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2018年4月30日 (月)

「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」要約(服部さん)をアップしました!

川瀬さんのお陰で,ようやく上記の論文をアップできました。
ありがとうございました!
そして,服部さんにはお待たせいたしました。
ついに多元的「国分寺」研究サイトに服部論文の登場です!

古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究(服部さん)要約

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2018/04/post-3308.html

私の考えでは,この論文は古代史研究に大きな風穴を開けると思っています。
私たちが進めている多元的「国分寺」研究はもちろん,
すべての古代史研究が,自由で実り豊かなものになると考えます。
一元史観的な研究では,古代史の謎はいつまでも解けません。
ぜひこの論文を読んでいただいて,自分の目で確かめてみて下さい。
そこには,新たな古代史像が垣間見えることと思います。

にわか引越し(3)

一昨日と昨日は,楽天が西武球場に来るので,
本来はその応援に行こうと思っていた。
ところが突然「にわか引越し」が入ってしまい,
行くことが出来なくなった。
しかし,それはある意味正解だったかもしれない。

一昨日・・・楽天・則本と西武・菊池のエース対決 → 3対11で大敗
昨日・・・若手の藤平と4連勝中の多和田の対決 → 4対16の超大敗

せっかく先発投手が頑張っていても,今の楽天は打つ方がつながらず,
接戦でも勝てない試合が続いている。
ついに勝率も3割を切り,1勝2敗で済ますこともできない体たらくだ。

しかし,このままシーズンをあきらめる訳にはいかない!
とりあえず,3試合のうち1勝すれば勝率は上がっていく。
調子が出てくれば,2勝できるカードもあるだろう。
それを期待して,明日も応援しよう。

本日は,協会長杯・県大会を応援に久喜に行くので,
試合はアンドロイドで情報を入れるつもり。

昨日の収穫は,40リットル袋5つと大箱10個だった。

2018年4月29日 (日)

明治二十二年の「市町村合併」

先日紹介した「東村山の古地図」の正体が分かった。
今でも時々市町村合併が行われるが,
当時の「東村山村 ← 野口村、廻り田村、大岱村、久米川村、南秋津村(現・東村山市」の合併の際
測量されたものらしい。

Dscn1808_2

1878年(明治11年)7月22日 - 郡区町村編制法の神奈川県での施行により、
神奈川県多摩郡のうち1町131村の区域に行政区画としての北多摩郡が発足。
郡役所が府中宿番場(府中宿のうち)に設置。

1889年(明治22年) 3月31日 - 下記の各村の統合が行われる。(3町36村) 
東村山村 ← 野口村、廻り田村、大岱村、久米川村、南秋津村(現・東村山市 ★今回の古地図のきっかけ★

☆ この頃,大日本帝国憲法の発布,第1回衆議院議員選挙が行われた。

1942年(昭和17年) 4月1日 - 東村山村が町制施行して東村山町となる。(10町12村)

1964年(昭和39年) 4月1日 - 東村山町が市制施行して東村山市となり、郡より離脱。(9町)


ウィキペディア「北多摩郡」

https://ja.wikipedia.org/wiki/北多摩郡

そういえば,子どもの頃「東京都北多摩郡東村山町秋津812番地」
という長ったらしい住所だったような記憶がある。
しかも「東京都」は名乗れなくて,
都内ではないという意味で「都下」という言い方があった。
差別的で,なんか嫌な気がした。

にわか引越し(2)

昨日は,本棚を1つ移動した。
また40リットル入りのゴミ袋を5つ使って,燃えるゴミに出した。
このペースで行くと,いったい何枚使うことになるのだろう?

私のいるアパートの部屋と母屋の部屋は同じ2階なので,
一度地上に降ろしてから再び2階に上がるという
大変非効率的な作業となる。

アパートの2階   母屋の2階                                                        
  階段  ↘    ↗  階段                                                               
       地    上

母屋(ティファニーではない)で朝食を

朝食後の薬を飲んでもらうために,
午前6時半頃母屋に行く。

母は起きている時もあるし,まだ寝ている時もある。
4月に入り,朝食はだいたい一緒に食べてぃる。

ご飯の場合・・・味噌汁・たまご・納豆・のり・昨日のおかずの残りが中心。
パンの場合・・・牛乳・サラダ・ヨーグルト・フルーツなどが中心。

これらは割と冷蔵庫にあるものなので,用意も短時間にできる。
母の好みは買い物をしているので,だいたいわかる。

月・水・金の午前10時~午後4時はデイケア・サービスが受けられる。
私としても研究の時間に充てられるので大変助かる。

時間がある日は,息子の手料理(まだ週に1~2回だが)。
これは次の日の朝食にも残るほど作り,朝のおかずにもする。

2018年4月28日 (土)

「大和王朝のユキ国とスキ国」の分布図(改訂版)

「大和王朝のユキ国とスキ国」の分布図
大嘗祭のための新米を作るらしいユキ国(第1水田担当)と
スキ国(第2水田担当)を書き出してみた。

天武天皇・・・播磨・丹波
持統天皇・・・播磨・因幡

文武天皇・・・尾張・美濃
元明天皇・・・遠江・但馬
元正天皇・・・遠江・但馬
聖武天皇・・・備前・播磨
孝謙天皇・・・因幡・美濃
淳仁天皇・・・丹波・播磨
称徳天皇・・・美濃・越前

講談社学術文庫の『続日本紀』(上)(中)から抜き出した。
(下)を入手したら,増やしてみたいと思う。
例によって,分布図をどうぞ!
(天武と持統は緑色で,文武以下はピンクで示しました。)

Dscn1870

※ 天武と持統の大嘗祭は,例の「主語有無の論証」によると,
主語無し=九州王朝の天皇が主体ということになるので,

ホンモノの大和王朝の天皇である文武以降と区別しました。
※ 九州王朝の時代の大嘗祭(少なくとも白村江の敗戦以降)は,
大和王朝による財政的援助のもとで行われていたと思われます。

※ 山田さかんから,播磨と摂津を取り違えているというご指摘を受けました。
その通りです。ありがとうございました。持つべきものは,「研究仲間」ですね。
その後,もう一度確認したところ,因幡が2つなければいけないのに,
1つが伯耆に行ってしまっているのに気が付きました。謹んで訂正いたします。


「大和王朝のユキ国とスキ国」の分布図

大嘗祭のための新米を作るらしいユキ国(第1水田担当)と
スキ国(第2水田担当)を書き出してみた。

天武天皇・・・播磨・丹波
持統天皇・・・播磨・因幡

文武天皇・・・尾張・美濃
元明天皇・・・遠江・但馬
元正天皇・・・遠江・但馬
聖武天皇・・・備前・播磨
孝謙天皇・・・因幡・美濃
淳仁天皇・・・丹波・播磨
称徳天皇・・・美濃・越前

講談社学術文庫の『続日本紀』(上)(中)から抜き出した。
(下)を入手したら,増やしてみたいと思う。
例によって,分布図をどうぞ!
(天武と持統は緑色で,文武以下はピンクで示しました。)

Dscn1868_2

※ 天武と持統の大嘗祭は,例の「主語有無の論証」によると,
主語無し=九州王朝の天皇が主体ということになるので,
ホンモノの大和王朝の天皇である文武以降と区別しました。

※ 九州王朝の時代の大嘗祭(少なくとも白村江の敗戦以降)は,
大和王朝による財政的援助のもとで行われていたと思われます。

にわか引越し(1)

昨日の成果は,本
棚(本を含む)を3つ運べたこと。

何往復も移動して疲れたが,
無理して腰をいためると,
それでは引越しができないので
慎重にやっている。

Dscn1866


その名は「国分寺」!

ご近所の方で,私と小学校も中学校も同じだったという女性と,
例の「福ちゃん」でご一緒した。(たぶん10歳くらい年下)
いろいろな話ができて楽しかったのだが,
私が社会科の教師だったことを話したこともあって,
高校の社会科の先生の授業の話をして下さった。
(もう亡くなられたそうだが,「初恋の人」だったとのこと)

黒板に大きく,゜金光明四天王護国之寺」と書き,
その謎解きで日本史の授業をしたらしい。

そして,最後に「実は,これは国分寺のことなんだよ」と。
なんだか,話が面白くなってきた。

「実は,それが退職後に私が今やっている研究なんですよ。
聖武天皇の国分寺建立の詔には,国分寺ということばはなく,
「七重塔を建てよ。そうしたら金泥のお経を収めよう」というものだったのです。
と言うことは・・・」と話したところ,ちょうど待ち合わせの方が来て,
話が途切れてしまった。

国分寺建立の詔

http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage1099.html

たぶんその女性が通った高校は,国分寺高校だったのだろう。
そして,その先生は学校名の由来について語り,
歴史に興味を持たせたかったのだろうと思う。
なかなか良い先生である。
しかし,それは謎解きの「終わり」ではなく,
その「始まり」だったということだ。
(ちょっと「郡評論争」に似ているかも)


満開のシャクヤク

先日「母の好きな花たち」でご紹介したシャクヤクが,
満開のようなので撮ってみた。
写真と言うのは,「明日撮ろう」と思った時に
ピークを過ぎてしまっていることが少なくないので,
とりあえず撮ってみた。

Dscn1867

オーバーになことを言えば,人生もそれに似ていて
「研究がまとまったら発表しよう」と思ったら,
その直前に亡くなるということもあり得る。
(「残念ながら急逝されました」というやつだ。
白樺湖の研究会の時もそういう方がいた)

その点,板倉さんや古田さんは,たいてい
「今の研究」を語ってくれたのでワクワクしたものだ。
特に古田さんの講演会の出だしは,毎回のように
「古田でございます。
今日は天気の悪い中,私の話を聞きに来ていただき,
ありがとうございます。
実は昨日発見したことがありまして,それを先にお話しして,
あとのことは本にも書かれているので
かいつまんでやらせていただくことにします・・・」
という感じだったように思う。


2018年4月27日 (金)

「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」(服部さん)のアップについて

ようやく上記の服部さんの論文(要約)をアップしました。
アップしたというより,アップアップという感じで,申し訳ないのですが,
少しでも早く内容をお伝えしたいと思いアップします。
従来の瓦の考え方を大きく変える破壊力を持っていると思います。
また,これで多元的「国分寺」研究が加速すると考えます。
と思いますので,ぜひリンクから入ってご一読下さい。
また,もっときれいなもの(私の技術力の無さから,けっこう不体裁になってしまいました)を
読みたいという方は,コメント欄に住所・氏名を書いて下さい。
実費で原版のコピーを送らせていただく所存です。(肥沼)

多元的「国分寺」研究サークルの
「古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究」(服部さん)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2018/04/post-b391.html

6月に旧アパートを撤去する!?

新々アパートを作るため居住者の引越しは
5月と聞いていたので「来年の5月」だと油断していたら,
「今年の5月」のことだった。
ということは,家主(の家族)であり,居住者でもある私も,
母屋への引越しを迫られることになる。
来月って,あとひと月だよ。w(゚o゚)w

学校から持ち帰った荷物は,そのまま開けないで
母屋へ持って行った方が良さそうだ。
また,大量の本を持ち込むとすれば板の間の部屋しかないので,
2階の西側の部屋を利用するしかない。

などなど,アパート建設についての私と建設会社のイメージが,
かなり違っていたことに気が付いた昨日であった。
「実は私もあと30日で引越し」ということは,昨日まで気が付かなかった。(^-^;

郷土研究会の「研究発表」の準備

昨日の午後は,上記の作業をした。
5月の下旬に「文化祭」みたいなものがあって,
それに向けての準備ということらしい。
その割には,「うちに持って帰ってやって下さい」みたいなところもあって,
せっかく時間があるなら,今やってしまおうという雰囲気を醸成し,
そこにいるみんなで頑張ったら,1時間半ほどであらかたできてしまった。
あとは指示のシールを貼って,それが何と呼ばれる道かを示すのだが,
それは資料数が一律でないので,地域ごとにやり方を変えた方がいいと思った。
リーダーのKさんは,みなさんで統一してとおっしゃっていたが…。

なお,資料として模造紙(2枚分×5組)に貼った調査の内容は,
この5年ほどの間に会長さんが自ら歩いて調べられた労作である。

大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」の類似点

大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」には,類似点がある。
両方とも,天武の時に不完全な形を取っていたのが,
持統に至って完全な形になるということだ。

大嘗祭・・・主催者不明で,天武は褒美をあげる役 → 主催・褒美とも持統が行う

伊勢神宮の「遷宮」・・・主催者不明。天武の時に「20年に1度と決める」 → 第1回「遷宮」を持統が行う

私は,以前から大嘗祭も伊勢神宮の「遷宮」も,九州王朝によって行われてきたと思っている。
それは,九州王朝が中国から正式に主権国として認められ,
倭国という名称で中国正史に書かれているからだ。
ところが,662年か663年に白村江の戦いが唐・新羅との間に起こり,
九州王朝は敗戦+その後の筑紫大地震で大打撃をうけ,滅亡していったのだと思う。

それに代わって日本のかじ取り任せられたのが「旧唐書」で日本国と呼ばれる大和王朝。
おそらく戦争と被災のために財政破綻をしたきた九州王朝には,
大嘗祭で褒美をあげる力も,伊勢神宮の「遷宮」を行う力も持っていなかったのではあるまいか。
それが「天武の不完全型」+「持統の完全型」となって,大嘗祭と伊勢神宮の「遷宮」遷宮に
似た形として表れているのだと思う。
そして,「分家」の作った日本書紀に,「本家」である九州王朝の名前(倭国)は存在しなかった。
なぜか,それは大和王朝こそ,昔からこの国を治めてきた「本家」であるという主張の書だからだ。

2018年4月26日 (木)

肥さん関連サイトの「交通整理」

いろいろあって頭を冷やす必要を感じ,
「しばらく古代史の話題は自分のファイルに書き込みます」などと
余計なことを言ってしまいましたが,
多元的古代の研究は明るい未来のために欠くべからざる研究だと思うので,
恥を承知で再開します。
しかし,川瀬さんのアドバイスもあるので,
少々「交通整理」をしたいと思います。

☆ 「肥さんの夢ブログ」~基本的にはいろいろな話題が登場する。
退職したために「学校」「授業」「部活動」の話題が激減し,
それにたいして古代史の話題が多くなり,川瀬さんの研究時間も削ってしまったが,
これからは「古代史研究」も含め,「息子の手料理」「旅行の記録」「アパート経営」などについて,
多彩に書いていきたいと思います。
かなりのコメントが行きかった「伊勢神宮の九州王朝創設」については,
「古田史学の継承のために」に引越しし,議論の続きをそこでしたいと思います。

☆ 「古田史学の継承のために」~上記のことから,「伊勢神宮の九州王朝創設」について
こちらのサイトで続きを行い,深化させたいと思います。どうぞよろしく。

☆ 多元的「国分寺」研究サークル~服部さんの画期的研究に元気をいただいて,
さっそくアップ作業を始めているのですが,字は出ても絵がなかなかうまくいかず悪戦苦闘中です。
しかし,かならずやアップ思っていますので,辛抱強くお待ちください。
新たに何人かの方から,コメントが入っています。反応可能な方は,よろしくお願いいたします。

祝 126万アクセス達成!

昨日の午前中に126万アクセス達成です!
読者の皆様,ありがとうございます。

前回の125万アクセスは,4月6日でした。
20日間で10000アクセスということになります。
(1日500。ただし,これは総アクセス数で,実質アクセス数は約150です。
だいたい毎日4クラスの生徒の数と同じくらいの皆さんに読んでいただいています)

息子の手料理 4/25

Dscn1853

「スペシャル肉豆腐」・・・すき焼きの応用で

「初めての筑前煮」・・・ごま油が必要だった。あと,彩りとして黄緑色のサヤエンドウとかも・・・

古田さんの『伊勢神宮の向こう側』への寄稿

室伏志畔著『伊勢神宮の向こう側』(三一書房)という本がある。

Dscn1855

古田さんが文章を寄せている。「思想と文体」という題だ。
伊勢神宮に関する部分を引用する。

「文明は文体を生み,思想は文体をともなう。わたしは本書に接してこの言葉をつぶやいた。
わが国も,深き文体を生み出す,その世紀の入口に立つに至ったようである。
本書の主題をなす,伊勢神宮。それはわたしにとっても,永年の懸案だった。
そのポイントは次の点にあった。「なぜ,内宮と外宮の二宮があるのか。」この一点である。

その回答の鍵は,「元伊勢」の名のある籠(この)神社(京都府,舞鶴湾)にあった。
豊受大神を祭る,その奥宮には陰陽石が鎮座していた。
すなわち,万物生殖繁栄の徴だ。旧石器・縄文の御神体である。

伊勢には,双見ヶ浦。双見は「両神(ふたがみ)」,海洋民の陰陽神だ。
これを“地上の神社”化したもの,それが「内宮と外宮」の伊勢神宮だったのではないか。
伊勢周辺の各社に祭神とされる「豊宇気毘売神」この女神と登由宇気神(大神)の両神,
それが本来の祭神だったのであろう。これがわたしの帰結点であった。」

「「伊勢の二十年式年祭」がたとえ,「天武・持統の制定」にもとづくものであったとしても,
これが独創だったか,それとも「模倣」か,それが問題なのである。」

『伊勢神宮の向こう側』が出版されたのは,20年以上前の1997年のことである。
その時点で古田さんはもう,伊勢大社の式年遷宮が独創か「模倣」かを問題にされていたのか・・・。

2018年4月25日 (水)

『遷宮をめぐる歴史~全六十二回の伊勢神宮式年遷宮を語る』

茂木貞純・前田孝和共著,明成社,
1200円+税の上記の本が届いた。
本当に690年から20年ごとにやっていたのか,
それはどんなことがあった頃なのかを確認するためである。

Dscn1854

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

回 西暦   天皇      主な出来事

① 690年 持統天皇   701年,大宝(初めての大和年号)を建元

➁ 709年 元明天皇   710年,平城京遷都。712年,古事記の編纂。720年,日本書紀の編纂

➂ 729年 聖武天皇   723年,三世一身法,

④ 747年 聖武天皇   741年,「国分寺建立の詔」。743年,墾田永年私財法。752年,大仏の開眼供養

⑤ 766年 称徳天皇  

⑥ 785年 桓武天皇   

 ※ 791年,盗難・火災で焼失 794年,平安京遷都。804年,『皇大神宮儀式帳』『止由気宮儀式帳』の提出

⑦ 810年 嵯峨天皇   

⑧ 829年 淳和天皇    

⑨ 849年 仁明天皇

⑩ 868年 清和天皇   

・……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

天皇の代替わりの行事である大嘗祭は,天武の段階では不完全な「褒美だけ」で,
持統に至って主催+褒美の完全型である。式年遷宮も,同じだ(天武の不完全型ー持統の完全型)。
私が「誰が始めたのかはっきりしないが,途中で大和王朝が関わってきたら,
これはもしかしたら九州王朝が始めたかもしれないぞ疑ってみるべきである」テーゼを参照のこと。

また,「続日本紀」で7世紀末から8世紀初頭にかけて続日本紀では,
「はじめて〇〇した」という記事が多いが,あれは「日本列島でやった」という意味ではなく,
「大和王朝では初めてやった」という意味のようである。

トコテラス

所沢駅の雑踏の階上に,トコテラスと呼ばれる空間がある。
いわば多目的スペースの一種なのだが,
テーブルと椅子がほどよく配置されていて,
大勢で騒ぐようなこともなく,
数十分~1時間くらいの時間を静かに過ごすことができる。

Dscn1849

Dscn1850

私も時々ここを利用して,本を読んだりパソコンを叩いたりしている。
昨日は「まんまる」と「房ya」の帰りで,
仮説の会の扇野さんのガリ本『LIFE・8』を読んだ。(写真中央の赤い本)
毎年出されるこのガリ本は,とても人気のあるもので,
ガリ本リストに名前が上がったら,即注文する必要がある。
仮説実験授業を中心とした「オギ・ワールド」で,
爆笑とうれし涙を誘われること必至だ。(o^-^o)

もうすぐ126万アクセス!

あと100アクセスぐらいなので,
本日の午前中くらいには達成できそうだ。

いつもご愛読ありがとうございます。
特にここ1ケ月は古代史の話題が多くて,
「頭が混線しているよ~」という方も少なくないかもしれません。
私が古田さんの講演を聞き始めた時,やはりそうでした。
そして,古田さんもやはり「頭が混線してきたと言う方もおられるだろう」と
講演の最中に言っていた記憶がある。
それほど,大気圏内(一元史観)から宇宙(多元史観)への脱出には
パワーが必要なのだと思う。

何を隠そう,私も最近まで,伊勢神宮は大和王朝のものと考えて疑わなかった。
だから,『斎宮』という本をきっかけに,多元的な目で見直してみようと思っていたのだ。
そこへ川瀬さんから「肥さんは,伊勢神宮が始まったのはいつからだと思っているの?」
と突然聞かれ,「690年-20年=670年じゃないの?」とノーミソが回転し始めたのだった。
そして,伊勢神宮に参拝した今回の旅行をきっかけとして,
九州王朝の創設というアイデアが浮かんだのだった。
私の場合は,例の「誰が始めたかわからないのに,途中から大和が関わってきたら,
それはもしかして九州王朝が始めたのではないかと疑ってみる」というテーゼで,
同様の例としては大嘗祭がやはり天武ー持統のコンビだった。(天武で決定し,持統で実施)

さらに伊勢神宮は電話で「それまで期間は決まっていなかったのを,20年にした」と言っていたが,
私は「それまでも20年だった」と考えている。これは証明は難しいのだが・・・。
分家が本家のやっていたことを続けてやるとしたら,ルールを変えることはほころびを生むと思う。
前と同じ期間でやっていたから,トラブルも起きずにやって来られたのだと思う。

2018年4月24日 (火)

「肥さんの夢ブログ」に学ぶ(山田さん)

実は昨日,山田さんのサイトに,「Wikipediaの筆者は優等生―座りの悪い「古代道路」の解説―」
という話題が取り上げられ,それがらみで私の
「古代日本ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?」が取り上げられていたは知っていたのだが,
「♪昔のハイウェーで出ていま~す」という感じで
しつこくなるのも恥ずかしくて,触れないでおいた。

ところが山田さんは,本日の「夢ブログ」の話題(私の「コメント欄」の考え方)を題材に,
上記のような題名で,大々的に取り上げていただいた。
もうこれは,リンクするかない!
というわけで,リンクしたのが,以下のものである。
(ついでに「Wikipediaの筆者は優等生―座りの悪い「古代道路」の解説―」」を読むという
能率的な方法もありです)

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-040d.html

実は『発見された倭京~太宰府都城と官道』について,
9月1日(日)に発刊記念講演会が行われる予定で,
その講師として山田さんと私にもお誘いがあった。

私としては,こんな機会は人生でそうあるものではないので
お引き受けしようと思っているが,
75分を1人で語り切るわけにもいかないので,
「2人でどうですか?」ということなのだろうと思っている。
それに,この本の中で「官道」は第2特集なのですよ。
それが最初に来て,メインの太宰府が後半というのもいかがなものか。

とはいえ,リレー講演のようにAーBーA(2回目)ーB(2回目)みたいな形なら,
案外乗り切れてしまうのではないかと思ったりして。(各20分ほど)
今回「古代ハイウェー」 → 「軍用道路」「東山道十五国の比定」 → 「古賀さんや私の疑問」
→ 「凡川内国の発見」と研究の流れもそれが向いている気がするし。

いかがですか?山田さん!こんなやり方では?

新・はがき通信

これまで森田さんが作って下さっていた
社会科サークルのはがき通信に代わり,
新・はがき通信が届いた。

Dscn1847

これまでのはがき通信は,内容も色使いもカラフルで,
その分ご負担をかけてしまっていたようにも思います。

新たなはがき通信が毎月届くのをを楽しみにして,
これからも頑張っていきましょう。

「ケアマネさん」の訪問

母の担当のケアー・マネージャー(略称「ケアマネさん」)がTさんである。
これまで何回か母と同席してお会いしてきたが,
火の始末はじめ山ほど注文をつけられ,
三学期の(そして退職前の)忙しい日々に
さらにストレスを貯めていたのだった。

その時の私のセリフがこうだった。
「4月に入ったら改善していきますので,もうちょっと待って下さい」
特に火の始末は最初にやりますから・・・と。
そして,これまで書いてきたように諸改革は進められ,
今朝のケアマネさんの訪問を迎えた。

今日は最初からケアマネさんの表情が良かった。
「伊勢旅行にも行けて,よかったですね」
「玄関や寝室も片付きましたね」
「ストーブもなくなって,火の心配もありませんね」
これまでと180度違ったセリフに,頑張って良かったと思った。

「あとは転ばないことと,冬になった時の暖房をどうするかですね。
ま,それはまたその時期に考えましょう。
もう次回の訪問は,お母様だけで結構ですよ。
もしお時間がありましたら同席して下さい」

お~,その言葉を待っていた。
時間が出来た今となっては,同席は構わないのだが,
これまでの取り組みを評価していただいて,
このような言葉も言ってもらえた。

「今夜は祝杯だ!」と思ったら,
ちょうど例の「伊勢・志摩旅行に参加された皆さんへ」ということで,
「本格芋焼酎・火水風」が2本届いた。
建設会社の社名入りであった。(笑)

私の「コメント欄」の考え方

私がコメント欄についてどのように考えているか,
ちょっと書いておく。

(1) お礼のご挨拶について

煩わしいようだが,私のコメント欄は,いつも同じ形から始めるようにしている。
つまり「〇〇さんへ コメントありがとうございます」という形である。
これは最初からそうだったのかどうかわからないが,今はかたくなにそうしている。
(最近では,その趣旨をわかっていただいて,ご自分のサイトで生かしていただいている方もあります)

つまり,相手の表情が見えない,電話やメールでは,まず「敵ではありませんよ」という
シグナルが必要だと考えているのだ。
そうでないと,特に相手の文章や意見をいきなり否定することになり,
「おいおい,喧嘩売ってるのかよ・・・」と考えると思うのだ。
なので,面倒でも,例のあいさつを書いてから本文を書く。
考えてみると,今や星の数ほどある地球上のサイトのうち,
自分のところを選んできてくれたのだから,それだけだって「ありがとうございます」なのだ。
ましてや私の書いた内容について,プラスのコメントを書いてくれたりするわけだから,なおさらである。
逆にマイナスのコメントの場合もあるが,それはそれで私の成長のためになる可能性もあるから,
それもまた「ありがとうございます」というなのだ。

(2) 書く内容について

では,内容は何を書いてもいいかというと,それはそうではないと思う。
そのサイトの趣旨に従って,まず賛成の内容を書き,「ただし,ここは反対です」と書けば,
書かれた方も冷静に対処でき,双方にとってプラスの動きにつながるのではないかと思う。
そういう点では,学問的論争を「夢ブログ」でやるのは,あまり適していないと思っている。
そのため,ここ数年,「多元的「国分寺」研究サイト」や「古田史学の継承のために」を開設してきた。
また,これは日本語という言葉のせいなのかもしれないが,最後まで結論がわからないと長くなりがちだ。
なので,結論を最初にのべ,その理由を続けていけばいいと思う。これは自戒を込めてだが。

(3) コメントはすぐ表示しないシステムにしてあります

とはいっても,いろいろな人がいるわけだし,その時の感情に任せて書いてしまうこともあるだろう。
それは人間が感情を持った動物だから,仕方のないことだ。
ただ,トラブルはできるだけ起きないようにした方がいいので,
私はコメント欄に書かれたことがすぐに出ないように「非表示」にさせていただいている。
これをご存じなくて何回も送信される方がいるが,1日後には表示されていると思う。
(1日2回はメールチェックしているので)

それでも,いつまでたってもコメントが表示されないこともあると思う。
それは私が忘れているか,コメントの表示を拒否させていただいたからだと思う。
人間は感情を持つ素晴らしい動物だが,時に言葉で人を傷つけたり,不愉快な思いをさせてしまう。
これも自らの自戒を込めてのことだが,そういう時には「言い過ぎたかな」と解釈して下さい。
また,プラスのことを書いたのに何故?ということがありましたら,再送して下さい。
私もミスタッチでコメントを消してしまうことがたまにはあるかと思いますので・・・。
これまでコメントの非表示で対処したことが何回かはあります。
でも,10回まではいっていないと思います。(^-^;

2018年4月23日 (月)

母の好きな花たち

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東村山で発見された古地図

先日東村山の郷土研究会の総会で,
大変貴重なものを見せていただいたことを書き忘れていた。
地元・東村山で発見され古地図である。

田・畑(こちらが圧倒的に多い)・家・道路(道幅も)・川・山林など,詳しく調べている。

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畑が多いせいだろうか,地図全体が茶色がかっている。
地券では,水田は青色の,畑は茶色のものが発行された。

関西にも,「伊勢神宮の九州王朝創設」を考えた人がいた!

昨日はいろいろなことがあったが,
その終りにもビッグな出来事が待っていた。
それは古賀さんからのメールで明らかになった。

〉 伊勢神宮九州王朝造営説は昨日の「古田史学の会」関西例会の懇親会で
日野さん(奈良大学 三回生 国史専攻)からも出されましたので、
肥沼さんの説も紹介しました。
関東と関西でそれぞれ研究が進展するといいですね。

え~,関西にも,「伊勢神宮の九州王朝創設」を考えた人がいたんだ!
これはいろいろな意味ですごいことだ。
場所も,年齢も違う方が,これまでの常識では考えられない,
トンデモナイことを考えたということ。
そして,それは古田史学に導かれ,論理的に間違いないと
同じような時期に考えていたということ。
これはぜひ交流して,考えを深めていきたいなあ。

・・・と思ったら!もう「夢ブログ」にコメントをいただいているではありませんか!

〉 初めまして!今回の内容に全面的に賛成です!
私も似たような仮説を考えていました。
(「伊勢神宮を最初に祀ったのは,九州王朝だった!」に対する
日野さんのコメント。以下省略)

昔だったら,住所を聞き,手紙を書き,資料と共に封筒に入れ,
切手を貼って,ポストに入れ・・・とやるところが,
21世紀の今は相手のブログにコメントするという形で,お会いできるのです!
日野さんの行動力に乾杯です!ヽ(´▽`)/

これは単に2人の出会いができたということにとどまらず,
伊勢神宮の九州王朝創設という古田史学の試金石として,
育てていくことができるチャンスが生まれたということです。
年齢はお聞きしていませんが,大学3年生なら20歳かもしれない。
すると,あと4か月で60歳となる私と,凸凹コンビではありますが,
二人三脚でやっていけるということですよね。
違いました。川瀬さんがいますから,三人四却ですか。
とにかく,伊勢神宮の研究にとって,素晴らしく記念すべき日であった!
ということを記して,「本日の営業」を終わらせていただきます。
皆さん,おやすみなさい~。

2018年4月22日 (日)

母の「秘密基地」~玄関と寝室

変な題名だが,お付き合い願いたい。

前から母の生活はいろいろ方に心配していただいて,
心配していただくのはありがたいのだが,
直接本人に言っても改善されないものだから,
ついつい「後見人」の私が言われることになる。
本当に「ストレスのかたまり」である!
しかし,ようやく改革の時は来た。

(1) 鍋焦がしがやまず,火災の心配をする声

もちろん私も承知しているのだが,調理は母の楽しみでもあり,
退職したらいろいろ取り組もうと思っていた。
すでに書いた通り,ガステーブルの撤去,IH調理器の撤去を行ったが,
ここ数日夏のような天気になっているのに乗じて,電気ストーブの撤去に踏み切った。
これと似たようなタイプの電気ストーブが父の命を奪ったのだが,
母はそれを忘れてしまったのか,なおその使用をやめないでいた。
ふすまに接していて,ベッドとの間も1m足らずしかないので,
かねてより何人もの方から「危険である」と指摘されてきた。
(指摘だけなら私が一番しているが)
ついにその時は来た。
暑くなってきて,母もストーブを付けなくなった。
チャンス!
今朝ストーブは物置に撤去した。

(2) 玄関とベッド脇に作られた母の「秘密基地」

物を捨てることが出来ない母の身の回りは,愛ではなく物に囲まれている。
仏壇の間はしばらく前に,「お盆に親戚が来る予定」だと伝え,
文句を言われるのがいやな母は,しぶしぶ片付けてくれた。
玄関前もいっしょにやってくれたので,褒めようとしたら,
例の「IH調理器でもだめか」で,残念なことになってしまった。
残るは母の2カ所の「お店」である。
4月の主な行事も終わり,私も2時間なら付き合える時を迎えたので,
礼拝に行く日曜日の朝を狙って,玄関とベッド脇の片づけをした。
考古学では,古いものが下層に,新しいものが上層にあるのが普通である。
たまに「流れ込み」みたいな状態もあるけれど,
下に行けば行くほど古いものが出てくる。
さて,本日の収穫(出土物)は?

① 燃えるゴミ・・・40リットル用1つに20リットル入り3つ。合計100リットル。
➁ プラスチックごみ・・・20リットル用2つ。
➂ 玄関の山から,5箱のティッシュを発掘。すべて途中まで使用して埋没。
④ 茶碗や皿などの食器類,コップ,割りばし,楊枝,それらを載せている大小のお盆。
⑤ ついに最下層より,お盆に載った急須と5個の湯のみ茶碗を発掘。 ← 何年前?

これらを1時間余りの間に,
半分は母の立会いの下,半分は私の個人差作業で,
なんとか片付けることが出来た。
危険を指摘してくれた方,褒めて下さいね。

(3) 人のふり見て,我が部屋そうじ

ここまでだと,単に愚痴に終わってしまうので,朗報を1つ。
午後外出先から帰った私は,午前中の片付けのベクトルを我が家に向けた。
母の遺伝を直に受けた私も,大の片付け嫌い。
しかし,母のをやっただけでは片手落ち。
楽天VSオリックス戦を観ながら,
部屋の片づけを行ったのでありました。(笑)

郷土研究会の総会&懇親会

昨年からお世話になっている東村山市の郷土研究会の
総会と懇親会が昨日行われた。

私も新世話人として参加したが,
高齢化が進む中「青年部」と呼ばれるのにはちょっと参った。
今から30年前組合運動にも「青年部」があり,
それは20代の者たちには文字通り「青年部」だった。

まあ,もう一度その響きに刺激されて,
新鮮な気持ちで始めようとは思ったが…。

【ふるさと歴史館】

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【昨日のパフォーマンス】

(1) 総会に「私のふるさと」の原稿案を持ち込んだ。(ブログの紹介付き)

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(2) 『発見された倭京~太宰府都城と官道』の紹介をした。

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(3) 2つの手品(「マジック・ワールド」と「エレベーター式トランプ」)を披露した。

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【懇親会】

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なお,伯母と同級生であり,叔父を5,6年生の時担任したという
87歳の女性の先生にお会いできた。
今でも戦争の語り部として頑張っているようである。

2018年4月21日 (土)

大和王朝の古事記には「遷座の経緯」はなかった!

昨日書いた「だんだん詳しくなる「遷座の経緯」の謎~「遷座の経緯」はなかった!」を
古事記と日本書紀の部分に焦点を当てて書いてみました。

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ウィキペディア「元伊勢」の文章を読んでいて,
あれれれ・・・と思った一説がある。
次のところだ。
「遷座の経緯について、『古事記』ではこれを欠くが、
『日本書紀』では簡略にだが書いてあるという。
これは見逃すわけにはいかない違いではないだろうか。

というのは,古田史学に学んでき者としては,
古事記は大和中心の「歴史書」であり,
白村江の戦いをきっかけとして日本の主権者となった大和王朝が,
古事記や九州王朝系の史料を大幅に取り入れて,
8世紀に日本書紀が作ったと考えられているからだ。

古事記には,九州系の豪族の悪口さえ書かれていたが,収録されなかった。
「この国は昔から,大和王朝が治めてきた」というストーリーと,合わないからである。

ということは,素直に考えれば,
古事記が作られる際には「遷座の経緯」はなかったということだ。
つまり,日本書紀を作る段階になって,
九州王朝系の史料にはそれがあったので,盗用した。

結論から言うと,伊勢神宮を作ったのは,
「遷座の経緯」を持たない大和王朝ではなく,
簡略ではあっても「遷座の経緯」を持っていた九州王朝だったということになる。
皆さんは,どう思いますか?

だんだん詳しくなる「遷座の経緯」の謎~「遷座の経緯」はなかった!

ウィキペディア「元伊勢」の文章を読んでいて,
あれれれ・・・と思った一説がある。
次のところだ。

「遷座の経緯について、『古事記』ではこれを欠くが、『日本書紀』で簡略に、
『皇太神宮儀式帳』にやや詳しく、そして中世の『倭姫命世記』においてより詳しく記されている。」

普通は最初詳しく分かっていたが,だんだん風化していき,
やがて伝える人も少なくなり,忘れられていくということが多いのではないか。
それが,

古事記(欠く)<日本書紀(簡略に)<『皇太神宮儀式帳』(やや詳しく)<『倭姫命世記』(より詳しく)

と真逆の不等号を連ねているのである。(転がせば大きくなる雪玉のように)

これがもし研究の成果で明らかになったのだとしたら,私もうなづけるのだが,
これらの4つの連なりには,申し訳ないがかなり疑問を持つ。

というのは,古田史学に学んでき者としては,古事記は大和中心の「歴史書」であり,
白村江の戦いをきっかけとして日本の主権者となった大和王朝が,
古事記や九州王朝系の「歴史書」を大幅に取り入れ,8世紀に日本書紀が作ったと考えているからだ。
(古事記には,九州系の豪族の悪口さえ書かれていたが,収録されなかった。
「この国は昔から,大和王朝が治めてきた」というストーリーと,合わないからである)

ということは,素直に考えれば,古事記が作られる際に「遷座の経緯」はなかったということだ。
つまり,日本書紀を作る際に,九州王朝系の「歴史書」にはそれがあったので,取り込んだ。
結論から言うと,伊勢神宮を作ったのは,九州王朝だった,ということになる。
皆さんは,どう思いますか?

「元伊勢」の分布図

「グラフにできるものは,グラフにしてみろ」
というのが,板倉さんの口癖であった。
「おばあちゃんの遺言」ではないが,
板倉さんの口癖もそれに準じると思うので,
今回は「元伊勢」の分布図を描いてみた。
(ドットを打っただけですが・・・)

なお,「元伊勢」とは,「三重県伊勢市に鎮座する伊勢神宮(皇大神宮(内宮)と豊受大神宮(外宮))が、
現在地へ遷る以前に一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社・場所」とのことだ。

資料は,ウィキペディア「元伊勢」

https://ja.wikipedia.org/wiki/元伊勢

(1) 豊鍬入姫命巡歴
(2) 倭姫命巡歴

この2つを分けて作ってみた。

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豊鍬入姫命の分布図には,瀬戸内海にも「元伊勢」があるが,
なんと全く伊勢国には登場しない。
なんか瀬戸内海や日本海方面からやってきて,大和が終点という感じ。

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それに対して,倭姫命の分布図は近畿中心。
伊勢国のドット数も多い。

ここにはやはり,何か歴史がありそうな・・・。(笑)


ハナミズキの美しい季節

三重県で泊まったホテルの名前が「花水木」だったが,
今は本当にハナミズキの美しい季節である。

あまり派手な花ではないが,
気品のあるその咲き方が私は好きである。

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『(伊勢)大神宮諸雑事記』について

川瀬さんのアドバイスで伊勢神宮に直接電話を掛けた。
持統天皇が第1回の遷宮をしたということが書いてある史料である。
文字だけではイメージしにくいと思い,リンクしてみた。
少しだけでも,ページをめってみていただけたら幸いである。

「〈伊勢〉大神宮諸雑事記」

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7ページ 天武天皇(20年に一度遷宮をすることを決める)

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8ページ 持統天皇(第1回の遷宮が行われる)

原始時代については,文字だけで「打製石器」「磨製石器」と言っても
なかなかイメージは湧かないが,実物を見せるとすぐわかる。
「な~んだ,そういうことか」と。「縄文土器」と「弥生土器」も同様だ。
いくつか見ているうちにわかるようになってくる。(ビミョーなのもある)

先日瓦塔の出土地を探しに出かけた際,資料館の方とお話しした。
「下宅部(しもやけべ)遺跡から出土した縄文土器はすごく薄いですね。
技術が高かったのでしょうね」と言ったらうれしそうに頷いてくれた。
漆も自在に使い,水場でどんぐりのあく抜きを組織的にしていたらしい。
当然縄文土器の厚さも薄くなろうと思った次第。

楽天が投打が噛み合い6勝目

オ リ002000000計
楽天00010400×計

楽天が投打が噛み合い6勝目をあげた。
1点を追う楽天は,6回裏二死満塁で
代打茂木が押し出し四球で同点。
続く嶋が右中間を破る3点タイムリー打を放ち,
一挙に試合をひっくり返した。

則本は3回に2点を取られたものの,
嶋の好リードで尻上がりに調子を上げ,
完投で今季2勝目を挙げることができた。
楽天の連勝も今季初で,これからの躍進が楽しみ。

ウィーラー1号ソロ

則本ー嶋

則本2勝1敗

協会長杯・県大会の組み合わせ

協会長杯・県大会の組み合わせを昨日知った。
連絡が来ないので,「もしや角のシード校を引いてしまったのか!?」
と思ったが,これはけっこういい所を引いたのではないかな。
1日目の30(月)は,3回戦で初登場。
スロースターターの男バレとしては,審判で目を慣らし,
1試合分練習をして初戦に臨める。
ぜひクジを活かして頑張ってほしい。

協会長杯・県大会の組み合わせ

http://www.saitama-jhs-vb.com/kyoukai301.pdf

2018年4月20日 (金)

息子の手料理 4/20

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暑い日だったので,母の好きな刺身をチョイスしました。
「カツオの刺身」「野菜サラダ」「玉ねぎと豆腐の味噌汁」「みかんゼリー」

5月の楽しみ

怒涛の3週間が過ぎて,4月も3分の1だ。
5月の楽しみといこう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

5日(土)・・・高崎サークル
6日(日)・・・県大会(2日目)~関東大会に行くなら,残っているはず

8日(火)・・・古代史研究の仲間と飲み会

12日(土)・・・飯能・日高サークル
13日(日)・・・川瀬さんの「平曲の会」(第2回)

19日(土)・・・昭島サークル 関西例会の線も・・・

26日(土)・・・ある先生の結婚式に出席

30日(水)・・・石切り場見学とメロンの食べ放題

保険と年金の切り替え

昨日市役所に行って,保険と年金の切り替えをしてきた。
退職のドタバタで書類が見つからなくなったりして、
時間が掛かってしまったが,これで安心して暮らせる。

「アメリカでは政府と医療が関係が薄く,
日本で盲腸の手術なら10万円で済むところ,
あちらでは250万円掛かる」とテレビでやっていた。

「盲腸かな?」と思ったら,急いで「空輸」してもらって,
日本で手術を受けた方がはるかに安い!
おかしいような,笑えないような,そんな話題であった。

PS 調子に乗って,社会科サークルの公民館登録も行った。
これで1年間安心だ。
以前は,毎年有給休暇をとって説明会に行き、
ほとんど同じ説明を受けた上に審査でいろいろ厳しくチェックされ,
20年来本当に苦痛な思いをしてきた。
(登録は平日の午後5時までという縛りもあった)
昨年度から大幅に改善されて,やりやすくなった。

雨宮姓は,「天国(あまくに)の屯倉(みやけ)」の意味か?

今まであまり屯倉(みやけ)のことに興味はなかった。
天皇家の直轄地を知っても,多元的古代史の研究に役立つとは思えなかったからだ。
しかし,「版図と屯倉」の話から,多元的「屯倉」研究ということが思い浮かんだ。
九州王朝の時代には全国に屯倉があり,その痕跡が残されているはずなのだった。
たしか上野三碑にも「三家」とかあっし,「〇宮」という地名が埼玉や群馬や栃木にもあった。
そんな中で思いついたのが,雨宮さんはどこに多い地名かというアイデアだった。

なぜ雨宮さんかと言うと,九州王朝のことを「天国(あまくに)」と考えると,
「天国」の「屯倉」は当て字にすれば,「あまくにのみや」=「あまみや」となるのではないか。
「あめみや」と読む場合も多いが「あまのみや」が省略されて「あまみや」に,
そしてさらに「あめみや」となったのではないかと想像したのだった。
そこで前から利用したて来た「姓名分布&ランキング」を使ってみた。

姓名分布&ランキング

https://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp

予想通り、雨宮姓は関東圏に多い。
これは「天国」の「屯倉」が関東に多かったことと関係があるからではないか?
と「転んでもただでは起きない」肥さんは仮説を立てたのでありました。

自分の姓や「天宮」で試してみて下さい。
私は「肥沼」や「鯉沼」でやってみました。。

楽天が藤平の好投で5勝目

楽 天010100001計3
ソフト000000001計1

楽天が藤平の好投で5勝目をあげた。
また,アマダー3号と銀次1号が出た。

やっとこれで5勝12敗。
投手は頑張っているんだけどなあ。

藤平・ハーマン・松井-山下

藤平1勝1敗
松井0勝2敗2S

昔「凡川内国」という国があった!?

私が山田さんの提案された「東山道十五國」について出した質問=
「摂津と山城の間がほとんど点でしか接していない」に対し,
山田さんは「凡川内國」(摂津+河内+和泉)というものを見出され,
私の指摘を活かしていただけた。ありがとうございます。

学問というものは,誰が勝った負けたというものではなく,
「それに関わった人全員の勝利」なのだと思います。
なので,私も大変うれしいです。(o^-^o)

詳しくは山田さんのサイトまで。

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-e7b3.html

凡川内国造

https://ja.wikipedia.org/wiki/凡河内国造

凡河内躬恒「心あてに折らばや折らむ初霜のおきまどはせる白菊の花」

https://ja.wikipedia.org/wiki/凡河内躬恒

2018年4月19日 (木)

「皇大神宮儀式帳」について

伊勢神宮の内宮を20年ごとに建て替えることを「遷宮(せんぐう)」というが,
そのことが書いてあるという「皇太神宮儀式帳」について調べてみた。

神社支庁のサイトに,遷宮について簡単に書いてある。

「遷宮について」

www.isejingu.or.jp/sengu/aboutsengu.html

「なぜ20年に一度建て替えるのか」という理由は,よくわからないようだ。
私は技術を伝えるためには,寿命の半分ぐらいが新旧交代に
ちょうどいいからと思うが,いかがだろうか。

いずれにしても,なぜ持統天皇が第1回の遷宮をしたのは,
一元史観では永久に解けない謎である。

多元史観なら,「それはね。王朝が替わって,新しい王朝が前のやり方を踏襲したのだよ。
日本書紀は前王朝の九州王朝を隠しているので,何で7世紀末までと8世紀初頭からに
大きな変化があるかがわからないが,
中国の日本国(大和王朝)承認で一挙に政権のありかが替わり,
それまで九州王朝がやってきた儀式や行事を大和王朝がやるようになった。
それが持統天皇と文武天皇のところのONライン(700年・701年)で,
大宝年号は大和が初めて建元した年号だ。
「続日本紀」のそのあたりには「はじめて~した」という記事が多いのだが,
それは日本で初めてというより,
わが大和王朝では初めて行ったとみた方がいい。
そうそう,天皇の即位の儀式である大嘗祭も持統から
完全な形で主宰するし,それと同じように遷宮も持統から行えるようになった。
結論を先に言えば,その前は,九州王朝が行っていたのだが,
それは「この国は昔から大和王朝が治めてきた」という
「日本書紀」には口が裂けても言えないことなんだ。
だ・か・ら,誰が始めた知らない(というか本当は知っている)が,
今は大和王朝がやっていますよ」という記事にはご用心というかか,
謎解きのカギかあると思うんだ。」

川瀬さんの「主語有無の論証」と
肥さんの「誰が始めたかわからないが,今は大和がやってます」
(始まり不明,今大和のテーゼ)をうまく活用して,
古代史の謎解きをいっしょにやりませんか?(o^-^o)

※ 主語有無の論証・・・日本書紀を読む際,天皇が主語になっている場合と,
省略されている場合がある。後者の場合,九州王朝の天皇の可能性があるというもの。

多元的「国分寺」研究サークルを再開します!

多元的「国分寺」研究サークルを再開します!
どなたでも国分寺に興味のある方はのぞいてみて下さい。

多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/

このサイトがちょっと(かなり?)他の国分寺研究と違うのは,
歴史研究者の古田武彦さんの多元的古代研究に学んで,
古代史の謎を解き明かしていくことを活動の中心にしていることです。

つまり,大和王朝以前に王朝がいろいろとあり,
その流れの先に大和王朝があるという考え方です。
なので,教科書には出て来なかったような謎解きがたくさん出てきます。
そういうのが好きな方には,うってつけなサイトだと思います。

また優等生は,先生が求めている答えを覚えることによって加点されますが,
私たちは,みんなで知恵と勇気を出し合って,
古代史の真実を明らかにすることによって喜びを分かち合い,
歴史に貢献していきたいと考えています。
それこそ「誇りある歴史研究の姿」だと思うからです。

昔から,どの国のどの王朝も例外なく,と言っても間違いないくらい,
過去の歴史を改ざんし,自らの正当性を書き残してきました。
しかし,その一方で権力者に雇われて歴史を記述している役人の中にも,
ひとかけらの良心を残していた人(あるいは巧妙に解明のヒントを隠しておいてくれた人)も
いるのではないかと,研究を進める中で思えてきました。

私たちは,その良心にヒントをもらいつつ,解明の有力な方法である古田史学に学んで,
命のある限り歴史に取り組んでいきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

私もあとわずかで「老人」と言われる領域に差しかかりますが,
古田史学の先輩たちは,ご高齢にもかかわらず(失礼!)頭脳明晰で,
目も輝いています。「諦めていない目」です。
私もこのような先輩たちの後に続き,残りの人生の炎を燃やしたいと思います。

では,今後ともよろしくお願いいたします。
もう一度,リンク先を載せますね。


多元的「国分寺」研究サークル

http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/

社会科サークル 2018年4月

昨日は,上記のサークルに参加した。
場所は,新所沢公民館。
参加者は,大石さん,篠原さん,宮崎さん,佐藤さん,私の5名だった。
(平均年齢,高すぎ!新学期で若い先生方の忙しさがもろに現れていた)

いろいろなお土産紹介の後,私が「赤福」をお土産に
「伊勢・志摩旅行~飽食と研究の旅」を報告。

後半に,多元的古代の研究の話を入れ,

(1) 伊勢神宮の隣の多度大社では,天照大神が末社!
(2) 伊勢神宮を作ったのは,九州王朝か?
(3) 長良川の鵜飼いは,8世紀(九州王朝→大和王朝)に入ってできるようになった!

という最新研究の話題を提供することになった。
(みなさん,開いた口がこれまで以上に開いていましたが・・・)

今年度は,第3水曜日を中心に活動し,学期末は第2水で調整すること。
これまでの豪華なはがき通信はとても無理なので,素朴なものにする。
報告者や担当者に負担が掛からないように,順次軽量化を図っていくことが話し合われた。

5月例会は,5月16日(水)で,総会と佐藤さんからの報告がある予定。
私も退職して時間があるので,毎回「古田史学ミニ報告」を提出したい。(o^-^o)

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2018年4月18日 (水)

私のふるさと(「東村山・郷土研だより」の原稿)

私のふるさとは,全部で3つある。
1つ目が,父の勤める会社の支社があった山口県岩国市。
2つ目が,この郷土研のある東京都東村山市。
3つ目が,就職して勤めた中学校のある埼玉県所沢市である。

0歳   3歳             23歳                         57歳  59歳    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
山口県 東京都           埼玉県所沢市                    再び東京都
岩国市 東村山市          所沢市                        東村山市に戻る

岩国市は2~3歳までだったので,ほとんど記憶がない。
しかし,長男だったことが幸いして,アルバムには錦帯橋を背景に写る今とは違って丸顔の私,
これも今とはだいぶ違う若くて美しい母に抱かれて入浴している私の姿などが満載されている。
その頃は「3人家族」で夫婦と愛児(私のこと)のみの幸せ一杯の日々だったと想像する。

しかし,悲劇はすぐやってきた。父の転勤である。東京の本社に戻ることは,
マイホームパパである父が出世から遠ざかることを意味し,母には嫁・姑生活の開始を意味し,
かく言う私にとっては「弟」というライバルの出現を意味していた。
祖父・祖母・叔父・叔母との同居生活が,最初は7人で,弟が生まれてからは8人で続いた。

清瀬幼稚園ー秋津小学校ー第二中学校ー小平高校ー法政大学の約20年間を東村山市だ。
当時の東村山市は,まだ農家もずいぶんあり,中学を出て就職をする友人もいた。
自然もまだ豊かで,よく近所の雑木林でクワガタを,久米田圃でザリガニやドジョウを獲ったり,
柳瀬川や湧き水へ水遊びをしに行った記憶がある。それは高度経済成長とともに失われたが。

それから34年間,隣の所沢市で中学の社会科教諭として,生徒たちとの楽しき日々を過ごし,
最後の2年,また東村山に戻って来て,退職を迎えた。ぜひ楽しい老後を過ごしたいと思う。

伊勢神宮を最初に祀ったのは,九州王朝だった!

私はこれまで,「最初に誰がやった書いていないのに,途中から関連記事や変更記事が出てきたら,
それは大和王朝としては初めてやった(変更した)」と読み取るべきである,と何回も書いてきた。
しかし,川瀬さんとのやりとりで,それが伊勢神宮に関してはできていなかったことが分かった。
素直に伊勢神宮にも適用すればよかったのである。

つまり,大和王朝で初めて伊勢神宮の遷宮を行ったのは持統天皇であり,
天武天皇までは行うことが出来なかった。(=九州王朝が行ってきた)
これは大嘗祭と同じ原理で,あちらも持統天皇から初めて主宰することができた。
な~んだ,どちらも同じ事を言っているではないか!

〉  (川瀬さんのコメント)こう考えてみれば、垂仁記二十五年の伊勢神宮奉戴の記事も、
そしてその後の雄略紀の皇女を伊勢に送った記事、
さらに、継体紀や用明紀での香手姬皇女を送った記事、
そして天武紀での大來皇女の記事はみな、九州王朝統治下の伊勢神宮の記事であり、
伊勢神宮の斎宮として実際に神を祭ったのが本家九州王朝の皇女ではなく、
分家の近畿天皇家の皇女が代行していたとみるべきではないでしょうか。

な~るほど,そういうことが゜,『日本書紀』には書いてあったわけだ。
それを今まで何のことかわからず,通り過ぎてきた。
川瀬さん,ご教示どうもありがとうございました。

では,なぜ九州王朝が遠く離れた伊勢神宮をわざわざ祀るのか?
それは自らの版図の一番東だからだということだろう。(この先は「毛人の国」で,外国と考えられた)
みなさん,この考えでいかがでしょうか?(ただ,今は「いつから」というのは,問わないことにします)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                                  ・
本家である九州王朝の版図(その東端に伊勢神宮)  ・ 毛人の国(外国)
                                   ・
                   分家である大和勢力  ・  中部地方以東
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

PS 今回の伊勢・志摩への旅行は,「東山道十五國」の比定で手一杯で,
旅行のともとして持って行ったはずの『斎宮』(中公新書)を
うれしいことに?1ページも読めなかった。
明日からは,以上を踏まえて読んでみたい。

2018年4月17日 (火)

伊勢・志摩旅行(3日目)

ついに招待旅行も最終日。
いよいよ伊勢神宮へと向かう。
今日も何か「発見」があるといいのだが・・・。

(1) 御木本幸吉のパールランド

鳥羽と言えば真珠の養殖。
その元祖といえば,御木本幸吉。
ということで,まずはその島に立ち寄った。

大きな銅像の前で,まずは記念写真。
若い海女さんに挟まれて,はいポーズ。
その後資料館に行き,どうやって真珠を作るのか,
その原理を学んだ。
たくさん核を埋め込んでも,成功率は30%。
真ん丸にならなかった真珠は,粉にされて化粧品に入れられる。
なかなか難しいものだと思った。
そして,同じように見えても値段がまったく違うから,さらに驚く。
昨日私が母にプレゼントしたのは,ピンキリでいうともちろんキリだが,
その分私の母への愛情が込められているので,桁が1つ上がるよね!

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(2) 伊勢神宮

「お伊勢参り」で知られる伊勢神宮は,内宮(ないくう)と外宮(げくう)の
2つのものから成り立っているが(末社・摂社は100以上),
今回は高齢の人たち向けに内宮の方だけだった。
うっそうとした巨木たちが,我々を迎えてくれる。
1300年の昔は,どんな感じだったのだろうか?
ちなみに私は,伊勢神宮は670年にスタートしたと考えている。
最初の遷宮(建て替え)が690年らしいので,単純に20年遡った。
では,なぜそう考えるかと言うと,662か663年に白村江の戦いが起こり
倭国(九州王朝が主体)が滅亡に向かい,大和王朝がその後のかじ取りを
任せられてのがその頃と考えるからだ。
そして,その際いろいろな神社の協力をもらったと考えている。
そのため,「本伊勢」という名前で呼ばれる(あるいは主張する)
古い神社がいくつもあるらしい。今でこそ「泣く子も黙る」伊勢神宮だが,
そのスタートでは,そんなに簡単にいかなかったのではないかな。
これは私の妄想ですが…。
そして,政教分離の今とは違い,政教一致の当時なので,
用意万端整って,中国からめでたく承認され,
701(大宝元)年,めでたく大和王朝としては初めての年号を建元した。
これが本当の歴史ではないかと考える。(それ以前の大化などは,
九州王朝が6世紀はじめから7世紀末に定めていた「九州年号」だ)

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(3) 「岩戸屋」で昼食

天の岩屋伝説から名付けた店の名前だと思うが,
特にそれらしいものは出て来なかった。
伊勢のうどんはやわらかく,関東風に味付けられていた。

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(4) 長良川の鵜飼いは,703年からスタート!?

この話題は,別項に書いたのでここでは繰り返さない。
「長良川の鵜飼いは,703年に始まった!?」参照のこと。
伊勢神宮に参拝したので,天照大神がおみやげをくれたのかも。(o^-^o)

(5) 謝辞

今回は縁あってお付き合いしている東建コーポレーションの
オーナーズ招待旅行「東建メイトカップ観戦ツアー」に参加し,
社員の方々および他のアパート経営者の方々とお話することができ,
とてもラッキーだったと思いました。この場を借りてお礼申し上げます。
そして,所沢支店のSさんとKさんには,特にお世話になりました。
ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。m●m

『和名類聚抄』と「正倉院文書」でしたね!

川瀬さんのアドバイスを参考に調べてみました。
長良川の旅館「すぎ山」のHPの記述。

鵜飼の歴史

http://www.gifu-sugiyama.com/ukai/history/index.html

「岐阜の鵜飼が初めて文献に登場するのは奈良時代のこと。
大宝2年(702)、各務郡中里(現在の各務原市那加周辺)の戸籍に『鵜養部目都良売(うかいべめつらめ)』と書かれた、鵜飼を職業にしていた人達と思われる名前が載っています。
平安時代中期に作られた日本最古の百科事典と言われる『和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、美濃国方県郡のなかに『鵜飼郷(現在の岐阜市)』があったことが記されています。」

あと,古田さんから教えていただいた鷹匠の話(筑後から大和へ献上)は,「大化の改新批判」という論文にあり,
正倉院文書ということは,やはり『なら遺文』で良いようです。

「同じく、「鷹狩り」は、中国から“輸入”された“天子と貴族の遊び”である。その「鷹たか犬」と「鷹匠たかじょう」が「筑後」から「大和」へと“献上”されている(八世紀、正倉院文書、天平十年)。
 すなわち、七世紀代において、「大和」には“訓練された鷹犬”がいず、あるいは“足り”ず、“プロの技術者”もまた、同じだった。
 この事実はすなわち、七世紀の筑後が「鷹狩り」という、中国から輸入された「天子と貴族の遊び」の地だったことを証明する。しかし、「大和の飛鳥」には、その痕跡がないのである。」

昼間書いた「長良川の鵜飼の開始」とこれらを合わせると,特殊技術者が九州王朝→大和王朝に異動している
ということが言えるのではないかと思います。

長良川の鵜飼いは,703年に始まった!?

当たるも八卦で,アップしておく。
伊勢・志摩旅行の3日目。
伊勢神宮から名古屋へ向かう帰り道に,
バスガイドさんがこんなアナウンスをした。

「横に見える長良川は,今から1300年前の703年に
鵜飼が始まったそうです」

703年の年号にピンとくるものがあった。
もしかして,曲水の宴も701年に行っているし,
長良川の鵜飼いも「ONライン」を越えて
大和王朝も始めたのではないか。

それは,前から聞いていたのだが,
江田船山古墳出土の銀象嵌鉄剣に描かれた鳥が
「鵜飼の鵜」ではないかということだからである。
そして,その鉄剣に刻印されている花は
私が九州王朝の紋章と考える「12弁の菊花紋」だ。

曲水の宴も鵜飼も,天子が行える特権だったのではないか?
もしかしたら,同じ事を気が付いた方もおられると思うが,
伊勢神宮に参拝した旅の終りに私も気づいたことを
「夢ブログ」に記しておきたい。

今回の旅には,古代史用白地図は持参したが,
『続日本紀』は持ってこなかった。
どなたか手元に『続日本紀』がある方は,
703年のところでご確認していただけたら幸いである。
「(大和王朝で)はじめて,長良川で鵜飼を行った」
という記事が出ていませんか?

再び・山田さんの質問にお答えします

再び山田さんの質問にお答えします。
「赤間関」の存在理由についてです。

基本的に海峡は,潮の流れが急で,
関所には向いていると思います。
そして,実際佐賀関は8世紀前半までその役目を果たしました。
(716年,豊後ー伊予間の往来を許可する願いが出される)

しかし,赤間関(関門海峡)は,近隣国との国境関係が変化して,
その時代によって「国境」の役割は変化したと考えました。

(1) 国境としての重要な役目を負っていた時代

磐井の乱における継体とアラカイの「戦後の領土分割案」では,
九州島と長門国の間に「長門以東」と国境が意識されています。
なので,文字通り国境として見張りを立て,
佐賀関同様厳しく守られていたと思います。

(2) 長門国が九州王朝の支配下に入った時代

しかし,上記の時代には,副都?も長門国に置かれ,
柿本人麻呂も呼ばれたりして宮廷歌人として活躍したので,
かつてほど赤間関の役割は重くなくなったような気がします。

(3) 周防も九州王朝の支配下に入った時代

さらに,上記の時代には,大和を意識した
石城山(いわきやま)神籠石(九州王朝の技術)が築かれ,
それに従って赤間関の重要性は相対的に下がったと考えました。

もしかしたら,(2)と(3)の時代順は逆か同時並行かもしれませんが,
いずれにしても,(2)と(3)がそろってこそ,
北海道・東山道・東海道の三軍が矛盾なく置けるようになったと思います。

伊勢・志摩旅行(2日目)

招待旅行の2日目の記録である。
昨日は,南下して鳥羽へ向かった。

(1) なばなの里

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(2) 松阪で昼食(牛鍋定食)

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(3) 鳥羽水族館

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(4) 鳥羽シーサイドホテル

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(5) 宴会

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(6) ディナ―ショー(ものまね)

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(7) その他(真珠の「真価」は?)

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昨日とは違うみなさんに「マジックワールド」の手品を披露しました。
本当に手品は,人と人とのコミュニケーションに役立ちます。(o^-^o)

2018年4月16日 (月)

山田さんの質問にお答えします

山田さんがご自分のサイトで,私の「東山道十五国」案に質問して下さった。
私の勘違いしていたところも含め,お答えしていきたいと思う。
その結果,「東山道十五国」がよりはっきりしてきたように思うが,いかがだろうか。

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-7cdd.html

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1.「安芸」について「吉備」に含めているようですが、
「吉備」が「安芸」まで含んでいたとされる根拠は何でしょうか?
「吉備」と「安芸」は別の国のようですが。

→ 勘違いしていたようです。安芸は生かして,その分大和を削ることにします。

2.「摂津」(5)と「山城」(8)のつながり様は「和泉」(6)を加えても変わりませんが?
 ((5)(6)(7)(8)に囲まれている「河内」を加えると改善するとは思います。)

→ 河内と和泉を取り違えていました。「河内を加える」というのが正しいです。

3.「大和」は「山城」(8)からの「東山道“大和路”」(支道)ということでしょうか?
 (『延喜式』では「東山道」に「山城」(8)が入らず、「近江」(9)からとなっています。)

→ 『延喜式』は大和王朝のものですので,位置づけが違ったのだと思っています。

4.倭国(九州王朝)の「東海道」は「淡路」から紀伊半島沿岸を行ったのでしょうか?

→ 今のところ,そう考えています。

5.「赤間関」(関門海峡)を使って「長門」へは行かなかったのでしょうか?

→ 「海峡は潮の流れが速くなる場合がある」という船の航行には危険な場所なので,
軍を移動するには,「海峡から少し離れたところ」を行くのが安全と考えました。

6.「長門」は「日本国」の令制で「山陽道」に付け替えられたのでしょうか?

→ そういうことになりますかね。

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ということで,以上を古代史用白地図に描くと,以下のようになります。
このように作業をしやすくしていただいたのは,山田さんのお陰です。

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【渡航ルート案】

北海道の場合・・・博多湾→長門((長門国の中心?)

東山道の場合・・・行橋→防府(周防国の中心?)

東海道の場合・・・佐賀関→松山(伊予国の中心?。道後温泉あり)


伊勢・志摩旅行(1日目)

昨年スタートした新アパートは,名古屋に本社のある
東建コーポレーションのお世話になった。
ということもあって,今回2泊3日のオーナーズツアーに
母と私を招待して下さった。(担当のSさんの添乗付き)

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(1) 東建ホームメイトカップ・決勝ラウンド観戦

あの石川遼が首位争いを演じ.もう少しで優勝の2位だった。(遠方の青ズボン)
(優勝は,赤ズボンの熊本県出身の亜斗夢)
9ラウンドと10ラウンドを観戦することができた。
天気も上々で,2日目までは雨」という心配は,杞憂(きゆう)に終わった。
ただし,今度は3日目(伊勢神宮に行く日)の雨が心配されている

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(2) 多度大社の参拝

私のまったく知らない神様が主神だった。(鉱山の神様らしい)
なんと末社には,天照大神を従えている。
地元の山か岩を祀る縄文信仰の流れをくむものかもしれない。

(3) 長島温泉「ホテル花水木」に泊まる

東には,広~い伊勢湾が展望でき,
西には,巨大なジェットコースターで有名なレジャーセンターが‥。
いくつも部屋あるところに母と2人で宿泊。
自分では絶対泊まらない豪華な作りだった。

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(4) 感謝の集い(飽食の記録)

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(5) 中村雅俊のディナーショー

中村雅俊は,東建コーポレーションのイメージキャラクターなのだそうだ。
これは本当にサプライズで,大いに盛り上がった。
歌った曲は,「東建のテーマ曲になっている歌」という未聞の曲もあったが,
「ただお前がいい」「ふれあい」「恋人も濡れる街角」など懐かしいものも。
(ただし,演奏中の撮影・録音は禁止)

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(6) 50番テーブルでの交流手品ショー(出演・肥さん)

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2018年4月15日 (日)

楽天が投打が噛み合いようやく4勝目

西武000010401計6
楽天80120001×計12

楽天が投打が噛み合いようやく4勝目をあげた。
先発・池田は,強力な西武打線に的をしぼらせず,ペースを作った。
これまで西武に連敗していた楽天は,西武の先発・ウルフを攻め,
なんと1回裏に8点をあげて試合の主導権を握った。
その後も小刻みに追加点をあげ,追いすがる西武を下した。
両軍合わせて29安打が乱れ飛んだ。
先発した池田は,大量援護にも支えられ,
ようやく初勝利をあげることができた。

池田・濱矢・福山・松井ー山下・嶋

岡島1号3ラン.アマダー1号2ラン

九州王朝の「東山道十五國」比定・肥さん案

いろいろ縛りがあって大変でしたが,
肥さんなりの理屈と屁理屈で,
以下の十五国を提出したいと思います。
(「山口県は版図」は引っ込めつつ)

では,肥さん案を書くことにします。

【九州王朝の「東山道十五國」肥さん案】

(1) 豊前国
(2) (船で渡って)周防国
(3) 吉備国
(4) 播磨国
(5) 摂津国

(6) 和泉国・・・(5)と(8)があまりにも点でつながるので
(7) 大和国・・・「海なし県」なので,「東山道」の方がしっくりいくから
(8) 山城国
(9) 近江国
(10) 美濃国

(11) 飛騨国
(12) 信濃国
(13) 上野国
(14) 武蔵国
(15) 下野国

これで,長門で「東山道軍」と「北海道軍」が同じコースを取らなくても良くなり,
同時に日本海沿いの名称の「北海道」も生かせるのではないでしょうか。

「東海道」と「北海道」については,以下に地図に記入しました。
ご検討下さい。
山田さんの古代史用地図を何枚も描き直し.ここにたどり着きました。
お礼申し上げます。

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10日ぶりに部活動の場へ

もう顧問ではないのだが,
新しい顧問との打ち合わせがいくつかあって,
10日ぶりに部活動の場に行った。

たった10日しかたっていないのに,
男バレは背が伸びている気がした。
それとも私の方が縮んだのか・・・。

4月29日の協会長杯・県大会に向けて,
ぜひ頑張ってほしい。

男バレとともに期待されるのが,
何を隠そう女バレである。
本日の地区大会でもし2連勝すれば,
県大会への道が開かれるとのこと。
しかも,新顧問の先生の情報では,
組み合わせは悪くないとのこと。

女バレ.頑張れ!
ぜひアベック県大会にしようよ。
そして,私の悲願である「夢の県大会ツアー」を
実現させてほしい。

久喜総合体育館で,女子が28日,男子が29日に戦う。
つまりビジネスホテルに宿を取れば,
わざわざ自宅に戻って来なくていいという訳だ。

飯能・日高サークル 2018年4月

昨日は,上記のサークルに参加した。
参加者は,丸屋さん,佐藤(俊)さん,原さん,私の4名。

恒例の「吹き矢」をやった後,
私が30年前の「ヨーロッパ科学史の旅」の様子を報告し,
板倉さんを偲ぶ時間を持てた。

今のヨーロッパの治安はどうなのだろう?
もし良好なら「引退組」数人で,
オフシーズンの値段の安い時に行ってみたいと思う。

2018年4月14日 (土)

30年前の「ヨーロッパ科学史の旅」

縁あって板倉さんらと「ヨーロッパ科学史の旅」に出かけたのは,
1988年の8月だから,ちょうど30年前と言うことになる。

本日飯能・日高サークルで,その時の話をすることになっているので,
ちょっと書き留めてみた。

【資料】

(1) ガリ本『今日までそして明日から』・・・現地にいる間に学級通信に書いた旅行記を収録

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(2) 5冊のアルバム・・・下の写真は,失際にあのガリレオが講義した講義台に登った板倉さん

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(3) ガリ本『ヨーロッパ科学史の旅』・・・『たの授』に連載された板倉さんの記録を丸屋さんが編集した

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山田さんの仮説「九州王朝の北海道十四国國」について

いつもお世話になっている山田さんが,超びっくりの仮説を出された。
それが上記の題名のものである。
「えっ,北海道って日本の一番北にある,面積の一番大きな都道府県のことじゃないの?」
と思われた方は,以下の山田さんのサイトをのぞいてみて下さい。

Photo

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-55ef.html

実は私は,例の悉皆調査に明け暮れていたので,
山田さんと古賀さんの「北海道」議論に乗り遅れてしまっていたのだが,
北陸道と東山道が長門国のところで重なり,「飛び越して石見に行ったりしているところから
「長門に二道あったのでは?」という話も出て来ていたのだ。
(それでは,2人の都督が混乱してしまう!)

そこで,「只では起きない肥さん」が仮説を1つ。
九州王朝と言う時,普通九州島のことを思うが,今の山口県(長門国+周防)は
石城山(いわきやま)神籠石でもわかるように九州王朝の版図で,
そこを「ゼロ」でカウントしないと,支配地域なのか,
被支配地域なのかわからなくなってしまうのである。

つまり,北陸道改め北海道は「石見国が最初の外国」であり,
東山道は「安芸国が最初の外国」ということになる。
「論理の赴くところ」に従うとそうなると思うのですが,皆様いかがでしょうか。

なお,次に「東山道十五国」「北海道十四国」の比定の問題が出てきますが,
ちょっと「悉皆調査の後遺症」の治療のため,母と伊勢に行って来ます。
たまに親孝行したら,天気は雨らしいです。(涙)
「天はお見通し」と言うことでしょうか?(笑)


2018年4月13日 (金)

「素」「単」「複」調査のグラフ化

山田さんからいただいた「古代史用白地図」を使って,
さっそく「素」「単」「複」調査をグラフ化してみました。

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素弁・・・A(赤色)
単弁・・・B(緑色)
複弁・・・C(黒色)
?・・・・・・(黒点)

単弁(B)が一番多く,次に素弁(A)が続きます。
「国分(府)寺は古い」と言うには,ちょっとAが少ない感じです。
川瀬さんがコメントして下さっていますが,
いろいろな理由で本来の国分(府)寺が廃寺とされ,
あらたな大和建立の寺がとって変わっていることもあるでしょう。
たとえば常陸国の場合は,茨城廃寺という有力な候補がある等。

※ 何日間か私用で研究らしいことができませんが,
パソコンは持参しますので,簡単な報告やコメントの受け答えはできると思います。
ただし,『新修 国分寺の研究』や『国分寺の創建』などの大型本は,
荷物の中に入れられませんので,戻ってから行います。
週末は,天気が悪いとのこと。無神論の人でも,神に祈りたくなる母との旅行です。


「古代史用白地図」の配布

いつも「かゆいところにかゆいところに手が届く」
ご配慮をいただいている山田さんが,
ご自分のサイトに上記の内容でプレゼントをしていただきました。

「「古代史」を愛する方のために」という副題が付いています。
リンクさせていただくとともに,ありがたく使わせていただきます。m●m


sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-fb81.html

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息子の手料理 4/13

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「肉・玉ねぎカレー」と「里芋とイカの煮物」

冷蔵庫の野菜室には,まだいくつもの玉ねぎが・・・
明日は玉ねぎの味噌汁かなあ。

少し早い結論~「素」「単」「複」調査の意義

「夢ブログ」に最近来て下さった方や,歴史にはウトいという方には,
なぜ肥さんが「素」「単」「複」調査に血眼(ちまなこ)を上げているのか,
まるで狂気の沙汰に見えるかもしれない。
しかし,そうではないのだ。
これは歴史教科書を書き換えてもおかしくはない内容を秘めていると思って,
ここ数日頑張ってきた訳である。それを簡単に説明しよう。

普通歴史教科書には,741年に聖武天皇が「国分寺建立の詔(みことのり)」を出して,
国分寺・国分尼寺の建立が始まったと書いてある。
それに従って(縛られて),文献の研究者も,考古学者も「研究」をしている。
例えば博物館で質問しても,「国分寺のスタートは741年なので・・・」と答えが返って来て,
それ以前に「国分寺」(昔は政教一致なので,国府のそばに建てられたので
国府寺と言ったと思う)が,全国にすでに建てられていたという人はいない。
それがいわゆる通説なのだ。

ところが,この「夢ブログ」で紹介してきたように,
「国分寺建立の詔」の中に「国分寺」という言葉がなかったり,(登場は約100年後)
また,先日の服部さんの提案による「軒丸瓦の「素弁」「単弁」「複弁」が創建年代の違いを表す」
ということが正しければ(私は正しいと思っているが),
文献的にも考古学的にも,国分寺・国分尼寺(国府寺のペア)は
「600年頃から九州王朝によって建設が命じられていた」ということになり,
九州王朝実在の有力な証拠になるからである。

「国分寺建立の詔」の場合は,「ない」が証拠だったが,
国分寺・軒丸瓦の「素弁」「単弁」「複弁」の場合には,
飛鳥寺・山田寺・川原寺や法隆寺西院という具体的な寺の瓦が「ある」という訳だから,
より一層歴史の解明が進むことになる。

600年           650年            700年             750年
〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇
素弁蓮華文軒丸瓦   単弁蓮華文軒丸瓦   複弁蓮華文軒丸瓦    ● 
(飛鳥寺)         (山田寺)         (川原寺や法隆寺西院)「国分寺建立の詔」

私が最初に取り組んだ「古代日本ハイウェー」も九州王朝が命じて作ったものと同様の結論が,
国分寺・国分尼寺についても言える!と「少し早い結論」を「夢ブログ」の読者に届けたい。

※ 『古代に真実を求めて』の次号の特集(あるいは第二特集)というのはいかがでしょうか?

道別の「素」「単」「複」調査(シンプル版)

私が調査している時,その国分寺の情報や
それ以外の寺院の情報を書き込んでいて,
ちょっと見にくくなっていたと思う。
パソコンだと簡単に取り外せるのでやってみよう。
これが可能なのも,山田さんが道別に並べておいてくれたおかげです。
ありがとうございました。(肥沼)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


国分寺の素弁・単弁・複弁
―肥さんの悉皆調査―

 人のふんどしで相撲をとるということになりますが、
肥さんが国分寺の軒丸瓦の「素弁」・「単弁」・「複弁」の
悉皆調査してくださったのでまとめてみました。66ヶ国+2嶋=68です。
多禰国はおまけです。(山田さん)

【五畿】

(1) 大和国分寺・・・「複」?
(2) 山城国分寺・・・「複」
(3) 摂津国分寺・・・「単」「複」
(4) 河内国分寺・・・「複」
(5) 和泉国分寺・・・「複」

【東海道】

(6) 伊賀国分寺・・・「複」
(7) 伊勢国分寺・・・「素」「単」
(8) 志摩国分寺・・・?
(9) 尾張国分寺・・・「単」?
(10) 三河国分寺・・・「素」「単」
(11) 遠江国分寺・・・「素」
(12) 伊豆国分寺・・・「単」
(13) 駿河国分寺・・・?
(14) 甲斐国分寺・・・「素」「単」「複」
(15) 相模国分寺・・・「単」
(16) 武蔵国分寺・・・「素」「単」「複」
(17) 上総国分寺・・・「単」
(18) 下総国分寺・・・「複」
(19) 常陸国分寺・・・「単」「複」
(20) 安房国分寺・・・「素」

【東山道】

(21) 近江国分寺・・・「単」「複」
(22) 美濃国分寺・・・「単」「複」
(23) 飛騨国分寺・・・「単」
(24) 信濃国分寺・・・「素」「単」「複」
(25) 上野国分寺・・・「単」「複」
(26) 下野国分寺・・・「素」「単」「複」
(27) 陸奥国分寺・・・「単」「複」
(28) 出羽国分寺・・・不明

【北陸道】

(29) 若狭国分寺・・・?
(30) 越前国分寺・・・不明
(31) 加賀国分寺・・・?
(32) 越中国分寺・・・「単」
(33) 越後国分寺・・・?
(34) 能登国分寺・・・「複」
(35) 佐渡国分寺・・・「素」「単」

【山陰道】

(36) 丹波国分寺・・・「単」「複」
(37) 丹後国分寺・・・「単」「複」?
(38) 但馬国分寺・・・「単」
(39) 因幡国分寺・・・?
(40) 伯耆国分寺・・・「単」「複」
(41) 出雲国分寺・・・「単」「複」?
(42) 石見国分寺・・・「単」「複」
(43) 隠岐国分寺・・・「複」

【山陽道】

(44) 播磨国分寺・・・「単」「複」
(45) 備前国分寺・・・「単」
(46) 備中国分寺・・・「単」「単複」(交互に出てくる)
(47) 備後国分寺・・・?
(48) 美作国分寺・・・「素」「単」「複」
(49) 安芸国分寺・・・「複」
(50) 周防国分寺・・・「複」
(51) 長門国分寺・・・「単」「複」

【南海道】

(52) 紀伊国分寺・・・「単」「複」
(53) 阿波国分寺・・・「単」「複」
(54) 讃岐国分寺・・・「素」「単」「複」
(55) 伊予国分寺・・・「単」「複」
(56) 土佐国分寺・・・「素」「単」「複」
(57) 淡路国分寺・・・「素」「単」「複」

【西海道】

(58) 筑前国分寺・・・「単」「複」
(59) 筑後国分寺・・・「単」「複」
(60) 豊前国分寺・・・「単」「複」
(61) 豊後国分寺・・・「単」「複」
(62) 肥前国分寺・・・「単」「複」
(63) 肥後国分寺・・・「単」「複」
(64) 日向国分寺・・・「単」「複」
(65) 薩摩国分寺・・・「単」「複」
(66) 大隅国分寺・・・「複」
(67) 壱岐国分寺・・・?
(68) 対馬国分寺・・・?

【おまけ】

(??) 多ネ執(たね)国分寺・・・?

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この方がシンプルで使いやすい場合もあると思い,
「シンプル版」も作ってみました。(肥沼)

道別の「素」「単」「複」調査

いつも「かゆいところに手が届く」支援をしていただいる山田さんが,
このところの私の調査(国分寺の蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」)を労って,
道別に並べ替えて下さいました。
本日はこれをやらなくては・・・と思っていたので,寿命が1日延びました。(笑)

あと,川瀬さんと共に「まだ未調査の国分寺」を探していただき,
66国+2島=68国分寺にようやくたどり着きました。
本当にありがとうござました。
(今思ったのですが,佐渡や隠岐も島なのに,島扱いではないのですね!)

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山田さんのサイト(sanmaoの歴暦徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-2b18.html


国分寺の素弁・単弁・複弁
―肥さんの悉皆調査―

 人のふんどしで相撲をとるということになりますが、
肥さんが国分寺の軒丸瓦の「素弁」・「単弁」・「複弁」の
悉皆調査してくださったのでまとめてみました。66ヶ国+2嶋=68です。
多禰国はおまけです。

【五畿】

(1) 大和国分寺・・・「複」?
 2つの「大和国分寺」問題あり。高市郡の八木寺を国分寺とする。
 「法花寺」と呼ばれる尼寺もあり。
(2) 山城国分寺・・・「複」
(3) 摂津国分寺・・・「単」「複」
 2つの「摂津国分寺」問題あり。
(4) 河内国分寺・・・「複」
(5) 和泉国分寺・・・「複」

【東海道】

(6) 伊賀国分寺・・・「複」
(7) 伊勢国分寺・・・「素」「単」
(8) 志摩国分寺・・・?
(9) 尾張国分寺・・・「単」?
(10) 三河国分寺・・・「素」「単」
(11) 遠江国分寺・・・「素」
(12) 伊豆国分寺・・・「単」
(13) 駿河国分寺・・・?
 片山廃寺・・・「単」
(14) 甲斐国分寺・・・「素」「単」「複」
 国分寺以前の寺院に使用されていたものとして,国府寺の存在を推定している。
 寺本廃寺址のものが無顎に対して,国分寺址のものは曲線顎と
 形態上.製作技法上の大きな違いが看取される。
(15) 相模国分寺・・・「単」
(16) 武蔵国分寺・・・「素」「単」「複」
武蔵国分寺ほど多様な瓦文様を使った寺はないといってよいであろう。
瓦の出土量も多く,その文様のさまざまに・・・
(17) 上総国分寺・・・「単」
(18) 下総国分寺・・・「複」
(19) 常陸国分寺・・・「単」「複」
(20) 安房国分寺・・・「素」

【東山道】

(21) 近江国分寺・・・「単」「複」
 内裏野軒丸瓦のⅠ型式・Ⅱ型式・Ⅲ型式などという名称が付けられているが,
 形を見て「単」「複」と肥沼が判断した。
(22) 美濃国分寺・・・「単」「複」
(23) 飛騨国分寺・・・「単」
(24) 信濃国分寺・・・「素」「単」「複」
軒丸瓦の最も多いものは八葉複弁連花文であり,
奈良東大寺や平城宮跡などに同様なものが見出されるという。
ほかに蕨手文のものがあり,これはのちに述べる
軒平瓦の均斉連花文のものと組み合わされたものとみなされる。
ほかに四葉単弁蓮花文・三重圏文・十二葉素弁蓮花文のものがある。
(25) 上野国分寺・・・「単」「複」
軒丸瓦には単弁で四,五,六.七,八,九,一二,一五葉のものがあり,
複弁には四,六.(七),八葉のものがある。
そのほか花弁の形をなさないものや無文のものもあり,
多種多様な様相をみせている。
(26) 下野国分寺・・・「素」「単」「複」
軒丸瓦は二二類にわけられている。
(27) 陸奥国分寺・・・「単」「複」
 本文には「素弁蓮花文軒丸瓦」と書いてあるが,写真を見た限りでは「単」であった。
(28) 出羽国分寺・・・不明

【北陸道】

(29) 若狭国分寺・・・?
(30) 越前国分寺・・・不明
 野々宮廃寺・・・「単」「複」
 深草廃寺・・・「素」「単」
 大虫廃寺・・・「素」のみ?
(31) 加賀国分寺・・・?
 津波倉廃寺・・・「複」?
 保賀廃寺・・・「複」
 宮地廃寺・・・「単」
 弓波廃寺・・・「単」
(32) 越中国分寺・・・「単」
 木彫りの見事な彫刻が伝わる
(33) 越後国分寺・・・現在の国分寺は古代まで遡れない。
 横滝山廃寺・・・「単」
(34) 能登国分寺・・・「複」
(35) 佐渡国分寺・・・「素」「単」

【山陰道】
(36) 丹波国分寺・・・「単」「複」
(37) 丹後国分寺・・・「単」「複」?
(38) 但馬国分寺・・・「単」
(39) 因幡国分寺・・・?
(40) 伯耆国分寺・・・「単」「複」
(41) 出雲国分寺・・・「単」「複」?
 国庁で発掘された木簡に「大原評」とある。
 また「□二石代」という古い面積の表示方式?
(42) 石見国分寺・・・「単」「複」
(43) 隠岐国分寺・・・「複」
 駅鈴が2個あり。

【山陽道】

(44) 播磨国分寺・・・「単」「複」
(45) 備前国分寺・・・「単」
(46) 備中国分寺・・・「単」「単複」(交互に出てくる)
 秦原廃寺・・・「素」
(47) 備後国分寺・・・?
 それらしいものは出ているが,まだ国分寺のものとは確定されていない?
(48) 美作国分寺・・・「素」「単」「複」
(49) 安芸国分寺・・・「複」
(50) 周防国分寺・・・「複」
このほか,国分寺以外にも「山陽道」には
「飛鳥時代の瓦」や「白鳳時代の瓦」が多いらしい。
(51) 長門国分寺・・・「単」「複」

【南海道】

(52) 紀伊国分寺・・・「単」「複」
(53) 阿波国分寺・・・「単」「複」
(54) 讃岐国分寺・・・「素」「単」「複」
(55) 伊予国分寺・・・「単」「複」
(56) 土佐国分寺・・・「素」「単」「複」
(57) 淡路国分寺・・・「素」「単」「複」

【西海道】

(58) 筑前国分寺・・・「単」「複」
(59) 筑後国分寺・・・「単」「複」
(60) 豊前国分寺・・・「単」「複」
(61) 豊後国分寺・・・「単」「複」
(62) 肥前国分寺・・・「単」「複」
(63) 肥後国分寺・・・「単」「複」
(64) 日向国分寺・・・「単」「複」
(65) 薩摩国分寺・・・「単」「複」
(66) 大隅国分寺・・・「複」

(67) 壱岐国分寺・・・?
(68) 対馬国分寺・・・?

【おまけ】

(??) 多ネ執(たね)国分寺・・・?
 (聖武天皇の詔に従って)多ネ執金光明寺は当然すぐ設置されたに違いないが,
 さて宏大な伽藍設立したかどうかとなると甚だもって疑問である。
 そして今日徴すべき遺構のない所から想察すれば,
 其の金光明寺は国府寺の堂宇を受けついだ小規模のものであったに相違ないのである。
 (角田文衛=編者)

『たの授』4月号の感想

仮説社御中

『たの授』4月号で特に良かったのは,次の3点です。

(1) 「板倉聖宣さんとの運命的な出会い」(松本さん)と「絵と私」(板倉さん)

追悼・板倉聖宣の中の松本さんと板倉さんのお二人の文章を読み,
その交流にたくさんの感動をいただきました。
多くの人が板倉さんと「運命的な出会い」をしたと思っていると考えますが,
これほど劇的な出会いは他にはなかなかないでしょう。
仮説実験授業とキミ子方式の出会い。それはまさしく「歴史的な出会い」でした。

(2) 問題意識を鮮明に(板倉さん)

「板倉式発想法の源流」と副題が付いていますが,「なぜそれを研究するのか」という
問題意識を失った研究は,その時点から魅力を失っていくのだと思いました。
常にそのことを意識した研究をされたから,板倉さんは仮説実験授業をはじめ,
多くの研究に成功されたのでしょう。

(3) 答えは〈実験〉が教えてくれる(小原さん)

特別支援学級での仮説実験授業の報告・第2弾でした。
普通子どもたちが答えを間違えたりすると,先生方としてはあせりますね。
へたをすると,誘導尋問的に(教育的配慮のもとに?)「正解」に向かったりします。
しかし,題名の言葉を,教職2年目の若い先生に言ってもらえるというのは,
やはり仮説実験授業ならではと思いました。

「多元的古代」研究用白地図

今回の『発見された倭京~太宰府と都城と官道』(明石書店)には,
太宰府を中心とした「五畿七道」のことが出ている。
これをなんとか「多元的古代」研究用白地図にできないかと思いついた。

今国分寺軒丸瓦の文様について,「素弁」「単弁」「複弁」の調査をしていて,
とりあえず日本地図(市販の白地図)にインプットしようと思っているのだが,
もし「多元的古代」研究用白地図(地域区分が今と異なる)があったら,
何か気が付くこともあるし,その存在自体が九州王朝説の宣伝にもなる。

これは単なる妄想か,それとも大ヒット商品のひらめきかははわからないが,
もし作ったら結構研究会の中では「愛用」されるのではないかと思う。

Photo42

Photo_2

西村さんの地図の矢印を取り,
山田さんのような地域区分を太線で入れるイメージで。

山田さんの使っていらっしゃる白地図は,
どこで入手されているのですか?
これに今回の九州王朝の「地域区分」を太線で入れようと思いました。
社会科の先生のクセがまだ抜けないのかも。(笑)

2018年4月12日 (木)

「歴史は,夜研究しない!」

一昨日ほとんど勢いだけで「素」「単」「複」調査を始めてしまったので,
昨日は昼間ボーッとして過ごし,また夜になって目がさえてきた。
これでは「昼夜逆転」である。

昔から「歴史は夜作られる」という格言?があるが,
私たちは断固「歴史は夜研究しない!」という格言を確立したい。(。>0<。)
(でないと,体がもちません・・・)

読者の皆様へ

このところ古代史の話題ばかりで,
「よくわからない」とか「ほかの話題はないのか」
と思っていらっしゃっているかと思います。

私も生身の人間なので,起きて,食べて,トイレに行って
お風呂に入って(シャワーが多いが),寝るという毎日を送っております。

ただ,「退職して歴史の研究に時間を割きます」と言った私にとって,
「今その大きなチャンスが来ている」と感じているので,
「夢ブログ」のほとんどにその話題が出ているのです。

まあこれが1年間続くとは思えませんから,
(これが1年間続くと寿命が心配です。睡眠時間激減ですから)
「まだ続いているんだ。肥さんでも本気になることもあるんだねえ」と,
その日はスルーしていただけるとありがたいです。

その証拠にというか,このところ「学校」や「部活動」の話題が,
ほとんど無くなっています。
これは「目の前のことにしか集中できない私の性格が
そうさせているものだと思います。

ということで,けっして古代史好き以外の読者の皆様を
「ないがしろにしている」訳ではありませんので,あしからず。(o^-^o)

国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(6)

川瀬さん・山田さんご指摘の5つを追加します。

(64) 淡路国分寺・・・「素」「単」「複」

(65) 能登国分寺・・・「複」

(66) 備後国分寺・・・?

 それらしいものは出ているが,まだ国分寺のものとは確定されていない?

(67) 越後国分寺・・・現在の国分寺は古代まで遡れない。

 横滝山廃寺・・・「単」

(68) 豊後国分寺・・・「単」「複」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【調査を終えて】

もし「素弁」が7世紀初頭創建,「単弁」が7世紀半ば創建,
「複弁」が7世紀後半創建の証拠だとすると,
聖武天皇が「国分寺建立の詔」を出した時には,
もうすでに「国分寺(国府寺?)」はあったことになる。
だから,聖武天皇は「七重塔を建てよ」とは言ったが,
「塔以外の金堂や講堂も建てよ」とは言えなかったのではないか。
それが服部仮説や今回の調査によって,はっきりしてしまったのではないかと思う。
やはり「(国分寺建立の詔の中に)国分寺」はなかった!

今回の服部仮説の刺激を受けて,
再び多元的「国分寺」研究が推進されることを期待したい。
また,その成果を世に問う日も近いと考える。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

4つを足すと,68寺になってしまいました。
ということは,ダブりがある?
昨夜からの作業で睡眠不足となっています。
ここらで休憩を取らせていただきます。m●m

PS その後豊後を加え「69」でしたが,多ネ執を引いて「68」ということになりました。
全体の数字もずらしました。

PS2 以前書いた【調査を終えて】をここに移動してきました。

国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(5)

山田さんにご指摘をいただき,まだ抜けているものがあることが分かり,
これから追加していくことにします。
『第七巻 補遺』より。← コピーしておいて良かったあー。
730ページ(=365回コピーを操作しました)もあるので,どうしようか迷ったのですが・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(46) 大和国分寺・・・「複」?
 
 2つの「大和国分寺」問題あり。高市郡の八木寺を国分寺とする。
 「法花寺」と呼ばれる尼寺もあり。
 
(47) 摂津国分寺・・・「単」「複」

 2つの「摂津国分寺」問題あり。

(48) 河内国分寺・・・「複」

(49) 和泉国分寺・・・「複」

(50) 尾張国分寺・・・「単」?

(51) 三河国分寺・・・「素」「単」

(52) 伊豆国分寺・・・「単」

(53) 常陸国分寺・・・「単」「複」

(54) 美濃国分寺・・・「単」「複」

(55) 飛騨国分寺・・・「単」

(56) 若狭国分寺・・・?

(57) 越中国分寺・・・「単」

 木彫りの見事な彫刻が伝わる

(58) 佐渡国分寺・・・「素」「単」

(59) 伯耆国分寺・・・「単」「複」

(60) 石見国分寺・・・「単」「複」

(61) 隠岐国分寺・・・「複」

 駅鈴が2個あり。

(62) 播磨国分寺・・・「単」「複」

(63) 長門国分寺・・・「単」「複」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

これで全部かなあ。心配・・・。
とりあえず『新修 国分寺の研究』第七巻までに載っていたものです。
これでは,悉皆(しっかい)調査ではなく,失敗調査ですね。(涙)

国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(4)

今回は,南海道と西海道の国分寺をお届けする。
(もちろんこの地域区分は,大和中心のものであり,
九州王朝のものとは違うことは言うまでもない)

【南海道】

(31) 紀伊国分寺・・・「単」「複」

(32) 阿波国分寺・・・「単」「複」

(33) 讃岐国分寺・・・「素」「単」「複」

(34) 伊予国分寺・・・「単」「複」

(35) 土佐国分寺・・・「素」「単」「複」

【西海道】

(36) 筑前国分寺・・・「単」「複」

(37) 筑後国分寺・・・「単」「複」

(38) 肥前国分寺・・・「単」「複」

(39) 肥後国分寺・・・゛「単」「複」

(40) 豊前国分寺・・・「単」「複」

(41) 日向国分寺・・・「単」「複」

(42) 大隅国分寺・・・「複」

(43) 薩摩国分寺・・・「単」「複」

(44) 壱岐国分寺・・・?

(45) 対馬国分寺・・・?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【調査を終えて】

もし「素弁」が7世紀初頭創建,「単弁」が7世紀半ば創建,
「複弁」が7世紀後半創建の証拠だとすると,
聖武天皇が「国分寺建立の詔」を出した時には,
もうすでに「国分寺(国府寺?)」はあったことになる。
だから,聖武天皇は「七重塔を建てよ」とは言ったが,
「塔以外の金堂や講堂も建てよ」とは言えなかったのではないか。
それが服部仮説や今回の調査によって,はっきりしてしまったのではないかと思う。
やはり「(国分寺建立の詔の中に)国分寺」はなかった!

今回の服部仮説の刺激を受けて,
再び多元的「国分寺」研究が推進されることを期待したい。
また,その成果を世に問う日も近いと考える。

※ だいぶ「抜け落ち」があったため,
【調査を終えて】は,(68) 豊後国分寺のあとに移動予定です。

学びて「すぐに」これを倣(なら)う

論語に「学びて時にこれを倣う」という言葉があり,
私としても好きな言葉なのだが,
エビングハウスという心理学者に「忘却曲線の研究」というのがあって,
学んだことはすぐに復習すると効果的に記憶に残せるという話だ。
そこで,せっかく蓮華文軒丸瓦(れんげもん・のきまるがわら)の分類の仕方を
服部さんから教えていただいたので,久しぶりに武蔵国分寺を訪問してみた。

(1) 武蔵国分寺跡資料館(入場料100円)

瓦の資料室に入って,「素」「単」「複」の分類の練習。
「単」が一番多く,続いて「素」だが,この部屋には「複」はなかった。
一番瓦に詳しい人は出張しているらしく「私でよければ」ということで,
若い女性の学芸員さんに解説していただき,いろいろ質問した。
学んだこともあったが,かたくなに聖武天皇の「国分寺建立の詔」を
スタートにすることにこだわられていた。(これが「通説」ということなのでしょう)
一応さりげなく多元的「国分寺」研究サークルのことを宣伝しておいた。

大収穫は,『住田古瓦コレクションの世界~瓦に魅せられて~』という
カラー写真満載の本を入手できたことだった。(85ページで700円!)
住田さんのコレクションだけでなく,基本的な瓦(飛鳥寺,下野薬師寺,山王廃寺など)も
収録されていて,「素弁」「単弁」「複弁」の違いも解説されている。
これは瓦を研究する人は「喉から手が出る」という代物ではないでしょうか。
今年の3月に出たばかりなので,「まだほとんど知られていない逸品」です。

Dscn1615

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(2) 小平市立第4中学校内の「住田古瓦コレクションコーナー」(入場無料)

『住田古瓦コレクションの世界~瓦に魅せられて~』を入手して,
その足で「住田古瓦コレクションコーナー」のある4中へ。
いつもはあまり関心のなかった「住田コーナー」が昨日は宝の部屋に見えたから,現金なものだ。
さっそくここでも「素弁」「単弁」「複弁」の復習。興味をもってくれた係の方にもレクチャー。
すると「よくわかりました。これから説明に使います」とお礼を言われ,
なんだか倉庫をごそごそしている。
何かと思ったら,「いろいろ教えていただいたので,この冊子を差し上げますね」と。
国分寺の発掘調査の記録集(昭和39~44年)だった。
住宅開発が進み,国分尼寺の緊急調査をした時のものである。
まだだいぶあるようだったので,関心があると言えばもらえると思います。

Dscn1616

そんなこんなで,昨日まで持っていなかった本を2冊ゲットし,帰途に就いた。
帰宅したら,川瀬さんからの「服部さんの研究を精査してみた」というメールと,
山田さんからの「素弁」「単弁」「複弁」の分かりやすいページを作っていただいていた。
(山田さんのものはすぐに「夢ブログ」にリンクさせていただき,
川瀬さんの論文は写真なども付けてから載せることになった)

昨日は,瓦をめぐって大・大・大収穫の日だった。
きっと4月11日は,来年から「瓦記念日」になることでことでしょう。(笑)


国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(3)

山陰道・山陽道に進みます。

(21) 丹波国分寺・・・「単」「複」

(22) 丹後国分寺・・・「単」「複」?

(23) 但馬国分寺・・・「単」

(24) 因幡国分寺・・・?

(25) 出雲国分寺・・・「単」「複」?

 国庁で発掘された木簡に「大原評」とある。
 また「□二石代」という古い面積の表示方式?

(26) 美作国分寺・・・「素」「脱」「複」

(27) 備前国分寺・・・「単」

(28) 備中国分寺・・・「単」「単複」(交互に出てくる)

 秦原廃寺・・・「素」

(29) 安芸国分寺・・・「複」

(30) 周防国分寺・・・「複」

このほか,国分寺以外にも「山陽道」には
「飛鳥時代の瓦」や「白鳳時代の瓦」が多いらしい。
  

素弁・単弁・複弁~蓮華紋軒丸瓦の区別

山田さんがご自分のサイトで,
かゆいところに手が届くフォローをして下さっています。
ぜひリンク先に立ち寄ってみて下さい。

素弁・単弁・複弁~蓮華紋軒丸瓦の区別

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-4b2b.html

2018年4月11日 (水)

国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(2)

調査の続きを掲載します。

本日武蔵国分寺跡資料館・小平市立四中の資料館に行って,
「素」「単」「複」の違いをかなりわかるようになりました。
拓本より写真が,写真より実物がやはりわかりやすいです。

それと,「複」なのに白鳳時代のものがあったり(例えば,下野薬師寺),
逆に「素」なのに平安時代のものがあったり(土佐国分寺),
これが服部さんのいう「デザイン」「流行」「リバイバル」ということなのか,
ちょっと戸惑っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(5) 近江国分寺・・・「単」「複」

 内裏野軒丸瓦のⅠ型式・Ⅱ型式・Ⅲ型式などという名称が付けられているが,
 形を見て「単」「複」と肥沼が判断した。

(6) 陸奥国分寺・・・「単」「複」

 本文には「素弁蓮花文丸瓦」と書いてあるが,写真を見た限りでは「単」であった。

(7) 出羽国分寺・・・不明

(8) 越前国分寺・・・不明

 野々宮廃寺・・・「単」「複」
 深草廃寺・・・「素」「単」
 大虫廃寺・・・「素」のみ?

(9) 加賀国分寺・・・?

 津波倉廃寺・・・「複」?
 保賀廃寺・・・「複」
 宮地廃寺・・・「単」
 弓波廃寺・・・「単」

(10) 山城国分寺・・・「複」

(11) 伊賀国分寺・・・「複」

(12) 伊勢国分寺・・・「素」「単」

(13) 志摩国分寺・・・?

(14) 遠江国分寺・・・「素」

(15) 駿河国分寺・・・?

 片山廃寺・・・「単」

(16) 甲斐国分寺・・・「素」「単」「複」

 国分寺以前の寺院に使用されていたものとして,国府寺の存在を推定している。
 寺本廃寺址のものが無顎に対して,国分寺址のものは曲線顎と
 形態上.製作技法上の大きな違いが看取される。

(17) 相模国分寺・・・「単」

(18) 安房国分寺・・・「素」

(19) 上総国分寺・・・「単」

(20) 下総国分寺・・・「複」

 今まで『新修 国分寺の研究』は使いにくい本だったが,
 こういう分類に関しては手元に置いておいて良かったなと思った。
 ようやく先行投資が生きてきた。(o^-^o)

内容と題名~両方大切

本の題名だけ考えても仕方がないとは思うが,
魅力的な題名が読者に本を手に取らせるきっかけになることも事実だ。
「夢ブログ」に掲載した題名も含め,20冊ほど考えてみた。

・『多元史観なら解ける!古代史の謎』
・『古代史の謎を解く10のヒント』
・『大宰府か太宰府か』
・『薬師寺のお引越し~藤原京から平城京へ』
・『日出ずる処の天子は聖徳太子か多利思北孤か』

・『200年続いた九州年号と大和年号のスタート“大宝”』
・『九州王朝から大和王朝へ~ONラインで政権大変動』
・『九州王朝の史跡ハンドブック』
・『梅から桜へ~九州王朝と大和王朝』
・『古田武彦氏と市民研究者たちが解き明かす古代史』

・『古代日本ハイウェーは九州王朝が作った軍用道路か?』
・『九州王朝は駅鈴も作ったか?』
・『「国分寺」はなかった!』
・『瓦塔(がとう)よ,ありがとう!』
・『出雲王朝と九州王朝の紋章』

・『山口県に混在する十六菊花紋と十二菊花紋』
・『人麿神社はなぜ山口県に多いか』
・『山口県の「上関」「中関」「下関」地名』
・『小中学生でもわかる大雑把な日本古代史の流れ』
・『日本古代史~もう一度学び直し』

北極星は「移動」の4番打者だった!

よくA選手は「不動」の4番打者である!
なんて言うことがあるが,それは短期間のことで,
長い球団の歴史の中で,ある時期を4番を打っていたということだ。
100年も,200年も4番打者をしていたという訳ではない。(当たり前)

それと同じ話が,北極星にも言えるようで,
自分の無知をさらすようだが,
北極星も「不動」ではなく,
むしろ「移動」の4番打者と言えるらしい。

ウィキペディア「北極星」には,これまで4番打者だった星たち。
これから4番打者に予定されている星たちが出ていた。

ウィキペディア「北極星」

https://ja.wikipedia.org/wiki/北極星

面白いことに,ベガ(こと座α星)という星は,
紀元前1万1500年頃に一度「北極星」になっているのだが,
西暦1万3000年頃に再び「北極星」に返り咲く?とのことだ。

北極星の位置が変わることと,
古代建築が西偏したり東偏したりすることは,
大いにあるらしい。(誰か詳しい方,教えて下さい!)

国分寺出土・蓮華文軒丸瓦の「素」「単」「複」調査(1)

とりあえず服部さん提案の「素」「単」「複」の3種類の分け方で,
国分寺出土・蓮華文軒丸瓦を分類してみることにする。
何回も建て替えられて,複数の種類が混在していることや,
どちらに判定していいか迷うものも少なくないが,
あるものを示し,参考になりそうな解説を写していきたい。
『新修 国分寺の研究』と『国分寺の創建』による。

まず,多元的「国分寺」研究のキッカケとなった武蔵国分寺から。

(1) 武蔵国分寺・・・「素」「単」「複」

武蔵国分寺ほど多様な瓦文様を使った寺はないといってよいであろう。
瓦の出土量も多く,その文様のさまざまに・・・

(2) 上野国分寺・・・「単」「複」

軒丸瓦には単弁で四,五,六.七,八,九,一二,一五葉のものがあり,
複弁には四,六.(七),八葉のものがある。
そのほか花弁の形をなさないものや無文のものもあり,
多種多様な様相をみせている。

(3) 下野国分寺・・・「素」「単」「複」

軒丸瓦は二二類にわけられている。

(4) 信濃国分寺・・・「素」「単」「複」

軒丸瓦の最も多いものは八葉複弁連花文であり,
奈良東大寺や平城宮跡などに同様なものが見出されるという。
ほかに蕨手文のものがあり,これはのちに述べる
軒平瓦の均斉連花文のものと組み合わされたものとみなされる。
ほかに四葉単弁蓮花文・三重圏文・十二葉素弁蓮花文のものがある。

古代未来塾 2018年4月

10年ぶりくらいだろうか?
毎月のように例会案内を下さる岩田さんにお礼も兼ねて,
新橋で行われている同塾の例会に参加した。

参加者は,私も入れて8名。
有名無名はいろいろだが,古代史に意見のある者ばかりで,
議論がなかなか噛み合わない場面もあった。

私は「久しぶりに登場」ということで大目に見ていただき,
「古代日本ハイウェー」「駅鈴」「国分寺」「瓦塔」など,
私が今取り組んでる内容についてお話しした。

古田説ではあるのだが,他の研究会とはあまり交流がないのか,
かえって私の話は新鮮に聞いていただけたかも。

これまで「平日の例会」ということで,参加不可能だったが,
今後は「東京方面の用事」と兼ね合わせていくことが可能となった。
今後ともよろしくお願いいたします。

今から20年ほど前に,古代史シンポジウムで,
壱岐さんと同室させていただいた。
いまだにお元気でいらっしゃる姿に接し,うれしかった。

楽天が岸の好投で3勝目

楽天が岸の好投で3勝目をあげた。
先制・追加・ダメ押しと,久しぶりにいい攻撃が見られた。
松井は昨日も危なっかしかったが,ショート三好の美技に救われた。

楽天102010000計4
オ リ000100010計2

岸・福山・ハーマン・松井ー嶋

岸1勝0敗 松井1S

ペゲーロ2号2ラン

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【岸選手 ヒーローインタビュー】

記者:最後、松井裕樹選手がゼロに抑えた瞬間、どんな風に見ていらっしゃいましたか。
岸選手:ホッとしましたね。連敗はしたくなかったので。チームが勝ってホッとしました。

記者:今日は長打力があるオリックス打線に対して、どんな意識でマウンドに登りましたか。
岸選手:チームが勝てれば何でもよかったので、そんな中、先制点を取ってもらって、それを守って、6回ですけど投げることができてよかったです。

記者:1回から3回まではパーフェクトでしたが、理想的な立ち上がりだったのでしょうか。
岸選手:はい。初回から全力でいきました。

記者:そして試合中盤ではランナーを背負いながらも4回の1失点に抑えました。あのあたりはどんな気持ちで投げていましたか。
岸選手:(打たれた)タイムリーは、ホームランじゃなくてよかったという球だったので、何とか1点で収まってよかったなと思います。

記者:降板後のコメントで、「疲れた」という言葉もありましたが、それだけ気を遣いながらの投球だったのですね。
岸選手:はい。

記者:そして5回、6回のピンチでは、最後はストレートで詰まらせて、そして三振も取りましたが、あのあたりのストレートへのこだわりというのは、どうだったのでしょうか。
岸選手:嶋選手のサインを信じて、嶋選手のミットを目がけて、思い切り投げました。

記者:そして今日は無四球でしたね。それについてはどうでしょうか。
岸選手:すごくよかったと思います。

記者:これでチームの連敗も止めて、岸選手にとっても初勝利になりました。この後のシーズン、どんなピッチングをしていきたいですか。
岸選手:チームが勝てるようなピッチングを毎回できるように頑張りたいと思います。

2018年4月10日 (火)

1日の流れ

ようやく退職後のバタバタと久しぶりの研究会復帰が一応終了し,
初期の目標である研究に向かうことが出来そうだ。
(4月3日までは部活の残りで,実質的には1週間かかったということだ)

朝食・・・母の朝食後の薬が私の責任なので,結局朝食にも付き合うことになりそう。
この利点は「賞味期限切れ」の食品をチェックして,捨てることが出来る。
また,ゴミ出しを促進できるということである。(早起きしたら「肥さんぽ」)

午前中・・・部屋の荷物整理(大量にある)と研究の時間(とりあえず瓦の勉強)に使う。

午後・・・運動と用事をする。月・水・金は母がデイケアにお世話になる。
ただし,「家族(私のこと)がそばにいる」のだからと,調理と掃除の方は4月から来なくなった。
なにか,そこには疑問を感じるが,要するに高齢化が早く進み過ぎで,
できるだけカットしたいのかな。
気が向いたら「息子の手料理」も作ろう。

夜は,その日の状況に応じて・・・。
こんな感じで考えている。

献血センター

最寄りの所沢駅付近には,日赤の献血センターが開設されていて,
時々メールで「そろそろどうですか?」とお誘いがある。
退職して平日の日中に行けるようになったので,行ってみた。
(最近行ったのは,1年半前の9月だったとのこと)

学生時代はよく校内に停車している献血車に行き,
行ったものだった。最後にテトラパックのジュースをくれた。
今は最初に500mlのスポーツ飲料を渡され,
400ml取るのでできるだけ事前に水分補給しておくようにとのこと。

午前11時半に献血センターに到着して,
受付・調査・医者の問診・献血作業・休憩で,
出たのが12時半くらいだったので,
約1時間で終了したことになる。
まあ,このくらいで済むなら,
これからは半年に1回位のペースで行こう。
まず健康管理が私の第1の仕事だ。

血圧も正常値で,安心した。
あとは,事後の通知を待つだけだ。

『君たちはどう生きるか』と仮説実験授業

高崎サークルでスタート講演をすることになって,
最初は,吉田拓郎の「今日までそして明日から」風に
「仮説実験授業」と「古田史学」と「社会科サークル」を語ろうと思ったが,
高崎駅の駅ビルにあるくまざわ書店で『君たちはどう生きるか』を見かけ,
この本を読んだ感動と仮説実験授業をする時の感動は,
どこが似ていてどこが違うのか気になり,
送迎の車が来るまでの1時間のあいだ下記のようなことではないかと思った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『君たちはどう生きるか』の場合・・・介在物=交換ノート

コベル君のお父さん → コベル君のおじさん → コベル君
            愛 情            愛 情

人間を社会の分子と考える「社会の科学」の萌芽はあるが,
基本的には肉親の愛情で結ばれた関係。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「仮説実験授業」の場合
・・・介在物=授業書=科学

板倉さん → 学校の先生 → 子どもたち(未来の先生) → 次世代の子どもたち
     主体的選択    主体的選択        主体的選択

基本的には肉親の愛情では結ばれておらず,
どの授業書を選ぶかも,板倉さんの指示で行うのではなく,
個々の学校の先生の主体的選択で決まる。
また,子どもたちはその授業書に対して,
主体的に授業評価と感想を書く。
そして,その一部の人たちは「仮説実験授業をやる先生」になろうとする。
これもまた主体的選択というべきである。

そこで,スタート講演は,資料とかなり違う内容になったのであった。
このようなキッカケを与えていただいたこと,感謝です。(o^-^o)

2018年4月 9日 (月)

高崎サークルに提出された資料の感想

私以外の人の資料(実際に全員配付されたもの+話題にでたものや売り物も含む)について,
簡単に感想を書かせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

(7) 山本俊樹さん・峯岸さん編~「まとめる,それとも,まとめない?・・・と考えたときの選択肢」・・・答えを予想して意見を出し合い,最後に山本さんの考えを出すというのは,仮説実験授業とそっくりです。なかなか良い資料だと思いました。

(8) 峯岸さん~「道徳が教科化したって,へっちゃらです!」・・・この資料は『道徳大好き!』(仮説社)のP17~20のもとの資料ですが,さらに一覧表が付きより活用しやすくなっています。若い先生方に大いに役立つでしょう

(9) 峯岸さん~「いよいよ発刊!5月初旬に間に合うの?峯岸昌弘著『たのしい「マット運動」への道』」・・・仮説社の予告は,なかなかその通りにならないのですが,この本の場合は「その通りになってほしい」と思います。だって,高崎サークルから生まれたと誇れる本ですから。

(10) 峯岸さん~「5年1組授業通信・・・峯岸先生の自己紹介クイズ」・・・
先生を次のクラスの生徒たちに紹介してもらうなんて,フツーは相当自信がないとできないことです。しかし,仮説実験授業&たのしい授業をしていると,それができてしまうのですから,やはりすごいことだと思います。

(11) 峯岸さん~「自己紹介クイズ」・・・これだったら,相当自信のない先生でもマネできそうですね。

(12) 峯岸さん~「出会いに名刺のプレゼントはいかが?」・・・ホロスペックを間に挟んだ名刺。1光源だと,♡が見える!100円ライターでも見えるそうなので,ぜひ用意を。

(13) 北村さん~「理科室へようこそ」・・・中学校から小学校に異動したので,違いが大きいでしょうね。黒板に描かれた「チョークアート」がとてもきれいです。

(14) 品川さん~授業通信などの詰まったガリ本・・・毎年発行されています。このサイクルが保護者の信頼を生むのではないかな?

(15) 永島(明)さん~3月例会のDVD・・・毎月の記録をありがとうございます。4月のものが楽しみです。

早起きは〈大谷〉の得!

今テレビでエンゼルス大谷の快投を観ている。
5ー0で勝っているのだが,
その大谷の投球内容がすごい。

5回を0安打10三振0四死球のパーフェクトだ。
本当に「早起きは〈大谷〉の得!」と言うしかない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

テレビに戻る。のちほど。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

残念~!
ついに7回表一死ランナー無しから痛恨の左前ヒット。
気落ちしたのか,続く打者にストレートの四球で,一・二塁のピンチ。
しかし,気を取り直し,投ゴロで二死。三振でチェンジ。
7回を91球で1安打12三振1四球でマウンドを降りた。

これで2勝0敗。明日の新聞はまた,「大谷」の1面決定!
やはりやはり,「早起きは〈大谷〉の得!」ですね。

スポーツ報知「7回1死までパーフェクト」

多元の会 2018年4月

一昨日の高崎サークルに続き,
昨日は多元の会の例会に参加した。
文京区民センターに,30人ほどのメンバーが集まって
2つの報告を中心に行われた。

(1) 清水さん~「筑紫に生まれ発展した九州王朝の歴史遺跡をめぐる旅」

1日目・・・福岡市博物館.千如寺.雷神社中宮.平原遺跡と伊都国歴史博物館.
 三雲南小路遺跡・井原遺跡.日向峠
2日目・・・吉武高木遺跡.須玖岡本遺跡・奴国資料館.水城.大宰府天満宮.大野城跡.
 観世音寺・てんがい.大宰府政庁
3日目・・・高良大社.古墳公園資料館(弘化谷古墳の装飾を再現),岩戸山古墳.吉野ヶ里遺跡

Dscn1607

私も今から25年ほど前に,三省堂の主催で古田武彦さんの解説でほぼ同じ場所を見学した。
大いに意欲を湧かせていただいたことを思い出す。今回は清水さんを含む25名で行かれたとのこと。

(2) 服部さん~古代瓦の変遷と飛鳥寺院の研究

① 最もシンプルな「素弁軒丸瓦」が出土したら飛鳥時代(600年前後)と見る
➁ 「単弁軒丸瓦」が出土したら飛鳥時代末(7世紀半ば)の創建と見る
➂ 「複弁軒丸瓦」なら7世紀後半様式と見る

この3つの分類でいったらどうか.とのことであった。とても分かりやすかった。
図に表すとこうなる。

600年               650年                 700年

〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・〇

素弁軒丸瓦            単弁軒丸瓦              複弁軒丸瓦

6世紀末~7世紀初頭にかけて同じ文様(単弁軒丸瓦)の瓦を持つ寺院が,全国一斉に建造。
⇒国家権力の意図的政策と考えるのが妥当。
九州を本拠地にしていた倭国が,7世紀になると,全国を直轄支配するために東進した。
それが十七条憲法の内容(篤く三宝を敬え。国に二君非ず。地方官への訓示)なのではないか。
なかなか刺激的な内容であった。

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私にも「瓦」の見方がわかり,意欲を起こさせていただいた。
今後遺跡の様子を見る時,「瓦見るなら「「素」「単」「複」(そ・たん・ふく)~♪」と唱えながら,
たのしく「瓦」観察をしたいと思う。happy01

国分寺の塔が回廊の「内」か「外」かグラフ(再掲載)

2年前に,私はこんなグラフを描いていた。
今回の服部さんの「瓦」の話とリンクできたらいいなと思って,再掲載してみる。
あの時気が付かなかったことが,時を経て気が付くかもしれないし,
またあの時このグラフを見ていただけなかった方が,
今回初めて見て下さるということもあると思うから・・・。

P5070294_2

また,以前購入しておいた梶原義実著『国分寺瓦の研究』(名古屋大学出版会)も
スタンバイさせた。この本.なんと1万円もするのです。もとを取らなくては・・・。(^-^;

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2018年4月 8日 (日)

「瓦塔の建つ風景」展

東村山のふるさと歴史館に開かれた
3年程前の「瓦塔の建つ風景」展の様子が
東村山市のサイトに出ていたのでリンクします。

「瓦塔の建つ風景」展

https://www.city.higashimurayama.tokyo.jp/tanoshimi/rekishi/furusato/tenji/h23/kodai.html

頭慢さんのライブの記録 @たかしの店(石垣島) 2018.4.4

おなじみ頭慢さんの月1ライブのリンクです。
今回はいつもと違うやり方をしたようですよ。
ぜひ聴いてみて下さい。
先月石垣島のたかしの店に行ったので,
「ライブ感」がより高まった気がします。(o^-^o)

第一部「他人の言葉だけどオリジナル」
(All 曲:頭慢(とーまん))

1.真っ赤にカンナ咲いて(作詞:BARL)
2.海が呼んでいる(作詞:千夜野)
3.ねがい(作詞:くるみのおちび)
4.遠いメモリー(作詞・曲:SQUAL)
5.時(作詞:たかしさん)
6.きっといつか(作詞:JIIKE)

第二部「自然と人との関係性」
(All 詞・曲:頭慢(とーまん))

7.歌にならないルサンチマン
8.タマノタマシイ
9.Slow Life - slow down your own life -
10.すてきなお母さん
11.朝、海に来て海を見る
12.ぼくらのしゅぞく

頭慢さんのライブ(4月4日)

http://20f.jugem.cc/?eid=418

高崎サークル 2018年4月

昨日は,高崎サークルに参加した。
しかも退職記念ということで,スタート講演もやらしていただいた。
さてさて,どんな例会だったのだろうか。

場所・・・高崎市青年センター・第1研修室
参加者・・・峯岸さん,品川さん,新井さん,星野さん,加邉さん,宮川さん,森さん,
 唐澤さん,剱持さん,永島(直)さん,永島(明)さん,板橋さん,北村さん,肥沼さんの14名。
資料は,私のカウントでは,15点。
なお,「還元セール」ということで,仮説社の製品を1つ無料でいただいた。

【スタート講演】

演題 「肥さんの「今日までそして明日から」」
 
 ① 3つの「卒パ」について
 ➁ 『君たちはどう生きるか』(1) 人間分子!?社会の科学の萌芽?
 ➂ 今日までそして明日から 年図風グラフをもとに
 ④ 『君たちはどう生きるか』(2) 仮説実験授業の場合は,「主体性」でつながる関係
 ⑤ あれば質疑応答(なければ,おしまい)

【資料一覧】

(1) 肥さんの「今日までそして明日から」(1ペ)
(2) 「最後の授業」に寄せて(2ペ)
(3) ガリ本『肥さんのこの10年~50代の仕事』(120ペ)
(4) 生徒たちの3年間の感想文のファイル・・・閲覧のみ
(5) 「もう一つの「卒パ」~男バレ編」の写真・・・閲覧のみ
(6) 「卒パ」の写真・・・閲覧のみ
以上は,肥沼さんのスタート講演のもの。

(7) 山本俊樹さん・峯岸さん編~「まとめる,それとも,まとめない?・・・と考えたときの選択肢」
(8) 峯岸さん~「道徳が教科化したって,へっちゃらです!」
(9) 峯岸さん~「いよいよ発刊!5月初旬に間に合うの?峯岸昌弘著『たのしい「マット運動」への道』」
(10) 峯岸さん~「5年1組授業通信・・・峯岸先生の自己紹介クイズ」
(11) 峯岸さん~「自己紹介クイズ」
(12) 峯岸さん~「出会いに名刺のプレゼントはいかが?」(ホロスペックで,1光源だと,♡が見える!)

(13) 北村さん~「理科室へようこそ」(「チョークアート」がきれいです)

(14) 品川さん~授業通信などの詰まったガリ本(毎年発行されています)

(15) 永島(明)さん~3月例会のDVD(4月のものが楽しみ)

ところで,初めてお会いした板橋さんは,往きの送迎車中から講演調。
サークル中も,サークル後もその博学にお付き合いさせていただきました。
一度年図をもとにした講演会をやっていただきたいです。
あと,お得意の英語の授業プランもお願いしますね!
ご本人も「千面相」と言っておられましたが,ちょっと検索しただけでも,
塾の講師,写真家,翻訳家,ナニコレ珍百景出演と,いろいろな顔が見えました。
(o^-^o) (゚0゚) ( ^ω^  ) w(゚o゚)w ・・・

※ 個別の資料については,また明日書きます。とりいそぎ,報告します。

【サークルの様子】

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大谷が3試合連続本塁打!

エンゼルスの大谷が,なんと3試合連続本塁打を放ったそうだ。
投手としても勝利をあげ,評価は上がるばかりだが,
今年度の最後にどんな記録が残されるのか,

投手としての勝利数・・・〇勝
打者としての本塁打数・・・〇本

はやくも賭ける人たちが出てくるのではないかな?
そんな昨今である。
だって,まだ4月の第1週ですよ!(゚0゚)

エンゼルスは日本からエンゼルを獲得した!

https://news.nifty.com/article/sports/baseball/12133-119035/

2018年4月 7日 (土)

第3の「卒パ」

昔「第3の男」という映画があったが,
これは第3の「卒パ」である。

本日の高崎サークルで,スタート講演をさせていただくことになった。
演題は「肥さんの「今日までそして明日から」」ということにした。
吉田拓郎の歌のパクリではある。
しかし,資料(昨日夢ブログに掲載)を書いているうちに,
これは私にも当てはまるなあ,と思ったのでそうしたのだ。
「卒パ」でいうと,すでに2回行った。

3月24日(土)・・・顧問をしていた男バレの集まり。航空公園レストランに50名ほど。
3月25日(日)・・・「夢パ」に続いて自ら企画した集まり。新所沢公民館&魚民で10数名。

どちらも印象深いものであり,「夢ブログ」ですでに報告した。
本日の高崎サークルのスタート講演は,
自分としては第3の「卒パ」と位置付けている。
これまでのものとは違い,仮説実験授業の人たちとのものだからだ。
特に高崎サークルは,全国のサークルの中でも
先進的な取り組みをふんだんに取り入れ,
他の追随を許さぬ存在となっていると言っても過言ではない。
また,この春の峯岸さんの『たのしい「マット運動」への道』(仮説社)の出版は,
これまでにないすごい提案であること,声を大にして言いたいところである。
そして,その資料が検討された場所が高崎サークルなのである。
(追試が多いことからもわかるように,参加者が有機的につながっているステキさを感じる)
そこで私の退職記念講演として,今回のスタート講演ができることを喜びとしたい。
仮説実験授業はやはり自然科学が主流だが,社会の科学にだってこれくらいはできた。
それは社会の科学の授業や研究をする若い人たちに,1つの例は示せるだろう。

資料としては,次のものを用意した。

(1) 肥さんの「今日までそして明日から」(1ペ)
(2) 「最後の授業」に寄せて(2ペ)
(3) ガリ本『肥さんのこの10年~50代の仕事』(120ペ)
(4) 生徒たちの3年間の感想文のファイル・・・閲覧のみ
(5) 「もう一つの「卒パ」~男バレ編」の写真・・・閲覧のみ
(6) 「卒パ」の写真・・・閲覧のみ

瓦塔の出土地を訪問する

東村山市の多摩湖町には,早い時期から瓦塔の発掘が行われ,
全国の発掘の手本となった。
そこで,自転車で行ける条件の私は行ってみることにした。

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さんざん迷った末,ようやく西武園駅の近くの住宅街のなかに,
案内表示を発見しました。
かなり海抜の高いところなので,住宅がなければ見晴らしの良いところに,
周囲の地域を見守るシンボルとして建てられたのではないかと思った。
平地に建てられた寺院とは違い,山岳仏教まではいかないが,
「丘陵仏教」という感じである。(狭山丘陵だけに)
実は,狭山丘陵の反対側の所沢市三ケ島からも瓦塔が出土している。
「お伊勢山遺跡」という。なんと川瀬さんが平曲を習っている宝玉院のすぐ近くなのでした!
w(゚o゚)w
墨書土器も出ていて「寺」という文字が書いてある。

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この瓦塔のふもとには,水場遺跡と漆の活用で話題となった下宅部(しもやけべ)遺跡が。
いまは公園化されて,遺跡は地下に眠り,大量の出土物は近くの「八国山たんけんの里」に収蔵されている。

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帰りしなには,6月に「菖蒲(しょうぶ)まつり」が行われる北山公園の横を通った。
今年は久しぶりに行って,写真を撮ってくるつもり。(新任校の写真部ではよく撮影に行った)

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おなかが空いたので,2日連続でうどん屋の「ますや」へ。
昨日は「カレーうどん」にしてみた。これも美味しかった。

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「八国山たんけんの里」で買ったパンフレットを見ていたら,
徳蔵寺の元弘の碑と奈良時代の骨壺(三本足)を見たくなり訪問。

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帰宅後は,デイケアに母が行っている日なので,
夕飯用に「豚のすき焼き」を作ってあげた。
(たまに親孝行したところは,しっかりアップしておいた)

息子の手料理「豚のすき焼き」

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「古賀達也の洛中洛外日記」より

古賀さんが書かれている「洛中洛外日記」のうち,
「夢ブログ」関係のものを抄録します。
傍線は,肥沼です。

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古賀達也の洛中洛外日記
第1634話 2018/03/29
『発見された倭京 太宰府都城と官道』書評(2)

 『発見された倭京 太宰府都城と官道』は各執筆者の論稿により成り立っていますが、その論稿執筆過程では古田学派研究者のサポートや先駆的研究に支えられていることも特長の一つです。たとえば次のような記述が論稿中に見えます。

○古賀達也「太宰府都城と羅城」
 「筑紫野市で発見された太宰府防衛の土塁(羅城)の現地説明会が十二月三日に開催され、参加された犬塚幹夫さん(古田史学の会・会員、久留米市)から報告メールと写真が送られてきました。」(11頁)
○古賀達也「太宰府都城の年代観」
 「久留米市の犬塚幹夫さん(古田史学の会・会員)よりいただいた『第9回 西海道古代官衙研究会資料集』(西海道古代官衙研究会編、二〇一七年一月二二日)に前畑遺跡筑紫土塁の盛土から出土した炭片の炭素同位体比年代測定値が掲載されていました。」(75頁)
 「久富直子さん(古田史学の会・会員、京都市)からお借りしている『徹底追及! 大宰府と古代山城の誕生 -発表資料集-』を何度も熟読しています。同書は二〇一七年二月十八~十九日に開催された「九州国立博物館『大宰府学研究』事業、熊本県『古代山城に関する研究会』事業、合同シンポジウム」の資料集で、久富さんがわざわざ参加されて入手された貴重なものです。」(79頁)
○西村秀己「南海道の付け替え」
 「筆者は三年ほど前に古田史学の会・四国の例会で今井久氏(愛媛県西条市・本会会員)から本稿と同様の内容の話をお伺いしたことがある。その際今井氏のお話の出典がよくわからなかったのだが、今回別役政光氏(高知県高知市・本会会員)との対話中に『続日本紀』に見いだしたものである。従って『南海道の付け替え』の功績は今井氏に帰することを明記する。」(152頁)
○肥沼孝治「古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?」
 「これらの道が軍用道路といってもいいと多元的『国分寺』研究サークルで共同研究して下さっている山田春廣さんからアドバイスをいただいた。(中略)同サークルの川瀬健一さんより、仮説(3)の問題点も指摘していただき、このように直してみた。」(174頁)

 更に表紙の写真は「古田史学の会」会員の茂山憲史さん(水城)と犬塚幹夫さん(前畑遺跡・筑紫土塁)の撮影によるものです。四隅の絵は原幸子さん(古田史学の会・会員)が描かれました。改めて御礼申し上げます。(つづく)
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古賀達也の洛中洛外日記
第1636話 2018/03/30
『発見された倭京 太宰府都城と官道』書評(3)

 『発見された倭京 太宰府都城と官道』の主テーマは太宰府条坊都市とそれを守る水城や大野城などの防衛施設ですが、併せて古代官道も特集しました。本書に古代官道特集を加えた理由について説明します。
 九州王朝説による古代官道論については合田洋一さんや肥沼孝治さんによる先駆的研究がありましたが、特集のきっかけとなったのは補完的で際立った二つの論文の出現でした。ひとつは西村秀己さんの「五畿七道の謎」、もうひとつは山田春廣さんの「『東山道十五國』の比定-西村論文『五畿七道の謎』の例証」です。
 西村論文は発表前に西村さんからその概要はお聞きしていました。五畿七道に「北海道」が無いことを指摘され、壱岐・対馬へと続く海路こそ九州王朝の「北海道」であったとされ、その他の東海道や北陸道なども、本来は九州王朝の都(筑前)を起点としていたとする仮説です。西村さんらしい骨太な論証で注目していたのですが、その具体的な例証を提示されたのが山田論文です。
 山田さんは『日本書紀』景行紀に見える不思議な記事「東山道十五国」について、一元史観では東山道には十五国もなく説明つかないが、九州王朝説によれば筑前を起点として東北地方までの経過国数がぴったり十五国であることを見いだされ、西村仮説が成立することを見事に論証されました。
 この二つの論稿を契機に、九州王朝官道論と太宰府都城論を並べることにより、九州王朝の勢力範囲や権力構造を多面的に把握することができるはずと思いました。そのような判断から、第二特集として「九州王朝の古代官道」を加えました。両論文は古田説・九州王朝説を発展させた論証重視の秀逸の研究成果です。
(つづく)
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楽天が投打が噛み合い2勝目

ソフト001010000計2
楽 天20311000X計7

則本(1勝)・松井ー嶋
ペゲーロ1号2ラン

楽天が投打が噛み合い2勝目をあげた。
楽天はエース則本が先発したが,ソフトもエース千賀。
例の落差のある「お化けフォーク」をどう打つかと思っていたら,
1回裏にペゲーロの2ランが出て,波に乗ることができた。
1点返された3回裏には,今江のタイムリー安打と
銀次の2点タイムリー三塁打などで3点を加え,
則本の力投に答えた。
最後には,最近打たれて自信を失いつつあった松井に抑えさせ,
楽天の今後の飛躍のきっかけを作った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【ヒーロー・インタビュー】

則本選手 ヒーローインタビュー

記者:まずは則本選手。連敗が止まりました。正直な今の気持ちを聞かせて下さい。
則本選手:ホッとしています。

記者:今日は相手が千賀選手。かなりタフなゲームになると思われましたが、どんな気持ちでゲームに入りましたか。
則本選手:まずは初回をゼロで抑えて、辛抱強くやろうと思っていました。

記者:そんな中、ペゲーロ選手の2ランがいきなり出ました。行けると思いましたか。
則本選手:あれはすごく大きかったです。

記者:そして3回、史上147人目となる1000奪三振達成です。
則本選手:その回に1点取られているので、ゼロで抑えたかったなと思います。

記者:ピンチの場面だったのでそれどころではなかったかもしれませんが、内川選手から取りましたね。
則本選手:内川選手には毎年よくやられているので、これからの対戦でもしっかり抑えられるように今後もやっていきたいと思います。

記者:奪三振という面では、上に岸選手もいます。新たなる目標は何でしょうか。
則本選手:チームが勝つことだけです。

記者:先週は150球、そして今日は133球。大丈夫ですか。
則本選手:そこは自分が大丈夫だから行っているので、心配しないで下さい。

記者:今日の勝利で昨日までの(悪い)流れを則本選手が止めてくれました。ファンの皆さんに一言お願いします。
則本選手:本拠地に帰ってきて、なかなか勝てなくてすみませんでした。明日からはガンガン勝てるようにチーム一丸となって頑張ります。よろしくお願いします!

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今江選手 ヒーローインタビュー

記者:今日は3安打猛打賞、3点目のタイムリー、今江選手です。
今江選手:ありがとうございます。

記者:あの3回の場面、ランナーが2人出ているのに、簡単に2アウトになって、マズい流れの中でのタイムリーでした。どんな気持ちで打席に入りましたか。
今江選手:久しぶりのスタメンで、チーム状況としても連敗しており、何かチームの流れを変えられるようなプレーをしたいと思って試合に臨んだので、ここで打つしかないだろうと。まさか打てるとは思いませんでしたが、打ててよかったです。

記者:手応えはいかがでしたか。
今江選手:手応えはバットが折れてしまったこともあり分かりづらかったのですが、とにかく抜けてくれという気持ちで1塁まで走りました。

記者:チームとしては4試合ぶりのタイムリーだったんですね。
今江選手:ああ、そうだったんですね。やっぱりそういうのを重圧に感じてしまうと駄目なので忘れていました。

記者:今江選手は今シーズン、オープン戦から非常に調子が良く、ただ開幕は若手に譲りましたが、いよいよ3年目で復帰してきました。期するものがあると思いますが。
今江選手:本当に楽天イーグルスに移籍してきて3年目で。オープン戦は調子が良く、ヒーローインタビューをしたときに、「オープン戦ではなくシーズンで働け」とファンの方から叱咤激励いただいたので、今日はとりあえず頑張りました。

記者:今日は気温が7.7度という中で、最後まで応援して下さいました熱いファンの皆さんに、もっと熱いメッセージを則本選手からお願いします。
則本選手:さっきも言いましたが、明日以降も勝てるように選手は頑張ります。ファンの皆さん、熱い声援をもっともっと下さい。今日はありがとうございました!

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監督インタビュー

記者:開幕戦以来の2桁安打で千賀選手を攻略しました。
梨田監督:そうですね、ペゲーロの先制2ランで則本をちょっと楽にしたのかなと思いますね。

記者:スタメン復帰の銀次選手の一打も効果的でしたね。
梨田監督:そうですね、あのスリーベースも大きかったですしね、今日は大幅に打順も選手も入れ替えてという感じでやりましたけど、後から出る選手もヒットが出たりして非常に良かったと思います。

記者:開幕7戦目でようやく先発に勝ちがつきました。
梨田監督:そうですね、先発に勝ちも則本にもついたのと、あと本拠地で初めて勝てたということがこの雨の寒い中、たくさんのお客さんに入っていただいて勝つことがまず一番ですね。

記者:則本選手はプロ6年目で1000奪三振達成です。
梨田監督:そうですね、本当にタフで前回も150球、今日も130球近くで8回まで投げてくれましたので非常に助かります。

記者:連敗を5でストップしました。明日は美馬選手です。
梨田監督:前回2回ちょっとしか投げていないので今回は地元でしっかりと投げてもらいたいと思います。

2018年4月 6日 (金)

『法華義疏』について

ちょっとここのところ古代史関連の話題が増えて,
読者の皆さんが驚いているかもしれないので,
ちょっとブレーキを踏んでみます。

瓦塔という焼き物の塔が,私の研究している東山道武蔵路に沿って多く分布している。
それは九州王朝と関係のあるらしい関東王朝の主要通路だからではないか!
というのが現在の推理です。しばらく前は「出雲系の神社が多い」と書きました。
そして,その後出雲王朝は「国譲り」という形で九州王朝に主権を譲るので,
出雲系の神社は残しながら,九州王朝の痕跡も何か残したのではないかということです。
それが瓦塔ではないか?

というのも,400ほど発見されているうち東日本が多数で,
しかも埼玉・群馬を結ぶ東山道武蔵路沿いに多いというのですから,
「肥さん,研究してね!」と古代史が手招きしているようなものです。

あとは,山田さんがコメントしていたように年代がもっと古いのではないか?
という問題と,
川瀬さんがコメントしていた法華経では「塔が中心」ということ。

そういえば,聖徳太子は『法華義疏』っていう注釈書を書いていたのでは?
というの意見が,きっと学校でいい点数を取っていた方から出そうです。
しかし,古田武彦氏はこれを批判して,九州王朝の上宮法王のものである。
何らかの事情(おそらく九州王朝の滅亡と大和政権の承認)で
法隆寺にもたらされ,それが皇室に献上されたものと思われる。
その証拠に,鋭利な刃物で切ったあとや,表紙の紙が違う紙だったり,
筆跡の違う字で補われた痕跡が・・・。

ということで,再びウィキペディア『法華義疏』に登場してもらうことにします。

ウィキペディア『法華義疏』

https://ja.wikipedia.org/wiki/三経義疏

「覚えるだけなら歴史はつまらないもの。
研究すれば本当のことがわかるから歴史は素晴らしいもの」
まだ無名な肥さんの言葉でした。(^-^;

肥さんの「今日までそして明日から」

吉田拓郎の歌に「今日までそして明日から」というのがあります。こんな歌です。

♪私は今日まで生きてみました 時には誰かの力を借りて
時には誰かにしがみついて 私は今日まで生きてみました
そして今私はこう思っています 明日からもこうして生きていくだろうと♪

【今日まで(現職中)力を借りたもの・しがみついてきたもの】

(1) 仮説実験授業・・・『日本歴史入門』に出会って,36年間。私は仮説をやってきた。
『世界の国ぐに』や『世界の国旗』は数えきれないくらい授業をし,生徒たちから
素晴らしい授業評価やステキな感想を書いてもらえた。本当に教師冥利に尽きる。
板倉聖宣さんには,本当にいくらお礼を言っても言い切れないくらいです。今年2月逝去。
それに付随する,「〈邪馬台国〉はどこだ!」や「狭山丘陵の自然と歴史」の授業プラン作成や
「社会科かるた」「ビデオ」「手品」などのたのしい授業。

(2) 古田史学・・・一元史観ではまた戦争を起こしかねない。ぜひ多元史観を。
『吉野ヶ里の秘密』で再開した古田武彦さんの著作や講演,セミナーからも大いに学んだ。
板倉さんと並ぶ大恩人であり,「共同研究者」。(板倉さんと類似)3年前逝去。
今私がやっている「古代日本ハイウェー」や「駅鈴」の研究,仲間と始めた多元的「国分寺」研究
など,死ぬまで続けられる生きがいをいただいたと思っています。

(3) 社会科サークル・・・新任の4月以来お世話になっている歴教協の所沢支部。
私が報告する仮説や古田史学のレポートにも嫌な顔をせず耳を傾けて下さる。
本当にありがたい存在です。これからも,ともに白髪の生えるまで・・・,もう生えてますね。(笑)

【明日から(退職後)力を借りるもの・しがみついていくもの】

(1)仮説実験授業・・・これまでのように学校での授業はできないけれど,なんらかの形   
で貢献できたらうれしいです。現職ではなかなかできない数値の改定など。
リクエストがあれば「出前教師」でも。

(2)古田史学・・・これは上記の研究の他にも,母の介護をしながら課題を見つけていきたい。
また,最近所属したの郷土史の研究者の方々に古田史学を広めたい。
それにより,さらに研究が進むことは間違いないと思う。

(3)社会科サークル・・・若い先生方の実践を応援していく仕事があると思いますし,
地域の歴史の掘り起こしという郷土史の研究もやっていきたい。出来たら授業書化。

ということで,吉田拓郎の歌と同じ結論になってしまったようです。(笑)

吉野家の「300円定期」

いつも気にはなっていたが,買わずにいた,
吉野家の「300円定期」というのを試しに買ってみることにした。
4/1~5/7の約1ケ月の間,この「定期」を見せると,
1回につき80円割り引かれるという仕組みだ。
つまり1ケ月に4回=週に1回行くと
「定期」のもと(300円)は取れるのだ。

吉野家は,所沢駅前や神田神保町など,
私がすぐ思い浮かべられるだけでもいくつかある。
これまでは通勤途中にはなかなか寄りにくかったが,
朝定食などで利用することを考えたら,
退職した今はけっこう使い出があるかもしれない。

偽造されるとまずいので写真は載せないが,
テレホンカードのようなプラスチックの板である。

瓦塔(がとう)よ,ありがとう!

私は瓦塔についての知識がほとんどなかったのだが,
例の『・・・瓦塔の建つ風景』冊子には,第2特集的に扱われている。
(これで300円だから,本当に安いなあ~)

「8世紀初頭から作られるようになり,全国で400例以上が出土しており,
九州から東北まで広い範囲に分布する」が,
「特に埼玉県から群馬県の東山道武蔵路に周辺での密度が高い」とあった。
となると,私としても一挙に関心が出てきた。

検索したところ,埼玉県内の分布図が見つかった。
「求めよ,さらば与えられん」である。

埼玉県内の瓦塔・瓦堂出土地分布図

http://www.ranhaku.com/web04/c5/4_02map_saitama.html

「特に東村山市の宅部山(やけべやま)遺跡出土瓦塔は,
瓦塔研究初期に初めて全体像がわかる資料として発表されたため,
瓦塔の典型例として知られている」という。(現在は,東京国立博物館所蔵)

丸石で基壇を築き,山腹の見晴らしの良いところに作られたようで,
なかなか興味深い歴史遺物である。
一度出土地に立ってみたい。(自転車で30分かな?)

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7世紀第3四半期の須恵器の写真

東山道武蔵路の年代を判定する唯一の証拠ともいうべき,
7世紀第3四半期(651~675年)の須恵器の写真を
昨日『狭山丘陵からみた古代の東村山~瓦塔の建つ風景』
(東村山ふるさと歴史館編)で見つけた。

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私は,東山道武蔵路のことを,白村江の戦いに備えて九州王朝が作った
軍用道路と考えているので,
ぜひこの7世紀第3四半期という年代の須恵器を確認しておきたかった。
これで安心して,人に教えられる。

東村山の中央図書館で見つけて,郷土史の世話人会の前にふるさと歴史館で入取した。
カラー写真満載で,しかも30ページあまりで300円と安いので,
ぜひ関心のある方は買ってみてほしい。

古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-5cde.html

九州王朝は駅鈴も作ったか?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-1f56.html


郷土史研究会の世話人会

昨日の午後,上記の会が開かれ参加してきた。
初めてのことばかり,しかも日程をみるとけっこう土・日の活動が多く,
私自身の時間を削られそうで,心配が先に立つ。
担当は,「広報」ということで,同じ町内の方が主担当であった。
まあ「乗りかかった船」ということで,1年間は「副」としてやってみよう。

昼食はO会長に以前紹介していただいたうどん屋に行った。
店主のおばあちゃんは相変わらず元気で,うどんも美味しかった。

ますやの「肉汁うどん」

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祝 125万アクセス達成!

お陰様で,昨日の夕方125万アクセスを達成しました。
いつも言うことですが,質より量を目指してやっています。
すると,たまには量が質に転化することもある。
そんな「夢ブログ」ですが,今後ともよろしくお願いいたします。

124万アクセス達成は,3月19日でした。
17日で10000アクセスとは,我ながらすご~い。w(゚o゚)w

2018年4月 5日 (木)

肥さんぽ(1)

退職したら,朝の散歩をしてみたいと思っていた。
(頭慢さんの「石垣島めぐり」の陸版という感じで)
雨や槍が降らない限り,運動も兼ねて散歩してみたい。
肥さんが散歩するので「肥さんぽ」。
題名だけは,だいぶ前から決まっていた。(o^-^o)

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花の愛で方は人それぞれだ。
正解というものはない。

花の咲き方も花それぞれだ。
これにも正解はない。

ストロベリー・ミステリーツアー

西武観光主催の「グリーンツアー」も3回目。
昨日上記のツアーに行ってきた。

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前日まで部活の残りをやり,この日から実質的退職。
それを「お任せ旅」で過ごそうと考えた。

行ったところは,次の5つ。

(1) 白鷺神社・・・全長12m20cmの「草薙の剣」があった。「平和の剣」と命名。
裏に「出雲神社」境内外に「八坂神社」があった。
神社の境内は,歴史年表なのかも。(現在はヤマトタケルが主神)

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(2) 益子焼の共販センター・・・ここで昼食
益子焼はいろいろな種類があり,今まで使ったこともあった。
骨壺が3万円あまりで出ていて,ぎょっとした。

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(3) 外池(とのいけ)酒造・・・「燦爛(さんらん)」という日本酒の会社
何種類か試飲もさせていただく。

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(4) 「とちおとめ」のいちご農園・・・30分食べ放題
今回はコンデンスミルクなし。でも,十分甘く満足した。
ただし,ビニールハウス内は,昨日の陽気も手伝って40℃近く!

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(5) 真岡市のもめん資料館・・・事業主の豪邸も見学
実習生のような方たちが,たくさん張った縦糸に,飛び杼で横糸を走らせていた。
少しずつ少しずつもめんの布は出来上っていく。

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今回もIさんの添乗で,楽しい1日が過ごせました。
ありがとうございました。(今回は30数名の参加でした)

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暑いので,ストロベリー・ジェラートを買いました。

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「とちおとめ」1パックのお土産付きがうれしい。


もうすぐ125万アクセス!

もうすぐ125万アクセスに届く。
だから,どうというわけではないけれど,
退職しても「書くこと」「書きたいこと」があるのは,
私にとってうれしいことなので,お祝いしたいのです。

人が「誕生日おめでとう」と言ってくれなかったら,
自分で「誕生日おめでとう」と言えばいい。
そうやって「夢パ」も「卒パ」もやってきました。
そして,少なからぬ人に賛同いただけました。
これからもよろしくお願いいたします。(o^-^o)

2018年4月 4日 (水)

「あいせだ★ブログ」のリニューアル

愛の世代ズのサイト「あいせだ★ブログ」が,
4月に入り壁紙をリニューアルしたので,
訪問してみてはいかがだろう。

「あいせだ★ブログ」

https://ameblo.jp/ainosedaizu/

音楽を主にやっていることを告知し,
営業スタイルも明確化している。
「これまでとは違う」という姿勢を打ち出していると思った。

彼らの歌う楽曲を聴いていただけると,
さらにその魅力が伝わると思うので,
「おじいちゃんの唄」や「新宿の夜」の
サンプル曲を付けてみてはいかがだろうか。
あと,CDアルバム「あいせだワールド」の写真とか。

7世紀の寺院数の激増グラフ

推古三十二年(624年)に四六箇寺だった(日本書紀推古三十二年九月条)だったものが,
持統六年(692年)には五四五箇寺(扶桑略記持統六年九月条)になったという記事がある。
70年足らずの間に10倍以上の激増である。

  627年の寺の数                       692年の寺の数                                                         
●●●●●●●●●●  ⇒  ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●      ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●      ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●●●●●      ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
●●●●●●            ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
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                     ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
                     ●●●●● 
                     
では,この間に「国分寺建立の詔」のようなものは出されたのだろうか。
「国分寺建立の詔」と呼ばれるものは聖武天皇が出したと言われているが,
そもそも聖武天皇は大宝元(701)年の生れであり,8世紀の人である。

そして,その前の世紀は,大和政権は中国から「主権者」とは見られず,
九州王朝に次ぐナンバー2の立場だった。
もちろん白村江の戦い(662か3年)九州王朝が唐・新羅の連合軍に敗北し,
日本列島のかじ取りを任されつつあったにしても,
他の天皇が「国分寺建立の詔」のようなものを出したとは聞かない。
とすると,この激増(おそらく白村江の戦い以前)を引き起こした詔勅は,
九州王朝の天子が出しものと考えられる。
そして,日本書紀(720年)はそれを知らなかったのではなく,あえて書かなかった。
100年前のできごとであるから,私たちから見れば明治どころか大正時代だ。
まだ生きている人はたくさんいる。(今年はちょうど,「明治150年」ということ)

「あえて書かなかった」という理由としては,
大和政権は唐(北朝)と同じ立場を取ったので,
敵対した九州王朝(南朝系)の事績は「なかった」ことにされるし,
同じ意味で卑弥呼や倭の五王も登場しないのだ。

※ 上のグラフは,今年の2月7日に亡くなった板倉聖宣さんが,
生前「数字が出てきたらグラフにしてみよ」と言っておられたのを思い出し,
今回古田史学の内容ではあるが,試みに行ってみた次第である。

新旧顧問の打ち合わせ

昨日も1時間ほど,女バレと男バレの間の時間に参加して,
たまたま体育館をのぞいて下さった新顧問の先生と
男バレについての打ち合わせができた。
また,部の様子を知ることが出来る資料やノートをお貸しした。
これで肩の荷がだいぶ降り,「退職後」の生活に入れる。

帰りしなに「Losa」により,
初めてカジキのレモン焼きを食べた。
Iさんはこの日もいらして,会話することが出来た。
(カジキのレモン焼きはIさんの大好物なのだ)

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ママからは美味しいチーズケーキの提供があった。
「マジック・ワールド」(手品)は「Losa」へ,
永久貸与させていただいた。

IH調理器でもだめか(母の介護⑩)

プロパンガスからIH調理器に替えたので,
これからは鍋焦がしはないだろうと思っていたが,
母は「ほうれん草のお浸し」を作ろうと思っているようで,
ここ一週間の間に3回の鍋焦がしをやってくれた。
IH調理器でもだめか・・・。

実は,親戚が墓参りに来るという情報を告げ,
母の努力で玄関付近(仏壇の周りも)は小ぎれいになっていた。
昨日それを褒めようと玄関を開けたところ,
例の焦げ臭い匂いがして玄関で朝食を食べている母がいた。
まるでバリケードを張って校内侵入阻止を試みる学生運動の情景だった。

約束の「3回鍋焦がし」のため,IH調理器は私のところへ移動した。
そして,私は残ったほうれん草一束を電子レンジにかけて,
(サランラップに包み,5分ほど温めた)
何回分かのお浸しの塊をタッパーに詰め,
「電子レンジにかければ,5分でできるからね」と試食させた。

ただ,電子レンジのダイヤルが故障していることも同時に発見し,
またひと出費することになってしまった。

2018年4月 3日 (火)

国分寺・国分尼寺のルーツは,隋に倣った九州王朝の二寺制か?

「国分寺・国分尼寺」と私たちは2つを並列させて書くが,
これは隋の文帝の二寺(僧寺と尼寺のペア)建立の影響を受けたものらしい。
(唐の制度ではないということ)

となると,以下のように考えられないだろうか。

(1) 7世紀初頭の隋の時代・・・九州王朝(多利思北孤)が隋の文帝の二寺制から学び,
 各国府に二寺を建立した(国府寺?国府尼寺?)

(2) 8世紀半ばの唐の時代・・・大和王権(聖武天皇)が国府寺に「七重塔」を作らせ,
 「金泥の経」を納めようとした

これまで国分寺・国分尼寺の二寺のルーツがはっきりしなかったが,
九州王朝が遣隋使を送って隋から学ぼうとしたものの一つがこの二寺制であったと私は思う。
皆さんはどうお考えになりますか?

【参考文献】

吉田和彦「国分寺国分尼寺の思想」(須田勉・佐藤信編『国分寺の創建 思想・制度編』)

隋の文帝と独孤皇后

www.geocities.jp/wtbdh192/html/eiyu-dokkokougou.html

『たの授』4月号届く

退職後初めての『たの授』が届いた。

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「もう授業をしないのに,なぜ授業の雑誌を取るの?」
という疑問を持つ人もいると思うので,少し説明しておく。

1963年に板倉さんが提唱された仮説実験授業は,
学校に授業書という形でとても素晴らしい教材を届けたが,
実はその周辺の考え方・物事の進め方,仕事の仕方・生き方等
さまざまな幅を持つものだった。

もちろん『たの授』の読者は教員が一番多いが,
実は他の職業の方も少なくない。
私もこれからの後半生,『たの授』からアイデアをいただこうと思うし,
また『たの授』に「はみだしたの」という形で,
たのしい情報を提供していこうと思っている。

4月号には,来月出る峯岸さんの著作『たのしい「マット運動」への道』(仮説社)の
広告も出ている。(首を長~くして待っていました!)

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この本の内容については,「夢ブログ」でおじみの高崎サークルで
資料として出されたものがほとんどだ。
つまりみんなで検討し作り上げたものという部分もあるので,
なんだか他人のもののような気がしないのである。
とりあえず仮説社に注文して応援をしたいと思っている。
峯岸さん,出版おめでとうございます!ヽ(´▽`)/

「?」と「!」の使用法

山田さんのサイト「sanmaoの暦歴徒然草」からの転載です。
私のことをかなり褒めていただいていて,ちょっと恥ずかしいですが,
載せちゃいます。(^-^;
本文でも,山田さんのサイトでも,どちらでも読めるようにリンクしておきますね。

sanmaoの暦歴徒然草

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/04/post-093a.html

古田史学の会編『古代に真実を求めて 古田史学論集 第二十一集
発見された倭京――太宰府都城と官道』(明石書店、二〇一八年三月二十五日、
ISBN 978-4-7503-4649-6)の第二特集が「Ⅱ 九州王朝の古代官道」です。

肥さんの論文も上記図書に掲載されています。次の二編です。

日本古代ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?
九州王朝は駅鈴もつくったか?(【コラム⑧】)

どちらも「?」が付いているのが肥さん“らしい”のです。
つまり、このテーマにおいて先駆であることの証しなのです。
未解明のフィールドで新たなテーマを見つけて取り組もうとすれば、自ずと「?」がつき纏うのです。
断定することはできないがその可能性が高い。
探求している本人はすでに確信に近いのだが、
発表にあたっては断定できるだけの証拠はそろっていない。
研究の「種子(たね)」を発見して取り組んだ先駆者は「?」を使わざるを得ません。
肥さんは研究の「種子(たね)」を発見するのが得意な先駆者なのです。
だから「肥さん“らしい”」と言ったのです。

上記二編は肥さんの夢ブログ(中社)に掲載されている次の記事を加筆修正したものです。

古代日本ハイウェーは九州王朝が建設した軍用道路か?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-5cde.html

九州王朝は駅鈴も作ったか?(改訂版)
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/09/post-1f56.html

もう一つ私は肥さんの先駆を知っています。「!」がついています。発見した本人も驚いているのです。

「国分寺」はなかった!
http://koesan21.cocolog-nifty.com/kokubunji/2016/01/post-8b07.html
これは“肥沼論文「国分寺の謎」”ともいうべきものです。これによって多元的「国分寺」研究はスタートしました。

シントコ巡り(退職2日目)

久しぶりにシントコを巡ってきた。
退職するのも悪くない。
たぶん教職現場では,本日からの職員会議に備えて,
準備が行われているだろう。

(1) 自然の湯

行こう行こうと思いながら,東村山に戻ってからは足が遠のいていた。
部活が午後2時に終わったので,久しぶりに寄ってみた。
やはり大きな湯船にとっぷり漬かるというのは,「極楽」である。
また機会をみて寄りたい。その流れで,新所沢方面へ。

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(2) 居酒屋「幸」

ママにはだいぶご無沙汰してしまったが,
楽家ママが生前おっしゃっていたように,
やはり落ち着く店である。
店に入った瞬間から,すぐに会話ができ,
3年のご無沙汰も攻められることはなく,
再会の時間を楽しむことが出来た。
幸い『肥さんのこの10年~50代の仕事』を持っていたので,
1冊贈呈した。読んでいただけたら,うれしい。

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(3) イタリアレストラン「房yā」

階段を上がったら,まずYさんと,続いてマスターと目があった。
3年の年月は経ったものの,あいかわらず2人のコンビは続いているようだ。
変わったことと言えば,マルゲリータが円形になったことと,
ランチを始めた(集客のため?)ということ。
退職したので時間はある。ランチ時にでもまた寄ろう。

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昨日の部活動 4/2

昨日は,午前11時~午後2時のコマだった。
生徒たち自身で活動をした。

協会長杯・県大会まで,あと27日。
後で「もっとやっておけば良かった」と後悔しないように,
時間を惜しんで練習してほしい。

新3年生は,あと数か月で。新2年生は,1年と数か月で。
先輩たちが歩んできたように,男バレを去る。
それが「歴史」というものだ。
そして,一人一人の部員が「歴史」を作り,
その流れが「伝統」となっていく。

私も本日発行する「バレーボール通信」を最後に発行し,
この文章は載せることがない。

生徒たち,今までありがとう。今後も男バレで頑張ってほしい。
木下兄コーチ,本当に感謝しています。
生徒たちを強くするだけでなく,バレーボールを好きにさせていただきました。
保護者の皆様,後方支援ありがとうございました。
今後も男バレのことをよろしくお願いいたします。

コーチの指導の下,生徒たちが成長し,それを保護者が温かく見守る。
その様子を顧問として伝え続けることができて,本当に幸せでした。


2018年4月 2日 (月)

エンゼルス大谷が初登板初勝!

今季から大リーグ・エンゼルスに所属した大谷投手は,
昨日の試合で6回を3安打6奪三振1四球の3失点(2回裏の3ラン)に抑え,
初登板初勝利を飾った。

エンゼルス大谷が初登板初勝利

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180402-00000075-spnannex-base

昨日で退職したので時間が今までより出来る。
午前中の大リーグ観戦,その夜のプロ野球観戦と,
1日に2回野球の試合を観戦できるかも。
(もちろん日中は古代史の研究を進めますが・・・)

もう1つの「卒パ」の百合が咲く

もう1つの「卒パ」~男バレ編~では,
最後に豪華な花束をいただいた。

Dscn1394

その際中央部の後ろ側にいくつかの百合のつぼみがあった。
しかし,花束は「生花」なので,このつぼみが花開く時までもつのか,
私が管理し得るのか心配だった。それが先ほど咲いているのを確認した。

Dscn1488

このことから私が感じたのは,つぼみ→開花の時期はいつかわからないということである。
ある人は性急に「今日咲かなければ意味がない」と思ってあきらめて捨ててしまうかもしれなない。
また,つぼみはいつまでもつぼみで,咲くことはないのだと見限ってしまうことあるだろう。
しかし,本来そのつぼみに開花する力や能力があれば,やがては咲くのだ。
「生花」でさえそうなのだから,人間の成長や能力はなおさらである。

バレーボールで言うと,入学までに上手にできて,「期待の新人」として迎えられることもあるし,
なかなか上手くならなくて,下級生に追い抜かれていくこともあるし,
また上手になっていくにつれて「手を抜く」ようになって高校では伸びなかったり・・・。
逆に,身長が伸びて一挙にスパイク力が付いたり,ほかの人がやっている技を取り入れて成長したり,
これまでいろいろな生徒たちの成長ぶりを見てきたので,深く感じることがあった。

私はコーチに対して,1つのお願いを言ってきた。
「練習試合には,全員に1球でも,一瞬でもいいですからコートに立たせてあげて下さい。
その代わり公式大会では,最小限の人数でけっこうですので,6人でお願いします」と。
コーチは私の願いをかなえてくれたばかりでなく,公式大会でもたびたび「全員出場」を成し遂げてくれた。
なので,私も「老体に鞭打って」男バレという運動部の顧問をさせてもらうことが出来た。
ありがとうございました。

そして,この2人の体制を保護者の皆様に支えていただけたことで,
生徒たちは高校に進学してもほとんどの者がバレーボールを続けられている。
ありがたいと思っております。

3月24日(土)にいただいた花束は,
百合が開花を終えるまで,
もうしばらく目を,心を楽しませてくれそうだ。
(本日で9日目である。水はほぼ毎日取り換えている)

山田さんの「東山道十五国」の比定【改訂版】の地図

山田さんのサイトを拝見したところ,以下のような地図が掲載されていた。
これは「一目瞭然」の地図だと思った。

Photo

(1) どこが出発点なのか・・・北九州(太宰府)
(2) どこまで行っているのか・・・当時はまだ下野国まで
(3) 武蔵国が配置換えになったことが自然とわかる・・・東山道→東海道(やがて常陸国が終点となったので)

「東山道十五国」の比定【改訂版】―西村論文「五畿七道の謎」の例証―2017年3月15日 (水)
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/03/post-757d.html

実はこの地図は,山田さんが論文を書くもとになった
西村さんの論文にルーツがある。「都が北九州にあった頃の「道」の想定図」である。

Photo42

(山田さんのサイトのものを貸していただきました。
ありがとうございます)

太宰府(畿内)を中心に四方に広がる地図でこれも貴重だ。
そのうち,山田さんの地図は「東山道」のみ取り上げて下さったので,
さらにわかりやすくなったと思う。多元的「古代官道」研究の大きな成果だ。


気になる「部活動調査」

名古屋大学の准教授や大学院生たちが,
「部活動調査」を行った。
気になる方も少なくないのではと思い,
リンクさせていただきました。

新年度 部活したくない教員5割 「学びの時間を増やしたい」

https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20180401-00083410/

この結果が真っ二つに分かれていることに
どう応えていくかが大切なところだと思います。
「部活動したくない」⇔「学びの時間を増やしたい」
これは本音の出ているアンケートだと思いました。

退職1日目

本来なら,退職1日目からこんな素晴らしい1日を送れた!
と格調高くスタートしたいところだが,
「退職」をお祝いされ過ぎ?夜遅くの帰宅となった。

そのお陰で,郷土史の会のお花見には参加できず,
それを途中でお暇しての部活動には遅刻するわで,
最悪のスタートとなってしまった。
(ご迷惑をかけた皆さん,ごめんなさい!)

昨日,良かったことは1日あたりの実質アクセス数が200超だったこと。
午後は自転車で移動して,運動不足解消の行動ができたこと。
「福ちゃん」で控えめに呑めたことだった。
(前夜ワインも飲んだことを思い出した。やはりチャンポンはいけませんね)

これだけ低い位置からのスタートですが,
今後ともよろしくお願いいたします。
あと2つ恥ずかしいことを思い出したけど,内緒にしておきます。(*^.^*)
アシカラズ。

PS 退職の日,「Losa」でデザートにパンケーキをいただいた。
ありがとうございました!

Dscn1482


昨日の部活動 4/1

昨日は,午後1時~5時のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

女バレが遠慮して活動がなかったため,
男バレが2面ネットを張って「学年別」にも練習した。
4月に入ったため,「新入生」には遠慮してもらった。
その代わりというのではないが,
高校に入ってもバレーを続ける生徒が1人,
練習に参加してくれた。

このコンテンツもあと3日となりました。
今までご愛読ありがとうございました。
我が男バレだけでなく,
他校の顧問の先生やコーチにも
ご愛読いただきました。
前任校の2009年からなので,
昨年度まで9年間の報告でした。

ロッテとの3連戦を終えて

プロ野球が開幕し,楽天もロッテと3試合を行った。
敵地での3試合で1勝2敗。
ロッテの投打にかき回され,イマイチの試合が続いた。

しかし,明日からは本拠地で日ハムを迎えての3連戦。
岸投手を地元開幕のスタートに使って,
最低でも2勝1敗で勝率を5割以上に戻し,
ソフトバンクとの対戦をしたいところだ。

今年も「楽天が勝った試合」を中心に報告する。
そんな「楽天贔屓(ひいき)」のサイトですが,
よろしかったら目を通して下さい。

Dscn1486


2018年4月 1日 (日)

太陽と海の教室(第1話)

スタートから10分くらいのところに,
山田さんの紹介して下さった会話が出てきます。
そこだけでもどうぞ。

太陽と海の教室(第1話)

https://www.youtube.com/watch?v=bGYEBHgMrFo

今日からの自己紹介は

昨日までは「中学の先生をしています」と名乗れたが,
今日からは何と名乗ればいいのだろう。

「無職です」というのもちょっと格好がつかないし,
「古代史を研究しています」というのは格好良すぎるし,
「アパート経営者です」というのも,正確に言うと母のことだし,
「その見習いです」というのは,
正確だけど説明がさらに必要だし・・・。

とにかく36年間「中学の先生をしています」という慣れた名乗りが,
今日からは使えないのだということを思いつつ,その初日を過ごしたい。(^-^;

Dscn1485

昨日の夜撮った写真です。
本文とは関係ありません。
ちょっと載せてみたかっただけ。


プレバト本

「プレバト」で有名になった夏井いつきさんの本を,
昨日紀伊国屋で2冊入手した。

Dscn1483

『超辛口先生の赤ペン俳句教室』(朝日出版社)1300円+税
『2択で学ぶ赤ペン俳句教室』(ヨシモトブックス)1300円+税

この2冊で勉強して,私も俳句の達人に!
なれたらいいなあ。

なお,夏井いつきさんは私より1歳年上で,
中学国語の先生から俳人に転身された方です。

「プレバト」ホームページ

http://www.mbs.jp/p-battle/


昨日の部活動 3/31

昨日は,午前8時半~12時半のコマだった。
木下兄コーチにお世話になった。

新顧問が誰なのか私にもわからないが,
できるだけスタートの負担をかけないようにと思って,
私がこれまで活用してきたノートや資料をまとめた。
ついてに協会長杯の登録もしようとしたが,
「編集画面」にならずコーチにお手数をかけることとなった。
最後までお世話になりました。m●m

ということで,新顧問と打ち合わせする日まで,
あと3日だけ行かせてもらいます。(o^-^o)

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