私のふるさと(「東村山・郷土研だより」の原稿)
私のふるさとは,全部で3つある。
1つ目が,父の勤める会社の支社があった山口県岩国市。
2つ目が,この郷土研のある東京都東村山市。
3つ目が,就職して勤めた中学校のある埼玉県所沢市である。
0歳 3歳 23歳 57歳 59歳
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山口県 東京都 埼玉県所沢市 再び東京都
岩国市 東村山市 所沢市 東村山市に戻る
岩国市は2~3歳までだったので,ほとんど記憶がない。
しかし,長男だったことが幸いして,アルバムには錦帯橋を背景に写る今とは違って丸顔の私,
これも今とはだいぶ違う若くて美しい母に抱かれて入浴している私の姿などが満載されている。
その頃は「3人家族」で夫婦と愛児(私のこと)のみの幸せ一杯の日々だったと想像する。
しかし,悲劇はすぐやってきた。父の転勤である。東京の本社に戻ることは,
マイホームパパである父が出世から遠ざかることを意味し,母には嫁・姑生活の開始を意味し,
かく言う私にとっては「弟」というライバルの出現を意味していた。
祖父・祖母・叔父・叔母との同居生活が,最初は7人で,弟が生まれてからは8人で続いた。
清瀬幼稚園ー秋津小学校ー第二中学校ー小平高校ー法政大学の約20年間を東村山市だ。
当時の東村山市は,まだ農家もずいぶんあり,中学を出て就職をする友人もいた。
自然もまだ豊かで,よく近所の雑木林でクワガタを,久米田圃でザリガニやドジョウを獲ったり,
柳瀬川や湧き水へ水遊びをしに行った記憶がある。それは高度経済成長とともに失われたが。
それから34年間,隣の所沢市で中学の社会科教諭として,生徒たちとの楽しき日々を過ごし,
最後の2年,また東村山に戻って来て,退職を迎えた。ぜひ楽しい老後を過ごしたいと思う。
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ふるさとが三つある。
肥沼さんはふるさとをどう理解しているのだろうか。
通常は「生まれ育った地」か「先祖代々そこで暮らしてきた地」をふるさとと理解してきたと思う。
そして人々が先祖の地から移動せず同じ地で暮らしてきた時代であれば、この二つのふるさと理解は同じ場所を指すので矛盾は生じなかった。
しかし近代・明治に入って以後人々の大移動が始まり、特に第二次世界大戦後の高度成長時代には、大企業の集まる大工業地帯に人が移り住むことが常態化したので、二つのふるさとが乖離した。
肥沼さんの理解は、「生まれた地」「育った地」そして「大人として活動した地」のすべてを「ふるさと」とする新しい理解ですね。
質問。肥沼家の先祖の地ってどこですか? そしてお母様の先祖の地ってどこですか?
投稿: 川瀬 | 2018年4月18日 (水) 12:37
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 肥沼さんはふるさとをどう理解しているのだろうか。
自分が暮らした場所という意味で使いました。
所沢市は,働いた場所であると同時に住んでいた場所でもあります。
〉 質問。肥沼家の先祖の地ってどこですか? そしてお母様の先祖の地ってどこですか?
肥沼家・・・東村山市です。
母の実家・・・所沢市です。
ちなみに両市は,隣り同士です。
投稿: 肥さん | 2018年4月18日 (水) 13:25
なるほど。両家とも所沢・東村山ですか。
ということはこの東山道武蔵路沿いの狭山丘陵あたりが、肥沼さんの故郷ですね。何代か前までの先祖もご父母もご自身も。
この地域の歴史を明らかにすることと、ご自身のルーツもつながるというわけです。
ご教示ありがとうございました。
投稿: 川瀬 | 2018年4月18日 (水) 23:48
ふるさとは遠きにありて・・・
わたしはすでに埼玉で人生の三分の二以上を過ごしているが
それでもやはり
ふるさとは岩手であると思い、岩手県人であることを
常に意識しながら生きている。
そして、やはり帰るところは岩手だろうなと思いながら生きている。
のではないかなと思う。
投稿: 翔空 | 2018年4月19日 (木) 00:49
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
母方の祖父の代は,同じ所沢でも,
川瀬さんが平曲を習いに行かれている三ヶ島出身です。
しかも「新井姓」ですから,素子先生ともつながる。
母の父親は,所沢駅の近くで外科の医師をしていて,
「新井病院」という病院を開業していました。
けっこう熱血漢で,腕も良かったとのこと。
ただ,私が生まれたという話は聞いたものの,
初孫の私を抱かずに他界されたということです。
一方,父方は地元東村山にはたくさんいて,本家も近所にあり,
うちは分家なのですが,それでも昔は三百坪ほど土地があって,
今でも私がその3分の2を相続しております。
しかし,土地があるということは,当然固定資産税を払う義務もあり,
父の代からは税金対策としてアパート経営をしています。
それが築30年を越えるので,昨年新アパートを母屋の南側に建設。
また,私が現職のうちにと銀行と折衝し,
来年は古い方の建て替えをするという,予想外の展開となっています。
ということで,その建設会社の招待で伊勢・志摩の旅行ができた次第。
以上,簡単な肥沼家・新井家のルーツでした。
投稿: 肥さん | 2018年4月19日 (木) 02:11
翔空さんへ
コメントありがとうございます。
そのようですね。
「♪岩手へ,岩手へと,翔空さんもなびくヨ」と,
佐渡おけさ改め“岩手おけさ“(初耳!)ですね。
いつのまにか長~いお付き合いとなり,
それが九想さんも加わり3人オフ会となり,
「夢パ」にも「卒パ」にも参加いただけました。
今後ともよろしくお願いいたします。
インターネットは,心理的な距離も埋めます。
投稿: 肥さん | 2018年4月19日 (木) 02:27
肥沼家・新井家のルーツ解説ありがとうございます。
ちなみに「苗字由来ネット」というサイトをご存知ですか?
https://myoji-yurai.net/
ここで「肥沼」で検索すると。
【全国順位】 4,072位 【全国人数】 およそ2,900人
栃木県がルーツであり、関連姓は鯉沼、小井沼。近年、埼玉県所沢市や東京都に多数みられる。
とあります。都道府県別の分布図もあり、埼玉・東京が多いことがわかりますね。関連姓の鯉沼さんは、川崎市多摩区北部にも何軒かあります。
「新井」姓で検索すると。
【全国順位】 82位 【全国人数】 およそ204,000人
現群馬県である上野国新田郡新井が起源(ルーツ)である、清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)新田流がある。ほかに清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)武田流、大蔵氏などにもみられる。現在の福島県である岩代国安達郡荒居発祥の族は桓武平氏千葉国分氏流がある。語源は、新しい居住、新しい井戸。新田開発によりできた姓名と地名である。埼玉県、群馬県など関東地方に多くみられる。
※清和源氏にこの姓があることがわかるが、新田開発などでできた場合もあるようなので、一概には言えないことがわかります。
(ちなみに新井先生のお名前は、素子ではなく泰子。新井素子さんは著名な作家ですね)。
ついでに「川瀬」姓で検索すると。
【全国順位】 523位 【全国人数】 およそ38,100人
川瀬直、川瀬造、川瀬連、川瀬宿禰。宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)など様々な流派がある。「瀬」は流水が浅く流れているところを表す。
なんと宇田源氏つまり近江佐々木氏の一族に川瀬がおり、他に桓武平氏がにもいると。これは河越氏の一族のこと。
分布をみると滋賀県・岐阜県・三重県が多いのは、宇田源氏の後裔であることの証拠でしょう。
でも私の家はどちらでもなく、まさしく村の近所が酒匂川の「瀬」だったので明治に部落みんなで川瀬姓を名乗ったとのこと。
ここでも個別の家で調べないとだめですね。
ちなみに私と同姓同名の生徒に昔出会いました。群馬県南部の出身とのこと。この生徒の家は河越氏の一族の川瀬の末裔でした。
以上その家のルーツについてです。
なんと「肥沼」姓のルーツは栃木と。下野の国です。人数からすると割と限定された姓で、分布地域も固まっていることがわかりますね。どんな先祖だったのでしょうね。
投稿: 川瀬 | 2018年4月19日 (木) 12:58
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 ちなみに「苗字由来ネット」というサイトをご存知ですか?
知りませんでした。面白そうなサイトですね。
「姓名ランキング」のようなサイトで,肥沼姓が意外に多いことを知り,
栃木県藤岡町の大前神社の「磯城宮」碑を訪問した際,
付近の家の表札に「鯉沼」とあり,肥沼も関東王朝の末裔かしら(笑)と
思ったことがありましたので,「鯉沼」は存じておりました。
〉 ちなみに新井先生のお名前は、素子ではなく泰子。新井素子さんは著名な作家ですね
それは失礼しました。寝ぼけていて,読み間違えました。新井泰子先生ですね。
〉 ついでに「川瀬」姓で検索すると。
【全国順位】 523位 【全国人数】 およそ38,100人
川は無数にあり,浅いところも数えきれませんから,
地形に関する姓はやはり多くなりますね。
あと,こういうサイトは「悪いこと」「不名誉なこと」は載せられないでしょうから,
みんな自分の先祖は立派な人たちだったと思ってしまわないのかなあ,というのが気になるところです。
例は良くないかもしれませんが,
学芸会の劇で「みんな主役」みたいな・・・。
投稿: 肥さん | 2018年4月19日 (木) 15:10
>あと,こういうサイトは「悪いこと」「不名誉なこと」は載せられないでしょうから,
みんな自分の先祖は立派な人たちだったと思ってしまわないのかなあ,というのが気になるところです。
この肥沼さんの疑問が気になって調べてみました。
名字由来ネットで、私の母方の姓「松本」で検索しました。
15位で、63万人もいるポピュラーな姓。由来を見てみると、「長野県である信濃国筑摩郡松本村発祥の伊那氏族は清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)、宇多天皇の皇子敦実親王を祖とする源氏(宇多源氏)、桓武天皇の子孫で平の姓を賜った家系である平氏(桓武平氏)。伏見稲荷神職家、石清水祠官など様々な流派がみられる。」
我が家は「信濃国筑摩郡松本村発祥の伊那氏族」で「清和天皇の子孫で源姓を賜った氏(清和源氏)」。ここまでだとへー偉い人たちだになる。
次に松本さん有名人一覧を見てみる。
トップに出てくる「松本氏輔」。戦国時代の蘆名家重臣。この家は松本図書助家。我が家は同じく蘆名の重臣だが松本右馬丞家。あと一つ松本対馬守家もあった。重臣とあるが正しくは家老。ここまでだとやはり偉い人たちだになる!
有名人をずっと辿っていくと、あったあった!「松本 智津夫」。
言わずと知れたオウム真理教教祖の麻原彰晃氏。出身は熊本県八代市。ちゃんとリンクがあるから経歴も見られる。
松本の都道府県別ランキングの表をみると、熊本県では10位以内。さらにクリックしてみると、正しくは三位。熊本県人の中で三番目に多い姓だ。
ちゃんと「悪いこと」も書いてありましたよ!
ちなみに母の故郷京都府では五位。もともとのふるさと福島県では、17位、さらに氏発祥の地である長野県では、61位。信州松本に発祥した清和源氏松本氏は、この発祥の地を捨てて全国に散ってしまったことをこの順位表が物語っている。
松本 智津夫はどの松本の子孫なのでしょうね。
ポピュラーな姓ほど由来がいろいろなので、どれが自分の先祖なのかは、他の文書が残っていないとわからない場合が多いです。我が家は江戸時代250年間の越前府中松本家の系譜と詳しい事績が残され、その初代松本源兵衛の項に、元は蘆名家家老。松本右馬丞家とあり、彼が浪人し再度仕官した経緯などが書いてあるからわかる。
あとは芦名軍記などの史書に基づいた福島県史を調べればかなり詳細にでてくる。
普通はこれほど詳細に自分の先祖はわかりません。
投稿: 川瀬 | 2018年4月22日 (日) 00:01
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 ちゃんと「悪いこと」も書いてありましたよ!
私は「全然悪いことは書いていない」とは言っていませんよ。
ただ,川瀬さんのように分析的に利用する人は多くなくて,
うちの母のような人は騙されて系図を数十万円かけて
作ってもらってふしまったことがありまして,自分の先祖にこだわことは
あまりいい感じがしないだけです。(系図つくりは,もちろん私には内緒でした)
投稿: 肥さん | 2018年4月22日 (日) 02:42
なんと系図作成に数十万円もかけたのですか。
私の父も昔、そういう業者からの働き掛けにのって、系図ではなく由来記のようなものを買いました。うちはただの百姓で部落の横が酒匂川の川瀬だったからみんなで川瀬を名乗ったので、古い由来などないのは知っているけど、興味があるので買ってみたと言っていました。
その由来記が、桓武平氏河越氏の一類に川瀬氏ありとのものでした。
たしかに自分の先祖にこだわることは危ない側面もありますが、自分を知り地域を知るには良い手段の一つではあります。
投稿: 川瀬 | 2018年4月22日 (日) 14:37
川瀬さんへ
コメントありがとうございます。
〉 たしかに自分の先祖にこだわることは危ない側面もありますが、
自分を知り地域を知るには良い手段の一つではあります。
私もそれは否定しません。
そこから歴史への興味を持ち,さらに多元的古代の研究の道を
歩む人が出て来ることを願います。
投稿: 肥さん | 2018年4月22日 (日) 15:55