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2018年5月 5日 (土)

肥さんが歩くと「人」と「本」に当たる

古田史学のメンバーも,
古瓦について少しずつ研究が進んできて
多元的「国分寺」研究も加速しそうだ。

また,服部さんの「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」の出現が,
肥さんの退職を待っていたかのように私たちの眼前に「出現」し,
アクセルを踏むタイミングを感じる。

ということで,またまた肥さんの悪いクセが出て,
武蔵国分寺詣でが(「伊勢参り」に言ったせいでもないだろうが)始まった。
いつもは僧寺→尼寺という順で廻るのだが,昨日はレディーファースト。
尼寺→僧寺の順にしてみた。すると,そこには・・・
新しい「人」と「本」との出会いがあった。

「人」・・・小平四中の資料館に入った際,
武蔵国分寺跡資料館の学芸員の方とお話しでき,
私たちの多元的「国分寺」研究の話をしたら興味を持ってもらえた。
その後,武蔵国分寺跡資料館へ戻るというのでご一緒し,
「私は,東山道武蔵路から始まって古代官道の研究をしています」と
ちょうど持っていた『発見された倭京~太宰府都城と官道』をお見せした。
さらに資料館について,「フラッシュ禁止ということは,
そのまま撮影すればいいですよね」とお願いし,
展示ケースの中の素弁蓮華文軒丸瓦を撮影させていただいた。
私には「地方だから遅れて伝播した」「文様も稚拙です」というより,
「初期の素朴性」を感じるのだが,いかがだろうか。

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「本」・・・Yさんが下記の本を紹介して下さった。「こんな本が最近出ましたが・・・」
有吉重蔵編著『古瓦の考古学』(ニュー・サイエンス社,3000円+税)である。
2018年3月20日発行というから,まだ出来立てのほやほや。湯気が出ていそうな本だ。
もちろん一元史観で書かれていることは間違いないが,古瓦の入門書として使える。
また,武蔵国分寺跡資料館にいたらしく,ここの軒丸瓦の編年みたいなものもしているようだ。
これも741年の聖武天皇の国分寺建立の詔に影響されているに違いないが,
それを承知でたたき台にすればいいのではないかと思う。
取りあえず「通説の様子を知る」ことは大切だ。

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

考古調査ハンドブック⑱   古瓦の考古学 

概要

本書は、考古学の重要な資料である瓦の基礎知識から最新の研究成果を第一線の研究者が紹介します。
近年の多くの発掘調査を踏まえ、古代(飛鳥・白鳳期)から近世の瓦に至る様式の変遷を詳述する他、
琉球や朝鮮三国の瓦にも章を割きます。さらに最新の研究成果として、武蔵国分寺瓦の研究、
東国間における地域間交流についても詳述します。

はじめに

Ⅰ.瓦の基礎知識(有吉重蔵)
1 瓦の種類
基本となる瓦/道具瓦

2 瓦の名称

3 瓦のふるさと
中国の瓦

4 瓦研究の目的と方法
瓦研究の目的/瓦の型式分類と留意点

5 瓦研究の主要課題
文字瓦の研究

Ⅱ.古代の瓦作りと生産(河野一也)

1 古代瓦を読み解く

2 瓦の観察からわかる瓦作り
胎土/焼成/男瓦/女瓦/鐙瓦/宇瓦

3 瓦窯の構造

その他の瓦焼成窯

Ⅲ.瓦の変遷と特徴

1 古代の瓦 飛鳥・白鳳期(藤木 海)
飛鳥期における瓦作りと瓦工/白鳳期における革新と地方への展開/初期の瓦生産体制

2 古代の瓦 奈良・平安期(大橋泰夫)
多様な瓦当文様の展開/製作技法の変遷と特徴/都城と地方の関係 ―平城宮式瓦の広がり―/官寺・官衙の瓦生産/瓦と荘厳化政策/瓦工房の検討/今後の瓦研究

3 中世の瓦(原 廣志・比毛君男)
研究史的回顧/中世瓦の変遷 ―中世都市鎌倉と東日本の様相を中心に―/中世瓦の特徴/生産と廃棄との関連/諸史料にみる中世瓦

4 近世の瓦(近藤真佐夫)
近世瓦の沿革/多様化する近世の瓦/時代ごとの様相/瓦の調達

5 琉球の瓦(長嶺 操)
古琉球の瓦と出土遺跡/瓦から見た古琉球/浦添城跡の高麗系瓦/崎山御嶽の大和系瓦/近世琉球の瓦/近・現代の瓦/瓦に関する事項

6 朝鮮三国の瓦(酒井清治)
東アジアの瓦/高句麗の瓦/百済の瓦/新羅の瓦/朝鮮三国瓦・中国南朝瓦の日本への影響

Ⅳ.瓦研究の課題と方法

1 武蔵国分寺瓦の研究(有吉重蔵)
国分寺瓦研究の意義/国分寺の構造と変遷/国分寺瓦の変遷/瓦から見た国分寺の諸相

2 陸奥国古瓦の系譜と東国(眞保昌弘)
瓦からみる陸奥国の歴史的位置/有稜素弁8葉蓮花文鐙瓦/山田寺系単弁8葉蓮花文鐙瓦/山王廃寺系複弁7,8葉蓮花文鐙瓦/川原寺系複弁 6 葉蓮花文鐙瓦/多賀城系重弁8葉蓮花文鐙瓦(多賀城様式)/陸奥国古瓦の様相と中央集権的国家の展開

おわりに

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武蔵国分寺跡資料館とJR西国分寺駅の間には,
数百メートルにわたって東山道武蔵路の規模がカラーのアスファルトで示してある
(道路部分が赤色,側溝部分が黄色)
もう何回も通った道だが,昨日は夕日を浴びて,
少なくない「収獲」をかかえて歩く肥さんがいた。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

>有吉重蔵編著『古瓦の考古学』(ニュー・サイエンス社,3000円+税)

最新刊のご紹介ありがとうございます。
さっそく注文いたします。

第一線の研究者の視点はまた違ったものがあるかも知れません。
一元史観であっても「はたしてそうか」と考える方もいると思います。
世の中には教えられた通りに覚える“優等生”ばかりとは限りませんから。

肥さんへ

>展示ケースの中の素弁蓮華文軒丸瓦を撮影させていただいた。
 私には「地方だから遅れて伝播した」「文様も稚拙です」というより,
 「初期の素朴性」を感じる

全く同感です。
私見では「稚拙」と書いてあれば、
その見解は「考古学的見解ではない」と考えて良いと思います。

寺院の軒先を荘厳に飾る瓦は、現代工芸家の個人作品ではありません。
地方にせよ中央にせよ権力が(財力も)関わって造営されたものです。
権力は個人ではなく、集団でしかも構造(構成員の上下関係)を持っています。
瓦工が個人的にデザインしたものではありません。
こんな単純なことも理解していないのが「稚拙」という評価・見解です。
全く「考古学」とは無縁の見解です。
こんな方は美術評論家にでもなられたら良い。
考古学者にも美的センスが必要だとは思いますが、
「稚拙」と言ったらもう考古学者ではありません。

厳しい言い方になりましたが、私はそう思っています。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 最新刊のご紹介ありがとうございます。
さっそく注文いたします。

ご賛同いただき,ありがとうございます。
二人で目を通せば,複眼的に読めるかもしれません。

〉 第一線の研究者の視点はまた違ったものがあるかも知れません。
一元史観であっても「はたしてそうか」と考える方もいると思います。
世の中には教えられた通りに覚える“優等生”ばかりとは限りませんから。

まだ発行したばかりで,「先駆者効果」が起きました。
また,紹介して下さった若い学芸員さんにも,感想が言えるので,楽しみにしています。

〉 「稚拙」と言ったらもう考古学者ではありません。

お~,それは名言です。 

肥沼さんへ
 武蔵国分寺出土の瓦の撮影。ありがとうございます。
 「素弁蓮華文軒丸瓦」を撮影したと言われますが、画像を見ていて「単弁」とされているものも混ざっているように思われます。展示品の説明版の文字がよく見えないので。
 最初の写真:一番左は「単弁」と判断されたものではないか。花弁の輪郭線が二重になっているので、これは子葉を表現したと理解されたものか。二番目三番目も同じ。素弁は一番右だけと判断されていると思う。一番左が単弁八葉蓮華文軒丸瓦。これが創建期とされたもの。左から二番目が同じく単弁八葉蓮華文軒丸瓦だが位番目より少しあとの時代とされたもの。三番目は単弁六葉蓮華文軒丸瓦でこれが再建期とされたもの。一番右だけが素弁六葉蓮華文軒丸瓦で、ここでは一番新しいもので、飛鳥時代の素弁のリバイバルで文様が崩れたもの(稚拙な文様)とされている。
 二枚目の写真:上段の三つはすべて「単弁」。下の二つだけが「素弁」
 三枚目の写真:この三枚はすべて「素弁」とされたものだと思います。
元の写真で確認していただけないでしょうか。
 私は、国分寺市教育委員会発行の「見学ガイド 武蔵国分寺のはなし 改訂二版増補版」所収の瓦の写真と説明をみて、これを書きました。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

すいません。書き方が良くなかったですね。
「素弁だけ」ではなく,「素」「単」の混じった写真です。
デジカメの画面的には鮮明に撮れたと思ったのですが,
やはり文字の部分まではっきり撮影するには
一枚一枚撮らないとだめですね。
でも,川瀬さんの判断で正解だと思います。
確か四,五個が「素弁」でしたから・・・。

川瀬さんへ

パソコンの表示の仕方を「画面いっぱいまで広げる」というのと,
最後のは「指定された大きさに表示する」(ただし,全体は入らない)でやってみました。
最初のよりかなり大きく表示することができましたが,
文字まで鮮明にするには,やはり一枚一枚撮る必要がありますね。
でも,上記のような手があることがわかって良かったです。

肥沼さんへ
 画像を大きくみられるようにしてくれてありがとう。
 この画像の中の最後の画像。素弁八葉蓮華文軒丸瓦ですが、これとそっくりのものが石田氏の著作の「坂田寺」にありました。
 こちらは六葉でしたが、意匠がそっくりです。
 この武蔵国分寺の瓦は飛鳥時代の素弁瓦ではないでしょうか。
 この瓦がどの場所から出たかが確認したいですね。
 創建塔と仁王門の国師館から出た瓦は、これらの写真でいうと一番最初の写真の左側の単弁とされたもの。でもこれは「素弁」ではないか。
 「武蔵国分寺のはなし」では「子葉が明瞭ではないが、輪郭線の内部が盛り上がり、単弁とみなすことができる」とありました。
 でも花弁を二重線で表しただけで子葉があるとは思えません。
 武蔵国分寺の瓦は「単弁」とされたものの見直しが必要ですし、それぞれの瓦がどの場所から出土したかの確認も必要です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  武蔵国分寺の瓦は「単弁」とされたものの見直しが必要ですし、
それぞれの瓦がどの場所から出土したかの確認も必要です。

それぞれの軒丸瓦には№リングされているはずですから,
どの建物で出土したのかは調べればわかるのではないでしょうか。


肥沼さんへ
 肥沼さんは気が付いておられるのかな?
 この写真には複弁蓮華文軒丸瓦が一つもないことを。ここにあるのは素弁と単弁だけ。その単弁もどうみても子葉が表現されていないので、素弁だ。
 そして素弁は飛鳥時代の瓦。 飛鳥時代の中ごろには単弁が出現し、末から次の白鳳時代に複弁が。そして奈良・平安時代は複弁の時代だ。
 武蔵国分寺は、奈良時代中ごろの聖武詔で建立され、平安時代の835年に七重塔が「神火」で焼け、10年後ごろには再建されたと考えられている。なのに複弁蓮華文軒丸瓦がない。今のところは、創建期も単弁で、再建期も単弁、そしてその後素弁がリバイバルと。
 こんなおかしなことはあるのでしょうか。
 今まで考えられてきた武蔵国分寺の歴史(文献による)なら軒丸瓦は複弁でなければいけない。これがまったく出土しない。ここを考古学者はどう解釈したのだろうか?たしか最終報告書の「遺物編」と「考察編」がすでに出版されていますよね。
 私たちの遺構を元にした考察では、塔は真北を向きしかも一度基壇を拡大したかのような跡がみられる。そして「金堂院」は、中門から伸びる回廊の中に講堂も金堂も僧坊も含まれるという極めて古式の伽藍形式。塔が回廊の外にあるから一応新式に分類されているが、これは「金堂院」より先に塔が作られていたからこうなっただけで、本来は回廊の中に塔も置かれたのかもしれない。本来は「金堂院」は中門から伸びる回廊の中に、塔も金堂も講堂も僧坊も立てられる伽藍配置、もしかしたら飛鳥寺式であったのかもしれないです。そして塔は中門から伸びる回廊の中に、塔が東で金堂が西に並んで置かれ、その北に回廊の途中に講堂をおく法起寺式かもしれない。
 こんな古式の伽藍が奈良時代に立てられるわけがないと考えていたが、出土軒丸瓦が素弁と単弁(しかも素弁と考えることができる)だけなら、古式の伽藍が飛鳥時代に二度の時期に分けて作られ(つまり、最初に塔、そして西に金堂院)たと考えた方がよさそうだ。となると平安時代に塔が落雷で焼けて再建されたとの記録そのものも疑わしくなりますよ。
 武蔵国分寺の瓦をしっかり調べないといけない時期に来ているのかもしれませんね。

訂正
 坂田寺の素弁の瓦は「素弁七葉蓮華文軒丸瓦」で武蔵国分寺のそれは「素弁八葉蓮華文軒丸瓦」でした。坂田寺の瓦は、石田さんの著作の「図版」に載っています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  肥沼さんは気が付いておられるのかな?

それはすぐわかりました。
最近では見学をする時,
「素弁」「単弁」「複弁」の割合がまずチェックポイントですからね。

そして,『武蔵国分寺のはなし』にもそれは触れられています。
「武蔵国分寺から,複弁は出土していません」と。
なのに,それが疑問視されていないようです。
こちらとしては,「疑問視されていないこと自体」が疑問ですが・・・。

「武蔵国分寺に,〈複弁〉はなかった!」と題名を付けたいところです。(笑)

肥沼さんへ
 この写真の一枚目に並べられている軒丸瓦の正体がわかりました。
1:一番左:創建伽藍の瓦・単弁蓮華文軒丸瓦(南多摩国府系鐙瓦)
2:その右:創建伽藍の瓦・素弁蓮華文軒丸瓦(平城宮系鐙瓦)
3:右から二番目:再建伽藍の瓦:素弁蓮華文軒丸瓦
4:一番右:再建伽藍の次の段階の瓦:素弁蓮華文軒丸瓦
 1~3については、福田信夫さんの『鎮護国家の大伽藍』のp82~84に写真と解説あり)。
 4は『武蔵国分寺のはなし』のp103にあり。
 興味深いことは、『武蔵国分寺のはなし』では、2・3の瓦を「単弁」としていること。福田さんの本では、1だけが単弁で他は全部素弁としていることです。
 この福田さんの分類に従えば、武蔵国分寺の瓦は火災で塔が焼け落ちる前の創建時も、火災後の再建時もすべて素弁瓦で出てきていることです。ということはこれらの「素弁」瓦は、奈良時代平安時代の「リバイバル」と判断されているということなのです。この判断が正しいかどうかが問題の核心となります。
 服部さんの仮説では、「リバイバル」とされた素弁の中で「シンプルな・簡素な」ものは600年前後の飛鳥時代と考えるべきだとありましたので、武蔵国分寺の一連の素弁瓦がそれに相当するかと。
 しかし「平城の甍」や「奈良文化財研究所の考古第三研究室の古代の瓦」で示されたように、奈良時代の中ごろに「リバイバル」した「単弁」瓦は、「華奢な」とか「外縁の文様をなくした」と書かれているように、とても「シンプルな・簡素な」ものです。つまり服部さんは「リバイバル」では「華美に装飾したもの」はあるが「シンプルなもの」はないとされたが、「単弁」では奈良時代の中ごろにシンプルなものが復活しているとしている。
 どちらが正しいのだろうか。
 気になるのは、奈良時代の中ごろとは聖武詔の時代であり、東大寺が建立された時代だということ。
 聖武の時代に、シンプルで華美な装飾を排した「素弁」「単弁」が復活している可能性あり。この復活の理由はなんであろうか?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  この写真の一枚目に並べられている軒丸瓦の正体がわかりました。
1:一番左:創建伽藍の瓦・単弁蓮華文軒丸瓦(南多摩国府系鐙瓦)
2:その右:創建伽藍の瓦・素弁蓮華文軒丸瓦(平城宮系鐙瓦)
3:右から二番目:再建伽藍の瓦:素弁蓮華文軒丸瓦
4:一番右:再建伽藍の次の段階の瓦:素弁蓮華文軒丸瓦
 1~3については、福田信夫さんの『鎮護国家の大伽藍』のp82~84に写真と解説あり)。
 4は『武蔵国分寺のはなし』のp103にあり。
 興味深いことは、『武蔵国分寺のはなし』では、2・3の瓦を「単弁」としていること。福田さんの本では、1だけが単弁で他は全部素弁としていることです。

研究者の中でも見解が分かれているのですか。
福田さんは,やはりなかなかの方ですね。
本とページの明示,ありがとうございます。
現在「にわか引越し」のため,主要文献が母屋に行ってしまっていて,確認に時間が掛かっています。

〉 聖武の時代に、シンプルで華美な装飾を排した「素弁」「単弁」が復活している可能性あり。
この復活の理由はなんであろうか?

私は川瀬さんのお話を読んでいるうちに,「ルネサンス」のことを思い出しました。
「古き良き時代」「手本にすべき時代」という意識が,瓦の文様にも表れたのではないかと。
(もともと神武が九州出身というのは,隠していないのですから・・・)

肥沼さんへ
〉 聖武の時代に、シンプルで華美な装飾を排した「素弁」「単弁」が復活している可能性あり。
この復活の理由はなんであろうか?

 聖武の後期難波宮では、面白い軒丸瓦が使われました。当時流行していた「複弁」の華美な装飾の瓦ではなく「重圏文」という瓦です。これは同心円状に複数の円が描かれたものですが、最も初期の平瓦(飛鳥時代・斑鳩寺で初めて出現)がこの「重圏文」(ただし平瓦ですから同心円の弧の部分)なのですよ。彼の難波宮は、その前の前期難波宮の遺跡を破壊せず(火災で燃えた掘立柱などを残して)、その中庭にすっぽり入る大きさに宮殿を縮小して建てたものです。この後期難波宮の在り方は、前期難波宮が「天武期」の物と考える一つの根拠となっており、こう考えると、聖武は祖先である天武の業績を高らかに保存するという立場(それを復活するという立場)に立っていた可能性があるのです。
 これは聖武が「王者としての正統性」を疑われた天子だからです。
 彼の母は藤原氏であって、彼の対抗馬である長屋親王のように、両親ともに天皇家というものではありませんでした。その上、しかるべき身分の妻に跡取りとなる皇子が生まれていなかった。
 だから自分が高貴なる祖先(天智・天武)の血統を引くものであると高らかに宣言せざるをえなかったわけであり、こう考えると、彼の難波宮が「古式」の瓦を持っていた理由も明らかになります。
 奈良時代中ごろに「単弁蓮華文軒丸瓦」が復活したというのはこういうことだったのではないか。
 単弁が出現してすでに100年以上。次の複弁が出現してすでに70年ほど。
 単弁の瓦は、当時流行の複弁の前の瓦。天智や天武の時期が単弁の末年(複弁の出現期)です。
 聖武の時代の「単弁の復活」は、まさにルネサンスですね。
 この奈良時代の中期に復活した「単弁」瓦がどんなものか確認しようと思います。もしかしてこれは、武蔵国分寺で、「単弁」とされている瓦なのかもしれませんね。
 「平城宮系」とか「東大寺系」と呼ばれている。
 リバイバルとされている素弁もこの関連でとらえないといけないのかもしれません。
 とにかく、服部さんの「リバイバルとされた素弁瓦のうち、シンプルなものは600年前後と捉えるべきだ」との仮説が成り立つのかどうなのか。ここが大事なところであります。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 単弁の瓦は、当時流行の複弁の前の瓦。天智や天武の時期が単弁の末年(複弁の出現期)です。
 聖武の時代の「単弁の復活」は、まさにルネサンスですね。

歴史上で「昔の良き時代に帰れ」というと,
最初に思い出したのがルネサンスでした。

〉  とにかく、服部さんの「リバイバル」とされた素弁瓦のうち、
シンプルなものは600年前後と捉えるべきだ」との仮説が成り立つのかどうなのか。
ここが大事なところであります。

なかなか難しいものですね。
でも,少しずつ研究は前進しているように思います。
さらに深くやっていきましょう。

肥沼さんへ
 本日時間があったので、武蔵国分寺遺跡と資料館を訪問してきました。
 展示されている軒丸瓦それぞれが遺跡のどこから発掘されたかは、これをまとめた資料がないとのこと。展示品についていた№は単に管理番号であって、発掘品につけられた番号とは別とのこと。
 展示品それぞれがどこから出土したかは、各年度の発掘報告書の図版と照らし合わせないとわからないとのこと。
 そして多くの瓦は、瓦溜といって江戸時代に耕作に邪魔だから拾って穴を掘って埋めたところからでるか、あとは基壇の化粧石代わりにしたり、基壇の積み石や基壇強化のまめに版築土の中に入れたものが多いと。 
 つまり瓦の出土場所からは、その瓦がどの建物に使われたものかは特定しずらい。
 可能な場合は、それぞれの形式の瓦がどこから出たかをすべてのデータを集めて考察すればわかるかもしれないが、こうした作業をまとめる「遺物編」の出版は大幅に遅れていていまだ編集中としかいえない。
 ということでした。
 素弁と判断された瓦は平安時代の再建期以後に分類されているそうで、最後の写真の素弁八葉蓮華文軒丸瓦とよく似たものが、飛鳥の坂田寺から出土しているという話は初めて聞いたと解説してくれた学芸員さんはいっていました(まだ若いかただ)。
 ただ創建期・拡充期・再建期の瓦がどの窯で焼かれたということや、他の寺院の瓦との同はん関係についてはかなり研究されていて、特に注目されているのは、埼玉県最古の寺院とされる勝呂廃寺(創建は7世紀後半と判断されている。創建瓦は素弁蓮華文軒丸瓦)と同じ瓦が出ていること。また瓦は造寺司の指揮のもとで行われるので、それぞれの瓦の型(はんという)を造寺司が持っていてそれで寺に必要な瓦を各地の窯に焼かせた可能性があるので、異なる遠い地域の寺院の瓦が同じ型(はん)から作られたという現象が起きていると考えているなど詳しく説明してくれました。さらに瓦を焼いた窯は通常は須恵器を焼く窯で瓦専用ではなく、大規模な造寺があると国府から発注されて作ったようだということ(のちにはそれぞれの窯に瓦専用の窯が作られた例もあるとのこと)、さらに瓦を焼く陶工は渡来人の可能性があること、こうしたことも説明してくれました。
 以上報告です。
 「遺物編」が出版されるのを待つしかないですね。
 それまでにできることをやっておきましょう。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

川瀬さんが歩くと,「大量の瓦情報が集まる」でしたね。

〉 「遺物編」が出版されるのを待つしかないですね。
 それまでにできることをやっておきましょう。

そうですね。そうしましょう。
武蔵国分寺への訪問,お疲れ様でした。

追伸
 一つ書き忘れました。
 現在の武蔵国分寺の瓦の編年は、「国分寺市史」の第一巻に詳しくあるそうです。この編年に基づいて資料館の展示はなされているとのこと。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 現在の武蔵国分寺の瓦の編年は、「国分寺市史」の第一巻に詳しくあるそうです。
この編年に基づいて資料館の展示はなされているとのこと。

時間がある時に図書館に行き,コピーしてみます。
何ページくらいなのでしょうか。

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