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2018年4月21日 (土)

だんだん詳しくなる「遷座の経緯」の謎~「遷座の経緯」はなかった!

ウィキペディア「元伊勢」の文章を読んでいて,
あれれれ・・・と思った一説がある。
次のところだ。

「遷座の経緯について、『古事記』ではこれを欠くが、『日本書紀』で簡略に、
『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳しく記されている。」

普通は最初詳しく分かっていたが,だんだん風化していき,
やがて伝える人も少なくなり,忘れられていくということが多いのではないか。
それが,

古事記(欠く)<日本書紀(簡略に)<『皇太神宮儀式帳』(やや詳しく)<『倭姫命世記』(より詳しく)

と真逆の不等号を連ねているのである。(転がせば大きくなる雪玉のように)

これがもし研究の成果で明らかになったのだとしたら,私もうなづけるのだが,
これらの4つの連なりには,申し訳ないがかなり疑問を持つ。

というのは,古田史学に学んでき者としては,古事記は大和中心の「歴史書」であり,
白村江の戦いをきっかけとして日本の主権者となった大和王朝が,
古事記や九州王朝系の「歴史書」を大幅に取り入れ,8世紀に日本書紀が作ったと考えているからだ。
(古事記には,九州系の豪族の悪口さえ書かれていたが,収録されなかった。
「この国は昔から,大和王朝が治めてきた」というストーリーと,合わないからである)

ということは,素直に考えれば,古事記が作られる際に「遷座の経緯」はなかったということだ。
つまり,日本書紀を作る際に,九州王朝系の「歴史書」にはそれがあったので,取り込んだ。
結論から言うと,伊勢神宮を作ったのは,九州王朝だった,ということになる。
皆さんは,どう思いますか?

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コメント

 ウィキペディアの記述に間違いあり。
 遷座の経緯を詳しく書いたのは「皇大神宮儀式帳」ではなく「太神宮諸雑記」のほうです。
 「皇大神宮儀式帳」は文字通り儀式の次第を詳しくしるしたもの。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

そうなんですか。
でも,「古事記(欠く)<日本書紀(簡略に)」という,
最低限一番左の部分は間違っていないですよね。
つまり,もともと古事記に「遷座の経緯」はなかったという部分です。
(=九州王朝の史料にあったものを盗用した)
その趣旨で書き替えてみたいと思います。

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