« 「皇大神宮儀式帳」について | トップページ | 楽天が藤平の好投で5勝目 »

2018年4月20日 (金)

昔「凡川内国」という国があった!?

私が山田さんの提案された「東山道十五國」について出した質問=
「摂津と山城の間がほとんど点でしか接していない」に対し,
山田さんは「凡川内國」(摂津+河内+和泉)というものを見出され,
私の指摘を活かしていただけた。ありがとうございます。

学問というものは,誰が勝った負けたというものではなく,
「それに関わった人全員の勝利」なのだと思います。
なので,私も大変うれしいです。(o^-^o)

詳しくは山田さんのサイトまで。

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-e7b3.html

凡川内国造

https://ja.wikipedia.org/wiki/凡河内国造

凡河内躬恒「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」

https://ja.wikipedia.org/wiki/凡河内躬恒

« 「皇大神宮儀式帳」について | トップページ | 楽天が藤平の好投で5勝目 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ

>学問というものは,誰が勝った負けたというものではなく,
 「それに関わった人全員の勝利」なのだと思います。

バレーボールで言えば、「肥さんの上げたトスで私がスパイクを決めた」
という感じでしょうか。そして私と肥さんがハイタッチというシーンですね。
やったね!

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉バレーボールで言えば、「肥さんの上げたトスで私がスパイクを決めた」
という感じでしょうか。そして私と肥さんがハイタッチというシーンですね。
やったね!

そんな感じですね。(笑)

 凡河内国ね。なるほど。
 でもこの国名は「河内国」というのがあって(ほかにたとえば摂津や和泉があって)これらの国は元は一つの国で「河内」という国名だったという意味の言葉だと思う。
 「凡」は「汎」と同じ意味かな?
 ということは崇峻紀の物部守屋の反乱とその資人・捕鳥部萬の話に「河内国司」が出てきたとき、この「河内」は、元の河内なのか分立した後の河内なのか判断できませんね。
 そして私はこの説話に出てくる「河内国司」は、今の近畿の「河内」ではなくて九州の「河内」と考えたし、国司ものちの国司とは異なって徴税権や検断権を持ったものではないと考えています。
 つまり捕鳥部萬の話は九州王朝の畿内での出来事と考えます。
 「河内」ってどこにでもある地名ですね。
 したがってこの時期に河内しか記事になく摂津がないから摂津国はないとは断言できません。
 天武四年の記事の勅によって、摂津国が存在し河内から分離していることは確実に確認できます。
 したがってこれ以前は「凡河内国」だったとの判断は今のところ妥当だと思います。

 ちなみに書紀での摂津の初出は、雄略紀。次は清寧紀です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 したがってこれ以前は「凡河内国」だったとの判断は
今のところ妥当だと思います。

地図帳には出ていないような,微妙な状態の時期があるんですね。
「凡」が付くのは,ここだけでしょうか?

 山田さんのサイトでも明言されていますが、元の国名は「河内国」か「川内国」。ただしこれだと分国されたあとの「河内国」と区別がつかないので、国造家と同じ名として「凡河内国」としたとあります。
 この国造家の名前自体が、かつての「凡河内国」が分国されてすくなくとも「摂津」「河内」に、もしかしたら「和泉」に分割された後の時代の名前だと思いますよ。
 他に大国がいくつかの小国に分国された例ですか?
 すくなくとも明白なのは、「吉備」⇒「吉備上国」「吉備中国」「吉備下国」⇒「備後国」「備中国」「備前国」。そして「毛野国」⇒「上毛野国」「下毛野国」⇒「上野国」「下野国」ですね。もしかしたら「毛野国」の中に「武蔵国」も含まれていたかもしれませんね。武蔵国造家の内紛に上毛野氏が介入していますし、武蔵北部の埼玉古墳群の稲荷山古墳の主は「○○大王」であったことが確かなのですから、「武蔵」「上野」「下野」がかっての「○○大王」の王国であった可能性もあると思いますよ。
 あと「越国」は、「越前」「越後」にまず分割され、さらにその「越前」から「加賀」「越中」が分国され、さらに「加賀」から「能登」が分割されたのですから。(越中は越後からの分割かもしれませんが)。
 書紀の国名や国造家の名前を精査してみれば、さらに出てくる可能性は大です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

今も市町村合併などで,
その時期の利害で「離合集散」を繰り返していますが,
昔もいろいろなことがあったようですね。
「夢ブログ」は歴史好きの人ばかりが読んでいるわけではないので,
図のようなものがあるとわかりやすいと思いました。

>「夢ブログ」は歴史好きの人ばかりが読んでいるわけではないので,
図のようなものがあるとわかりやすいと思いました。

 これは肥沼さんのお得意の分野。さっそく地図を書いてみたら?
 頭の中に地図のある私には考えるに際して不要だけど、肥沼さんが地図に起こしてくれると、また新たな発見がありますからね。
 ふと思いました。
 「武蔵」は元の「凡毛野国」の一部だったかもとの仮説。
 これを導入すると、「武蔵国」が東山道に属している理由が解けてしまいますね。もともとは東山道に属する「凡毛野国」の一部だったから、「武蔵」「上野」「下野」の三国に分割された際に、「武蔵国」もそのまま東山道に属したと。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  「武蔵」は元の「凡毛野国」の一部だったかもとの仮説。
 これを導入すると、「武蔵国」が東山道に属している理由が解けてしまいますね。もともとは東山道に属する「凡毛野国」の一部だったから、「武蔵」「上野」「下野」の三国に分割された際に、「武蔵国」もそのまま東山道に属したと。

なるほど。それはグッド・アイデアだと思います。
のちに東海道に配置換えされるのも自然ですしね。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 「皇大神宮儀式帳」について | トップページ | 楽天が藤平の好投で5勝目 »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ