古田さんの『伊勢神宮の向こう側』への寄稿
室伏志畔著『伊勢神宮の向こう側』(三一書房)という本がある。
古田さんが文章を寄せている。「思想と文体」という題だ。
伊勢神宮に関する部分を引用する。
「文明は文体を生み,思想は文体をともなう。わたしは本書に接してこの言葉をつぶやいた。
わが国も,深き文体を生み出す,その世紀の入口に立つに至ったようである。
本書の主題をなす,伊勢神宮。それはわたしにとっても,永年の懸案だった。
そのポイントは次の点にあった。「なぜ,内宮と外宮の二宮があるのか。」この一点である。
その回答の鍵は,「元伊勢」の名のある籠(この)神社(京都府,舞鶴湾)にあった。
豊受大神を祭る,その奥宮には陰陽石が鎮座していた。
すなわち,万物生殖繁栄の徴だ。旧石器・縄文の御神体である。
伊勢には,双見ヶ浦。双見は「両神(ふたがみ)」,海洋民の陰陽神だ。
これを“地上の神社”化したもの,それが「内宮と外宮」の伊勢神宮だったのではないか。
伊勢周辺の各社に祭神とされる「豊宇気毘売神」この女神と登由宇気神(大神)の両神,
それが本来の祭神だったのであろう。これがわたしの帰結点であった。」
「「伊勢の二十年式年祭」がたとえ,「天武・持統の制定」にもとづくものであったとしても,
これが独創だったか,それとも「模倣」か,それが問題なのである。」
『伊勢神宮の向こう側』が出版されたのは,20年以上前の1997年のことである。
その時点で古田さんはもう,伊勢大社の式年遷宮が独創か「模倣」かを問題にされていたのか・・・。
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古田さんってすごいですね。
きっと古田さんが提起してまだ誰もこれを検討していない問題があるんでしょうね。
肥沼さんも、この古田さんの提起を深める仕事に入ったわけだ。「古田史学の継承」。このためのブログのテーマとして十分ふさわしいですよ。
投稿: 川瀬 | 2018年4月26日 (木) 16:59
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
「そういえば室伏志畔さんも伊勢神宮についての本を書いていたなあ」と思って,
この本を取り寄せてみたら,なんとトップに古田さんの寄稿が!
そして,その内容に再び驚きました。
ということで,この話を載せてみました。
「古田史学の継承のために」の方にも,載せてあります。
投稿: 肥さん | 2018年4月26日 (木) 21:36