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2018年4月 3日 (火)

国分寺・国分尼寺のルーツは,隋に倣った九州王朝の二寺制か?

「国分寺・国分尼寺」と私たちは2つを並列させて書くが,
これは隋の文帝の二寺(僧寺と尼寺のペア)建立の影響を受けたものらしい。
(唐の制度ではないということ)

となると,以下のように考えられないだろうか。

(1) 7世紀初頭の隋の時代・・・九州王朝(多利思北孤)が隋の文帝の二寺制から学び,
 各国府に二寺を建立した(国府寺?国府尼寺?)

(2) 8世紀半ばの唐の時代・・・大和王権(聖武天皇)が国府寺に「七重塔」を作らせ,
 「金泥の経」を納めようとした

これまで国分寺・国分尼寺の二寺のルーツがはっきりしなかったが,
九州王朝が遣隋使を送って隋から学ぼうとしたものの一つがこの二寺制であったと私は思う。
皆さんはどうお考えになりますか?

【参考文献】

吉田和彦「国分寺国分尼寺の思想」(須田勉・佐藤信編『国分寺の創建 思想・制度編』)

隋の文帝と独孤皇后

www.geocities.jp/wtbdh192/html/eiyu-dokkokougou.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 同じアイデアを以前読んだ記憶があります。
 以前古田史学会報に載った今井さんの国分寺論を検討した時に見た、「九州古代史の会」の論文集『「倭国」とは何か』の第三章、庄司圭次著「誰が国分寺の制度を作ったか」の中に、倭国王多利思北孤がそ創設主体だと論じる根拠だとして隋朝仏教治を説明した項があったと思います。
 たしかここに隋の文帝の二寺(僧寺と尼寺のペア)建立のことが先行例として書かれていたような。
 1万冊を超える本の山の中にこの本が埋もれてしまって探し出せません。肥沼さんの国分寺関連の本棚の中にあるとおもうので、確かめてみてください。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

『古代史論文集・「倭国」とは何か』(同時代社)の
第三章・庄司圭次「誰が国分寺の制度を創(作)ったか」の中に,
この話題は出てきていて,私も読み,線も引いていました。
1年間のブランクの間に,すっかり忘れていましたが・・・。
(なお,この本は,目次には「創」を,本文には「作」を使用しています)

その中で,隋の文帝の二寺制度のこと。
この官寺制度を周も唐も継承したことなどが出ていました。
また,最後の方に,「国分寺の制度を創った王は二人」として,
タイ国王(多利思北孤)と大委国王(上宮大王)の名が出ていました。
7世紀の古式の百済様の伽藍配置にも二種類あることに疑問を持ち,
そこから上記の結論を導き出されたようです。
この本は九州古代史の会の編集で,倭国にも2つの政権(兄弟統治?)が
あったとする考えの人たちが多いのではないでしょうか。(室伏志畔さん等)

※ 「新・古代学の扉」のサイト内検索では,庄司圭次さんの名前で検索しても,
「誰が国分寺の制度を創(作)ったか」で検索しても,ヒットしませんでした。

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