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2018年4月17日 (火)

伊勢・志摩旅行(3日目)

ついに招待旅行も最終日。
いよいよ伊勢神宮へと向かう。
今日も何か「発見」があるといいのだが・・・。

(1) 御木本幸吉のパールランド

鳥羽と言えば真珠の養殖。
その元祖といえば,御木本幸吉。
ということで,まずはその島に立ち寄った。

大きな銅像の前で,まずは記念写真。
若い海女さんに挟まれて,はいポーズ。
その後資料館に行き,どうやって真珠を作るのか,
その原理を学んだ。
たくさん核を埋め込んでも,成功率は30%。
真ん丸にならなかった真珠は,粉にされて化粧品に入れられる。
なかなか難しいものだと思った。
そして,同じように見えても値段がまったく違うから,さらに驚く。
昨日私が母にプレゼントしたのは,ピンキリでいうともちろんキリだが,
その分私の母への愛情が込められているので,桁が1つ上がるよね!

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(2) 伊勢神宮

「お伊勢参り」で知られる伊勢神宮は,内宮(ないくう)と外宮(げくう)の
2つのものから成り立っているが(末社・摂社は100以上),
今回は高齢の人たち向けに内宮の方だけだった。
うっそうとした巨木たちが,我々を迎えてくれる。
1300年の昔は,どんな感じだったのだろうか?
ちなみに私は,伊勢神宮は670年にスタートしたと考えている。
最初の遷宮(建て替え)が690年らしいので,単純に20年遡った。
では,なぜそう考えるかと言うと,662か663年に白村江の戦いが起こり
倭国(九州王朝が主体)が滅亡に向かい,大和王朝がその後のかじ取りを
任せられてのがその頃と考えるからだ。
そして,その際いろいろな神社の協力をもらったと考えている。
そのため,「本伊勢」という名前で呼ばれる(あるいは主張する)
古い神社がいくつもあるらしい。今でこそ「泣く子も黙る」伊勢神宮だが,
そのスタートでは,そんなに簡単にいかなかったのではないかな。
これは私の妄想ですが…。
そして,政教分離の今とは違い,政教一致の当時なので,
用意万端整って,中国からめでたく承認され,
701(大宝元)年,めでたく大和王朝としては初めての年号を建元した。
これが本当の歴史ではないかと考える。(それ以前の大化などは,
九州王朝が6世紀はじめから7世紀末に定めていた「九州年号」だ)

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(3) 「岩戸屋」で昼食

天の岩屋伝説から名付けた店の名前だと思うが,
特にそれらしいものは出て来なかった。
伊勢のうどんはやわらかく,関東風に味付けられていた。

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(4) 長良川の鵜飼いは,703年からスタート!?

この話題は,別項に書いたのでここでは繰り返さない。
「長良川の鵜飼いは,703年に始まった!?」参照のこと。
伊勢神宮に参拝したので,天照大神がおみやげをくれたのかも。(o^-^o)

(5) 謝辞

今回は縁あってお付き合いしている東建コーポレーションの
オーナーズ招待旅行「東建メイトカップ観戦ツアー」に参加し,
社員の方々および他のアパート経営者の方々とお話することができ,
とてもラッキーだったと思いました。この場を借りてお礼申し上げます。
そして,所沢支店のSさんとKさんには,特にお世話になりました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。m●m

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住まい・インテリア」カテゴリの記事

コメント

 伊勢神宮内宮に無事参拝されたようでよかったですね。
 伊勢神宮の記事。まさしく肥沼さんの妄想です。まったく史料に依拠していない勝手な想像。
 でも見るべきところもある。
>ちなみに私は,伊勢神宮は670年にスタートしたと考えている。
最初の遷宮(建て替え)が690年らしいので,単純に20年遡った。

 最初の遷宮記事がどこにあるのか不明だが、今まで肥沼さんが史書で始まりの記事を考察した際に、「書紀で(続日本紀でも)初めてとあるのはみな、近畿天皇家で初めての意味で、実際にはその前に九州王朝が実施していたとみなすべきである」との興味深いテーゼを提出しておられた。
 このテーゼに従えば、690年に最初の遷宮が行われたということは、初めて近畿天皇家が伊勢神宮の遷宮を執り行ったのであり、それ以前の遷宮はみな九州王朝が行ったと理解されるはずです。
 こう考えてみれば、垂仁記二十五年の伊勢神宮奉戴の記事も、そしてその後の雄略紀の皇女を伊勢に送った記事、さらに、継体紀や用明紀での香手姬皇女を送った記事、そして天武紀での大來皇女の記事はみな、九州王朝統治下の伊勢神宮の記事であり、伊勢神宮の斎宮として実際に神を祭ったのが本家九州王朝の皇女ではなく、分家の近畿天皇家の皇女が代行していたとみるべきではないでしょうか。
 歴史は勝手な妄想ではなく、史料に基づいた考察でなければいけません。これが古田さんの方法論です。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  最初の遷宮記事がどこにあるのか不明だが、今まで肥沼さんが史書で始まりの記事を考察した際に、「書紀で(続日本紀でも)初めてとあるのはみな、近畿天皇家で初めての意味で、実際にはその前に九州王朝が実施していたとみなすべきである」との興味深いテーゼを提出しておられた。
 このテーゼに従えば、690年に最初の遷宮が行われたということは、初めて近畿天皇家が伊勢神宮の遷宮を執り行ったのであり、それ以前の遷宮はみな九州王朝が行ったとりかいされるはずです。

そうか。そう考えるのでした。
伊勢神宮にもそれを適用すれば良かったわけですね。
「はじめて記事」の本当の意味!

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