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2018年4月17日 (火)

『和名類聚抄』と「正倉院文書」でしたね!

川瀬さんのアドバイスを参考に調べてみました。
長良川の旅館「すぎ山」のHPの記述。

鵜飼の歴史

http://www.gifu-sugiyama.com/ukai/history/index.html

「岐阜の鵜飼が初めて文献に登場するのは奈良時代のこと。
大宝2年(702)、各務郡中里(現在の各務原市那加周辺)の戸籍に『鵜養部目都良売(うかいべめつらめ)』と書かれた、鵜飼を職業にしていた人達と思われる名前が載っています。
平安時代中期に作られた日本最古の百科事典と言われる『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、美濃国方県郡のなかに『鵜飼郷(現在の岐阜市)』があったことが記されています。」

あと,古田さんから教えていただいた鷹匠の話(筑後から大和へ献上)は,「大化の改新批判」という論文にあり,
正倉院文書ということは,やはり『なら遺文』で良いようです。

「同じく、「鷹狩り」は、中国から“輸入”された“天子と貴族の遊び”である。その「鷹たか犬」と「鷹匠たかじょう」が「筑後」から「大和」へと“献上”されている(八世紀、正倉院文書、天平十年)。
 すなわち、七世紀代において、「大和」には“訓練された鷹犬”がいず、あるいは“足り”ず、“プロの技術者”もまた、同じだった。
 この事実はすなわち、七世紀の筑後が「鷹狩り」という、中国から輸入された「天子と貴族の遊び」の地だったことを証明する。しかし、「大和の飛鳥」には、その痕跡がないのである。」

昼間書いた「長良川の鵜飼の開始」とこれらを合わせると,特殊技術者が九州王朝→大和王朝に異動している
ということが言えるのではないかと思います。

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