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2018年4月19日 (木)

「皇大神宮儀式帳」について

伊勢神宮の内宮を20年ごとに建て替えることを「遷宮(せんぐう)」というが,
そのことが書いてあるという「皇太神宮儀式帳」について調べてみた。

神社支庁のサイトに,遷宮について簡単に書いてある。

「遷宮について」

www.isejingu.or.jp/sengu/aboutsengu.html

「なぜ20年に一度建て替えるのか」という理由は,よくわからないようだ。
私は技術を伝えるためには,寿命の半分ぐらいが新旧交代に
ちょうどいいからと思うが,いかがだろうか。

いずれにしても,なぜ持統天皇が第1回の遷宮をしたのは,
一元史観では永久に解けない謎である。

多元史観なら,「それはね。王朝が替わって,新しい王朝が前のやり方を踏襲したのだよ。
日本書紀は前王朝の九州王朝を隠しているので,何で7世紀末までと8世紀初頭からに
大きな変化があるかがわからないが,
中国の日本国(大和王朝)承認で一挙に政権のありかが替わり,
それまで九州王朝がやってきた儀式や行事を大和王朝がやるようになった。
それが持統天皇と文武天皇のところのONライン(700年・701年)で,
大宝年号は大和が初めて建元した年号だ。
「続日本紀」のそのあたりには「はじめて~した」という記事が多いのだが,
それは日本で初めてというより,
わが大和王朝では初めて行ったとみた方がいい。
そうそう,天皇の即位の儀式である大嘗祭も持統から
完全な形で主宰するし,それと同じように遷宮も持統から行えるようになった。
結論を先に言えば,その前は,九州王朝が行っていたのだが,
それは「この国は昔から大和王朝が治めてきた」という
「日本書紀」には口が裂けても言えないことなんだ。
だ・か・ら,誰が始めた知らない(というか本当は知っている)が,
今は大和王朝がやっていますよ」という記事にはご用心というかか,
謎解きのカギかあると思うんだ。」

川瀬さんの「主語有無の論証」と
肥さんの「誰が始めたかわからないが,今は大和がやってます」
(始まり不明,今大和のテーゼ)をうまく活用して,
古代史の謎解きをいっしょにやりませんか?(o^-^o)

※ 主語有無の論証・・・日本書紀を読む際,天皇が主語になっている場合と,
省略されている場合がある。後者の場合,九州王朝の天皇の可能性があるというもの。

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コメント

 皇太神宮儀式帳を全部読んでみましたが、式年遷宮についての20年に一度と定められていることと、その儀式の詳しい次第が書いてあるだけで、いつ最初に行われたかの記述はありませんでした。
 たしかに伊勢神宮のサイトなどでも690年としていますが、その根拠となる史料を明示していません。
 いったい何に基づいているのでしょうね?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

私にもわかりませんが,
私が以前勘違いをして,690年を20年遡って670年に創設としたように,
第2回は710年に行われたので,第1回は690年にした,などということはありませんかね。

伊勢神宮の式年遷宮の最初が690年だとの問題。
 ここはひとつ伊勢神宮に直接電話して、根拠となる史料を教えてもらうのが一番の早道だと思います。
 まずは「皇大神宮儀式帳」を肥沼さんご自身も確認されると良い。
 ちなみに「皇大神宮儀式帳」はネット検索すれば、京大と確か高知の図書館?のサイトで原本をみることができますが、返り点などない「白文」の漢文なので慣れていない人は読みにくい。
 ちゃんと返り点を入れてある論文をみつけました。
 皇學館大學のサイトにその研究雑誌の論文として、「『皇大神宮儀式帳』校訂試案」というもの。
 漢文のままですが、儀式帳の諸本を突き合わせて文面を確定するこころみです。読み方の試案として返り点がついています。
 なおこの儀式帳にはもう一つセットになっているものがあって、こちらは「止由気宮儀式帳」で外宮の方のもの。この校訂試案も同じ雑誌に載っています。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

伊勢神宮に電話してみたところ,例の「皇太神宮儀式帳」のほか,
「大神宮諸雑記」?や「延喜式」の名前が出てきました。
「それ以前も,やはり20年ごとだったのですか」と聞くと,
「それまでは,朽ちてきたらやっていたのを,遷宮の決まりを作り
20年ごとにやるようになった」と言われました。
いくつも史料名を挙げているところをみると,
本当ははっきり書いていないということなのかな,と思いました。


「大神宮諸雑記」にはっきりと持統4年に遷宮と書いてあります。
 ネットで「大神宮諸雑記」と検索してください。
 国文学研究資料館のサイトのものが閲覧できます。

 世界大百科辞典には、この史料をこう解説しています。
 伊勢の神宮の,創建より平安末期までの主要事項を編年体で記した書。平安末期の撰,皇大神宮禰宜(ねぎ)荒木田一族の手で書きつがれてきた書で,2巻よりなり,第1巻は垂仁天皇のときの皇大神宮鎮座より後一条天皇のときまで,第2巻は後朱雀・後冷泉天皇のときについて記す。神宮史をみる上での重要書の一つで,信憑性に欠ける部分もあるが,式年遷宮の制定時期,神宮と朝廷との関係などをみる上で根本となる書で,9世紀末の荒木田徳雄が,それまでの古記文を編述の上,自身で書きつぎ,以後一族の興忠,氏長,延利,延基と書きついだ。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 「大神宮諸雑記」にはっきりと持統4年に遷宮と書いてあります。
 ネットで「大神宮諸雑記」と検索してください。
 国文学研究資料館のサイトのものが閲覧できます。

それでは,伊勢神宮に電話したのは,「お手柄」だったということですよね。
それを先に言って下さらないと・・・。(笑)
私は顔の見えない人と電話で話すのが苦手なので,
ケータイ・スマホはもちろん,家の電話も留守電にしているくらいですから。
まあ,でも出典がわかったことは良かった。

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