「元伊勢」の分布図
「グラフにできるものは,グラフにしてみろ」
というのが,板倉さんの口癖であった。
「おばあちゃんの遺言」ではないが,
板倉さんの口癖もそれに準じると思うので,
今回は「元伊勢」の分布図を描いてみた。
(ドットを打っただけですが・・・)
なお,「元伊勢」とは,「三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、
現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所」とのことだ。
資料は,ウィキペディア「元伊勢」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/元伊勢
(1) 豊鍬入姫命巡歴
(2) 倭姫命巡歴
この2つを分けて作ってみた。
豊鍬入姫命の分布図には,瀬戸内海にも「元伊勢」があるが,
なんと全く伊勢国には登場しない。
なんか瀬戸内海や日本海方面からやってきて,大和が終点という感じ。
それに対して,倭姫命の分布図は近畿中心。
伊勢国のドット数も多い。
ここにはやはり,何か歴史がありそうな・・・。(笑)
« ハナミズキの美しい季節 | トップページ | だんだん詳しくなる「遷座の経緯」の謎~「遷座の経緯」はなかった! »
「古田史学」カテゴリの記事
- 年輪年代により,土器編年を訂正(20年前の記事ですが)(2021.01.27)
- 払田の柵の柱の年輪年代について(2021.01.25)
- やはり入手しておくか(2021.01.22)
- 新田郡庁跡と泉官衙遺跡の時期の比較(2021.01.20)
- 日本最大の大きさの「新田郡衙遺跡」(2021.01.18)
この二つの巡歴地図はほとんど重ならない(大和が重なるが)。
ということはこの地図は元は一つの物を二つにわけたのではないだろうか。
そしてもう一つ考えられることは、さらに削除された別の地図があって、それは瀬戸内地方をさらに西にいったもの。つまり本来は九州筑紫を中心とする巡歴図だったのではないかと疑いますね。
つまり本来は九州筑紫を原点とする巡歴過程が九州王朝の史書に書かれていて、それを大和中心の出来事のように偽造するために、二つにわけたということ。
投稿: 川瀬 | 2018年4月21日 (土) 21:49
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
確かに「欲求不満」の感じを覚える分布図ですね。特に(1)は。
何かあったのかもしれません。今は「謎」としておきましょう。
投稿: 肥さん | 2018年4月22日 (日) 03:30
肥沼さんのこの分布図は、「元伊勢」伝承地を地図に起こしたもの。
このため1の地図は、豊鍬入姫命の遷座地は書紀では大和の一か所だけなのに、『倭姫命世記』では近畿の各地に広がり、「元伊勢伝承地」は瀬戸内海地方にまで広がっていることがわかる。
この「世記」は別史料に依拠している可能性もあるので、伝承地が瀬戸内にひろがることは重要です。
つまり元の遷座地は、この地図ではカットされる瀬戸内の西部と九州北部にあった可能性を示しているのです。
ふと思ったのですが、「元伊勢」伝承地はウィキペディアが拾ったところだけなのでしょうか?
投稿: 川瀬 | 2018年4月22日 (日) 14:33
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 ふと思ったのですが、「元伊勢」伝承地はウィキペディアが拾ったところだけなのでしょうか?
私ももっと多くあると思いますが,
90というの神社の数は,
統計的に結構有効なのではないかと思っています。
投稿: 肥さん | 2018年4月22日 (日) 15:49
2003年に古田先生が、弥生の土笛と出雲王朝というタイトルで、話をされていて、そこで、元伊勢にも触れています。ご一読下さい。
投稿: 上城です。 | 2018年4月25日 (水) 16:13
上城さんへ
コメントありがとうございます。
探してみたいと思います。
「新古代学の扉」サイトに収録されていますかね?。
投稿: 肥さん | 2018年4月25日 (水) 17:24