熊毛神社や神光院にいくつもの九州年号が!
「熊毛王国」ではノーヒットだった「新古代学の扉」サイト。
ところが「熊毛」でサイト内検索すると,16件のヒットを見た。
「熊毛」で検索
www.furutasigaku.jp/msearch/msearch.cgi?query=%b7%a7%cc%d3&num=10&set=1
中でも「お手柄」は・・・熊毛郡熊毛町呼坂勝間にある熊毛神社や神光院には,
いくつもの九州年号が伝わっているとの情報だ。
(大和年号以前に九州王朝が出した年号で,517~700年まで続く。一説によると712年)
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知僧・・・565~569年 防長寺社由来一七一六(知僧六年改金光元年とある)
金光・・・570~575年 防長寺社由来一七一六(同上)
賢称・・・576~580年 防長寺社由来一七一六(賢称六年とある)
鏡常・・・581~584年 防長寺社由来一七一六(鏡常三年や鏡常五年とある)
勝照・・・585~588年 防長寺社由来一七一六(勝照元年とある)
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「如是院年代記」系の九州年号の史料のようで,
うれしいことに5つの連続年号である。
そもそも年号とは,続いていなければ意味がないので,
大化や朱鳥,白雉などは「飛び石」の
「九州年号からの盗用」なのだ。
(「改元」というカモフラージュまでして。
大和政権の建元は,「大宝元年」=701年である)
これらを見るにつけても,「雄々しき熊毛の人々」が,
九州王朝と友好関係にあった傍証ではないかと思われる。
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http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1063925088.html
http://www.sonoda-u.ac.jp/private/gakusei/g0131001u/sydtmskb.html
ちなみに熊毛神社の祭神は,神武の3番目の兄の御毛沼命です。
もう1人祀られているのが玉依姫という母。
母子で祀られるというのはあまりないかも。
そもそも父も育ての親の玉依姫(叔母さん)と結婚しており,
もしかしたら玉依姫という名の「襲名」なのかなあと思ったりする。
(「宝石のように美しい女性」を表す呼び名として)
古事記より
天津日高日子波限建鵜草葺不合命は、母の妹(つまり叔母)であり、育ての親でもある玉依姫と結婚し、五瀬命(いつせ)、稲飯命(いなひ)、御毛沼命(みけぬ)、若御毛沼命(わかみけぬ)の四子をもうけた。御毛沼命は常世へ渡り、稲飯命は母のいる海原へ行った。末子の若御毛沼命が、神倭伊波礼琵古命(かむやまといはれびこ、後の神武天皇)となる。
※ 海神の女を母とする御毛沼命(みけぬのみこと)が波の穂を踏んで常世国に渡る話(神武(じんむ)条)
要するに溺れ死んだということ?
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肥さんへ
「九州年号」を使用しているということは、「元嘉暦」を使用しているということであり、
「友好関係」ではなく九州王朝の天子をいただいている地域であるということです。
年号と暦は「観象授時」という思想上一体で運用されるのです。
「年号」を使うためには「年月日」を決める「暦」が必要で、
暦を頒布できるのは天子のみの特権であり、
「正朔を奉ずる(頒布された暦を使う)」ということは、
暦を頒布した権力者を天子と認めるということ、つまり、
暦を頒布した権力者に忠誠を誓うことなのですから、
これは「友好関係」などではありません。
投稿: 山田春廣 | 2018年2月22日 (木) 00:28
山田さんへ
コメントありがとうございます。
〉 これは「友好関係」などではありません。
ありがとうございます。
そう突っ込んで下さると思っていました。
いつか「九州年号」目録&分布図の紹介をしたいと思っていて,
今朝それを果たしました。
投稿: 肥さん | 2018年2月22日 (木) 03:06