山田さんの質問にお答えします
山田さんがご自分のサイトで,私の「東山道十五国」案に質問して下さった。
私の勘違いしていたところも含め,お答えしていきたいと思う。
その結果,「東山道十五国」がよりはっきりしてきたように思うが,いかがだろうか。
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-7cdd.html
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1.「安芸」について「吉備」に含めているようですが、
「吉備」が「安芸」まで含んでいたとされる根拠は何でしょうか?
「吉備」と「安芸」は別の国のようですが。
→ 勘違いしていたようです。安芸は生かして,その分大和を削ることにします。
2.「摂津」(5)と「山城」(8)のつながり様は「和泉」(6)を加えても変わりませんが?
((5)(6)(7)(8)に囲まれている「河内」を加えると改善するとは思います。)
→ 河内と和泉を取り違えていました。「河内を加える」というのが正しいです。
3.「大和」は「山城」(8)からの「東山道“大和路”」(支道)ということでしょうか?
(『延喜式』では「東山道」に「山城」(8)が入らず、「近江」(9)からとなっています。)
→ 『延喜式』は大和王朝のものですので,位置づけが違ったのだと思っています。
4.倭国(九州王朝)の「東海道」は「淡路」から紀伊半島沿岸を行ったのでしょうか?
→ 今のところ,そう考えています。
5.「赤間関」(関門海峡)を使って「長門」へは行かなかったのでしょうか?
→ 「海峡は潮の流れが速くなる場合がある」という船の航行には危険な場所なので,
軍を移動するには,「海峡から少し離れたところ」を行くのが安全と考えました。
6.「長門」は「日本国」の令制で「山陽道」に付け替えられたのでしょうか?
→ そういうことになりますかね。
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ということで,以上を古代史用白地図に描くと,以下のようになります。
このように作業をしやすくしていただいたのは,山田さんのお陰です。
【渡航ルート案】
北海道の場合・・・博多湾→長門((長門国の中心?)
東山道の場合・・・行橋→防府(周防国の中心?)
東海道の場合・・・佐賀関→松山(伊予国の中心?。道後温泉あり)
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肥さんへ
ご回答ありがとうございます。
「大和」が東山道から外れたことでブラシュアアップされましたね。
肥さんの「東山道十五國」を私のブログに整理して載せました。
改訂版の地図はご自由にご利用ください。
「『五畿』の謎」にも挑戦いただけるとありがたいです。
投稿: 山田 | 2018年4月16日 (月) 08:41
山田さんへ
コメントありがとうございます。
山田さんのお陰で,ノーミソが喜んでいます。
古代史用白地図も助かっています。
(「旅のお供」です)
今後ともよろしくお願いいたします。
投稿: 肥さん | 2018年4月16日 (月) 09:28
肥さんへ
肥さんの「摂津国と山城国のつながり方が狭すぎる」という指摘は
「摂津国」⇒「凡川内国」とすることで解決されました(ブログ記事あり)。
これは肥さんの功績であると思います。
ありがとうございました。
投稿: 山田 | 2018年4月19日 (木) 23:01
山田さんへ
コメントありがとうございます。
「凡川内国」の発見,おめでとうございます。
私の指摘を活かしていただけたわけで,
私としても大変うれしいです。
今後ともよろしくお願いいたします。(o^-^o)
投稿: 肥さん | 2018年4月20日 (金) 01:22