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2018年3月 8日 (木)

山田さんの「EXCEL元嘉暦」への挑戦

中国で作られ太陰暦の暦の1つに元嘉暦がある。
前から山田さんが「EXCEL元嘉暦」を作ると言っていておられて,
それが今回登場したのでリンクさせていただく。

「元嘉暦」の基本データ~「EXCEL元嘉暦」をつくる(1)

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2018/03/excel-32a5.html

太陰暦・・・月の満ち欠けを元にして作る暦

という訳ですから,その日の夜がどんな夜か(満月だったら明るいし,
新月なら真っ暗)などということが分かって,白村江の戦いの歴史理解に役立つでしょう。
また,月の引力によって潮の満ち干もわかるということなら.
源平の合戦の理解に役立つことでしょう。
とにかく自然現象を科学的に理解できる手掛かりが得られるということは,
古代史の多元的研究に大変役立つということは,私にも理解できます。

(1) ということは,連載するということでしょう。
私のような素人でも利用できるものがあると,大変うれしいです。
(年月日を入力すると,その日の様子がたちどころに分かる等)

ウィキペディア「元嘉暦」

https://ja.wikipedia.org/wiki/元嘉暦

私としては,日本書紀から続日本紀に替わる以下の時期について興味があり,
一度「夢ブログ」に書いたことがあります。

「持統天皇6年(692年)から(持統天皇4年(690年)からとの説もある)、
中国から輸入した新しい暦である儀鳳暦を試用するため元嘉暦との並用を始め、
5年後の文武天皇元年(697年)からは元嘉暦を廃して儀鳳暦を正式に採用することとなった。」

「元嘉暦」と“儀鳳暦”の併用はあったか(山田さん)

http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2017/08/post-51d7.html

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ
話題を取り上げて頂きありがとうございます。

でも、「「EXCEL元嘉暦」を作る」というのは、キャッチコピーです。
「元嘉暦」と“儀鳳暦”の併用はあったか、というブログ記事でわかると思いますが、
この記事は「EXCEL元嘉暦」がなければ書けなかった論考なのです。

最初に暦の記事を書き始めた時点(つまりブログを起こした時点)で、
すでに「EXCEL元嘉暦」はできあがっていました(画像は最近アップできるようになりましたので)。
(改良などは随時行ってはいますが・・・)

私が「元嘉暦」にこだわる理由は次のことにあります。

すでに何度か書いていますが、『日本書紀』において、
最後の持統天皇の譲位記事が「元嘉暦」で記述されていることでわかるように、
『日本書紀』は暦日がわかる記事はすべて「元嘉暦」で記述されています。
正確な暦日が不明な事件は“儀鳳暦”で逆算されています(年月日のでっち上げ)。
つまり『日本書紀』にある“歴史的”事件はすべて「元嘉暦」で記録されているのです。

「正朔を奉ずる(頒布された暦をつかう)」というのは、その暦を頒布した権力者に忠誠を誓うことです。
暦を頒布できるのは天子のみの特権ですから、暦を頒布した権力者を「天子」と認めるということです。
つまり、「元嘉暦」を頒布した権力者が『日本書紀』に記録された時代の「天子」であったのです。

「大宝」という年号を「建元」した「日本国」は『続日本紀』を“儀鳳暦”(北朝・唐の「麟德甲子元暦」)で記録しています。
そして文武天皇の即位日(持統天皇の譲位日)の日干支が「甲子」(『日本書紀』の「乙丑」の前日)になっています。
すなわち、『続日本紀』はその冒頭で、『日本書紀』の記述をあからさまに「訂正」したのです(正史が前の正史を否定)。
「日本国」は初代天皇である文武天皇の即位日が、あろうことか宋・齊・倭と引き継がれてきた南朝の暦「元嘉暦」で、
しかも「最初の正史」である『日本書紀』が南朝の暦「元嘉暦」を用いて書かれていることに我慢できなかったのです。

暦は(そして年号も)、はっきりと誰が「天子」なのかを示すものです。
「元嘉暦」と「倭年号(九州年号)」は「倭国(九州王朝)」のものです。
つまり、歴史的記事が「元嘉暦」で記述されている時代は「倭国(九州王朝)の統治下」の時代だったのです。
「倭年号(九州年号)」だけが「倭国(九州王朝)」の証拠ではなく、「元嘉暦」も「倭国(九州王朝)」の証拠です。
私は「倭年号(九州年号)」と「元嘉暦」は「倭国(九州王朝)」の証拠として、その価値は等しいと思っています。
これが、私が「元嘉暦」にこだわっている理由です。

最後に得意な妄想を一つ。
「倭国(九州王朝)」はれっきとした南朝系王朝(年号「継体」は「南朝の体制を継ぐ」という意味)です。
暦に建元年号を冠する南朝の伝統に従えば、「倭国(九州王朝)」の用いた元嘉暦の名称は「継体暦」であった。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

日本書紀・・・元嘉暦(南朝のもの)で書かれている ≒ 九州年号の時代
続日本紀・・・儀鳳暦(北朝=唐のもの)で書かれている ≒ 大和年号の時代

そして両者は,別の暦を使用している故.
別の天子に支配されているということである。
とても「続」どころではありませんね。

暦の使用における山田さんの鉄則=
「A暦に従うものはAに,
B暦に従うものはBに支配されている」

けっこう古代史の謎を解くカギである「原則・鉄則・法則」が集まってきましたね!

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