やはり、「肥さんの古代史ブログ」がもう一ついるのかな?肥沼さんが古代史について自由に考えたりつぶやいたり、他の人の意見を紹介するブログが。「夢ブログ」はやはり肥沼さんの心のつぶやきのブログです。主たる関心が古代史に向いている今は、どうしてもここにも古代史の話題が出てきますが、「夢ブログ」とは別のブログがあったほうが、すっきりするのかもしれません。
 そろそろ「古田史学の継承のために」のブログを閉鎖して、肥沼さんがもう一つのブログを開設できるようにする方が、お互いの精神状態にとって良いのではないでしょうか。
 「古田史学の継承のために」には古賀さんらは出てこないと思うし、大下さん・上城さんと私との議論もほぼ煮詰まっていると思うので、当面の役割は終えたかな。
 とりあえず「古田史学の継承のために」ブログの閉鎖に備えて、すべての議論をコピーしてファイルにしておきました。とりあえずは、ワード文書かpdf文書にして、私のサイトから見られるようにはしておこうかと思っています。
 もし古田さんの方法論を継承した議論の場が必要だと思えば、どなたかが別のブログを開設してくれないでしょうか。私は近代史に専念したいので、古代史ブログを開設する気はありません。他の方が開設した議論の場があれば、行きがかり上、コメントするだけです。
 「多元的国分寺研究サークル」のブログは、国分寺研究を軸にして古代史全体について議論する場になる可能性はあるとは思います。

 肥沼さんのブログの場ですが、「古田史学の継承のために」ブログ発足の経緯からして「夢ブログ」とは無関係ではないので、この場を借りて意見を述べました。
 肥沼さん、大下さん、上城さん。
 ご意見をお聞かせください。

投稿: 川瀬 | 2018年5月16日 (水) 17:15

古代を考えるのは自由である、それを発信するのも自由であるという人もいるでしょう。しかし、それは、川瀬さんのような人がー川瀬ーの考えとして発信する場合だけでしょう。古田史学という看板を使い、その看板のもとで発信するのは、それなりの責任が伴うものであると思います。私は、その点で川瀬さんと同じ考えです。私は古賀さんが、古田史学という名前を使用するのをやめて古賀史学としてスタートするまで、批判をやめません。偽ブランド品は許されないと信じるからです。そして、偽ブランド品を扱うSHOPにも気付いてほしいと思っています。

投稿: 川瀬さん、上城です。 | 2018年5月16日 (水) 23:35

肥沼さん・上城さん・大下さんへ

 とりあえず、私のサイトに「ブログ古田史学の継承のためにの論争の成果を保存するサイト」を設置しました。昨年の末までの議論の様子と成果をすべてダウンロードできます。
 アドレスは、
 http://www4.plala.or.jp/kawa-k/huruta.htm

 一度覗いてください。これでこのブログを閉じることは可能です。ご検討ください。

投稿: 川瀬 | 2018年5月17日 (木) 16:32

川瀬さん、肥沼さん、上城さん

この一年間いろいろなこと起きて、皆さんのブログに参加できませんでした。ようやくすべて整理がついて一段落したところで、これからまた古代史の勉強に集中したいと思っていますので宜しくお願いします。

さて5月13日の肥沼さんの古賀説紹介から5月17日の川瀬さんの提案まで読ませていただきました。川瀬さんの「学校を変えよう」に保存されたファイルを見ました。きれいに整理して頂き有難うございます。
そして川瀬さんの「“ブログ古田史学の継承のために”は当面の役割を終えたので閉鎖する」との提案に賛成します。

小生もこの一年間、“古田史学の会”について考えていたのですが、次のような問題が見えてきました。

<A.古田先生の学問とは>
1)古田先生ご自身の定義
 ・わたしの学問は「実証的帰納法的方法」による(『多元的古代の成立』上、解題)。
 ・“一次史料(同時代の文献史料、金石文、考古出土物)から出発して、厳密な
  論理展開を進めてい く”手法をとる。
・具体的な学問研究の進め方については「わたしの学問研究の方法について」
  『邪馬一国の証明』 角川書店、1980年などで、詳しくそれぞれの場面に
  おける考え方やルールが示されています。

2)古田先生の学問の成果
 ・この実証主義的手法を使い、1300年間「虚構の日本古代史」の裏に隠されて
  いた本当の日本の歴史を炙り出すことに成功されました。

3)外部からの評価
 ・1973年に家永三郎氏が「日本古代史研究に投じた一石」『朝日ジャーナル』
  VO.15,No.50の中で“新しい実証主義の台頭”と小見出しをつけ、古田先生の
  学問を「史料批判の厳格性を極限までおし進めながら、“正統”歴史像を根底
  からくつがえす方向に積極的な主体性を発揮する 新しい実証主義」と評価を
  下されています(『新古代学』第七集、新泉社、2004年に再掲)。

 ・新しくは今年5月に発行された『多元会報145号』において草野善彦氏は
  「学問は実証より論証を重んじるについて【Ⅰ】」の中で、“ヨーロッパでの
  シュリーマンのトロア発掘から “歴史学的実証主義”は始まり、今の世界は
  科学的実証主義的歴史学(ただし一元史観の考古学はニセモノ)と なっている。
  古田先生の学問はその流れの中にある【大下意訳】“と位置付けられています。
 
<B.現在の「古田史学の会」>
1)実証より論証を重んじる
 ・仮説より出発し、実証は後追いで見つける(古賀達也「学問は実証より論証を
  重んじる」 『古田史学会報127号』2015年4月)。

 ⇒これは古田先生の学問の方法とはまったく真逆の手法ですが、これをいつの
   間にか「古田史学の神髄」などと位置づけて、古田先生の学問の内容を
   すっかり自説にスリ替え、古田史学の名のもとにネットを使い大々的な
   キャンペーンを行っています。

2)現在起きている問題
・一部の会員は古賀説に賛同し、古賀説を補強する仮説を次々と発表しています。
 そして古賀説とそれに賛同する説だけが「古田史学」の何において会報やブログ
 で紹介されています。
このため「古田史学の会」の実態は完全に古賀史学にスリ替わってしまったかの
 感があります。

 ・しかし、古田先生の学問を熱心に勉強されてきた方からは異論が唱え始められて
  います。その例がこの4月にネット上で行われた次の論争です。

3)「孔子の二倍年暦」論争。
・棟上寅七「棟上寅七の古代史本批評」VS 古賀達也「『論語』二倍年暦説の
  史料根拠・洛中洛外日記」における論争。
・この論争は今年1、3月発行の東京古田会会報178号、179号掲載の両氏
  論文の継続のような形で進められました。
・普通に読めば『論語』は一倍年暦で書かれていて、その記述に何ら矛盾はない
  のに、古賀氏が何の根拠もなく、無理に『論語』は二倍年暦で記されている
  として論を展開しているのを、古くからの 会員である棟上氏が異論を唱えた
  ものです。
・ブログにおける両者の説を読んで見ると、棟上さんが丁寧に根拠を示して
  疑問点を呈示している に関わらず、古賀氏は自己の仮説にこだわり、これを
  正当化するための“こじつけ”が延々と展開されているのが、よくわかります。

⇒古田先生の二倍年暦は
・「記紀」に150、160台の天皇年齢が記されている。
・継体天皇の年齢が「記紀」で倍違っている。
・『魏略』に「その俗正歳四節を知らず、ただ春耕秋収を計して年紀となす」と、
  あることから倭人は 「二倍年暦」という仮説を立て、そしてパラオを訪問し現在
 に残されている「二倍年暦」を自分 の目で確認され自説の実証をされました。

 という論理で展開されています。

古田先生と古賀氏の「二倍年暦」説はまったく似て非なるものであることがよく
 わかります。
 
ところがなぜ、今のように古賀説に賛同する人が存在するのでしょうか?

<C.学校教育における「ディベート」の手法>
 ・小生の子供がまだ小さい時、今度学習会でやる「ディベート」に出るというので
  見学にいったこと があります。
 ・そこで行われていたのは「議論が正しいかどうか、それは問題ではなく“、
  いかに相手をいい まかすか!”」といういうことで、この手法が学校教育に取り
  入れられていたのです。

 ・議論とは正しい結論・合意に導くためのものと思っていたのに驚きました。
 ・「古田史学の会」ではこの「ディベート」の手法が取り入れられているのです。
 ・最近いわれている「ポスト真実」というものです。この「ポスト真実」という時代
  の風潮に流されている人が、古賀説の信奉者になっているのだと思っています。

 ・「古田史学の会」では“真実を求める”ことではなく、自説を正当化するために
  相手を“論破”し“言いくるめる”ことが最優先になっているのです。

 <D.結論>
 ・長く時間がかかりましたが皆さんのおかげで「古田史学の会」の現状が
  はっきりと見えてきました。
 ・「ブログ古田史学の継承のために」のおかげです。このためこのブログは
  “当面の役割を終えた”」と思っているものです。

 ・「“古代に真実を求めて”や“古田史学”は“建前”で“本音”は“古賀史学”」という、
  日本人の根底にあると思われる“建前と本音”が見事に使い分けられている
  ことがよく理解できました。

(今後の進め方について)
 ・現在の「古田史学の会」の考え方では、まともな論を呈示しても、議論がまったく
  かみ合わず、無駄に時間を過ごすだけなので、これからは、古田先生から
  教わった「正しく歴史を見つめていく」手法で前向きに歴史の勉強に取り組んで
  いきたいと思っています。

 ・ただ「古田史学の会」の多くの会員は、真面目に歴史研究に取り組んでおられ
  るので、現在の「古田史学の会」の執行部の動きに対しては都度その過ちを
  指摘して、皆さんに正しい情報を送り届けることは必要かなと思っています。

 ・具体的な進め方については、上城さんとも相談し考えていきたいと思っています。

 (肥沼さん・川瀬さんへの御願い)
 ・国分寺研究について、小生も本格的に参加させて欲しいと思っています。
  以前ブログを読み始めたのですが、膨大な量のため途中で訳が分からなくなり
ました。
 ・今までの研究成果を都度まとめられたものがあれば教えて欲しいのですが。
 ・もしなければ、第一回目の立ち上がりのブログに到達するにはどのように
すればよいのでしょうか。教えて下さい

投稿: 大下隆司 | 2018年5月21日 (月) 17:16

大下さんへ
コメントありがとうございます。

「夢ブログ」での歴史の話題は,
最近「肥さんの「多元的古代」気がつ記・思いつ記」に移動しました。
(「肥さんの」&「気づき」「思いつき」中心です。
「継承」サイトは保存のため削除しませんが,その場を私が個人ブログとして使います。
かなり方針は違います)

「肥さんの「多元的古代」気がつ記・思いつ記」

koesan21.cocolog-nifty.com/keishou/

私は「〇〇派」とか「××派」の対立のことはよくわかりません。
だから,双方正しく思えます。
ただ,戦いのようで楽しくありません。

自分の関心のあることしか取り上げませんし,
全部のコメントを丁寧には取り上げないサイトだと思って下さい。
酷いと思ったら,コメントもアップしません。
だから,公平なサイトではありません。
そんなサイトになっていますが,本当はそうでないことを祈っています。
(この一ケ月で大きく変わりました)

〉  ・国分寺研究について、小生も本格的に参加させて欲しいと思っています。

ぜひよろしくお願いいたします。

多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-5a2f.html

投稿: 肥さん | 2018年5月21日 (月) 18:02

大下さんへ

<多元的国分寺研究サークル>サイトについて

>・今までの研究成果を都度まとめられたものがあれば教えて欲しいのですが。
 ・もしなければ、第一回目の立ち上がりのブログに到達するにはどのように
すればよいのでしょうか。教えて下さい

1: 残念ながら、今までの研究成果をまとめたものはありません。武蔵国分寺については、私のサイトにまとめたものがあります。ここに初期の議論の成果はあります。
 http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kodaisi.htm
 ここの1~14です。
2: 第一回目の立ち上がりのブログに到達する方法。
 「バックナンバー」で2016年9月に戻ることができます。あとは順次⇒8月⇒7月⇒6月⇒5月⇒4月⇒3月⇒2月⇒1月と戻っていくと、2016年1月24日の「多元的「国分寺」研究サークルの誕生」の記事から順番に読むことができます。

※今気が付きました。一足飛びに最初に戻れるよう肥沼さんがリンクしてくれていましたね。

投稿: 川瀬 | 2018年5月22日 (火) 13:33

「○○派」「××派」の対立に見えていたなら、肥沼さんの言うようにどちらも正しく見えるかもしれません。しかし、私も川瀬さんも大下さんも、1プラス1は2であり、それを、詭弁を弄して3と主張してはいけないと、当たり前のことを言っているだけです。それを派閥対立の図式で捉えないでほしいと思います。これは学問の場のことです。自ずから、正否は存在するものです。

投稿: 肥沼さん。上城です。 | 2018年5月22日 (火) 16:05

上城さんへ
コメントありがとうございます。

〉 これは学問の場のことです。自ずから、正否は存在するものです。

だから,もう「古田史学の継承のために」の私の役割は終わったわけですよね。
(昨年10月から大きな動きがないようですから)
もう私が気楽に思いついたことや気が付いたことを
書ける場を返していただきたいと言っているのです。
これのどこか間違っていますでしょうか?

今は誰でもサイトは無料で開設できるのですから,
論争はそちらの方でお願いしたいのです。
上城さんでも,川瀬さんでも,誰でも結構ですので,「新たな論争の場となるサイト」を開設していただけたら幸いです。
私も自分が論争したい時には,そちらに参加させていただくかもしれませんので・・・。

投稿: 肥さん | 2018年5月22日 (火) 22:06

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