「?」と「!」の使用法
山田さんのサイト「sanmaoの暦歴徒然草」からの転載です。
私のことをかなり褒めていただいていて,ちょっと恥ずかしいですが,
載せちゃいます。(^-^;
本文でも,山田さんのサイトでも,どちらでも読めるようにリンクしておきますね。
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-093a.html
古田史学の会編『古代に真実を求めて 古田史学論集 第二十一集
発見された倭京――太宰府都城と官道』(明石書店、二〇一八年三月二十五日、
ISBN 978-4-7503-4649-6)の第二特集が「Ⅱ 九州王朝の古代官道」です。
肥さんの論文も上記図書に掲載されています。次の二編です。
日本古代ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?
九州王朝は駅鈴もつくったか?(【コラム⑧】)
どちらも「?」が付いているのが肥さん“らしい”のです。
つまり、このテーマにおいて先駆であることの証しなのです。
未解明のフィールドで新たなテーマを見つけて取り組もうとすれば、自ずと「?」がつき纏うのです。
断定することはできないがその可能性が高い。
探求している本人はすでに確信に近いのだが、
発表にあたっては断定できるだけの証拠はそろっていない。
研究の「種子(たね)」を発見して取り組んだ先駆者は「?」を使わざるを得ません。
肥さんは研究の「種子(たね)」を発見するのが得意な先駆者なのです。
だから「肥さん“らしい”」と言ったのです。
上記二編は肥さんの夢ブログ(中社)に掲載されている次の記事を加筆修正したものです。
古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-5cde.html
九州王朝は駅鈴も作ったか?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-1f56.html
もう一つ私は肥さんの先駆を知っています。「!」がついています。発見した本人も驚いているのです。
「国分寺」はなかった!
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-8b07.html
これは“肥沼論文「国分寺の謎」”ともいうべきものです。これによって多元的「国分寺」研究はスタートしました。
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