九州年号「兄弟」が2例目の発見!
「古賀達也の洛中洛外日記」の最近の号で,
上記の発見が伝えられたので,以下に転載したい。
「兄弟」なんて年号があること自体驚きだが,
兄弟統治は九州王朝の伝統でもあるようで,
その意味でも貴重な発見と言えるだろう。
以下,転載いたします。
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古賀達也の洛中洛外日記
第1607話 2018/02/18
九州年号「兄弟」2例めを発見
九州年号「兄弟」(558年)は、一年しか続いていないことや、「兄弟」という言葉が年号と認識されず、書写の際に消される可能性もあり、その実用例はわたしが発見した熊本市の健軍神社の創建史料などに見えるくらいでした(「洛中洛外日記」979話「健軍神社『兄弟元年創建』史料」。1215話「健軍神社縁起の九州年号『兄弟』」)。ところが、犬塚幹夫さん(古田史学の会・会員、久留米市)から、健軍神社とは別の新たな「兄弟」年号発見のメールが届きました。
「熊本市史関係資料集第4集肥後古記集覧」に山鹿郡西牧村(現山鹿市西牧)の妙寛寺の釈迦堂草創を「三十代欽明天皇の御宇兄弟元戊寅年」とするものです。熊本市最古の健軍神社創建と共に、肥後(山鹿)に「兄弟」年号が残っていたことは示唆的です。九州王朝の「兄弟統治」に由来すると思われる「兄弟」年号は、筑前・筑後にいた倭王(兄・筑紫の翁)と肥後にいた弟(肥後の翁)の痕跡として、肥後地方に残っていたのではないでしょうか。
肥後地方は古代から製鉄や馬の飼育が盛んであったことを示す考古学的遺物も数多く出土しています。その鉄と馬による軍事力・生産力を背景として、九州王朝(倭国)では倭王の弟を肥後の「国主」として配置していたのではないかと、わたしは推測しています。
新たな「兄弟」年号を発見報告していただいた犬塚さんに感謝いたします。
【以下、犬塚さんからのメールを転載】
(以下,省略)
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【九州年号一覧】
継体・・・517~521年(5年間)
善記・・・522~525年(4年間)
正和・・・526~530年(5年間)
教到・・・531~535年(5年間)
僧聴・・・536~541年(5年間)
明要・・・541~551年(11年間)
貴楽・・・552~553年(2年間)
法清・・・554~557年(4年間)
兄弟・・・558年(1年間) ← これが今回発見の年号「兄弟」
蔵和・・・559~563年(5年間)
師安・・・564年(1年間)
和僧・・・565~569年(5年間) ←
金光・・・570~575年(6年間) ←
賢接・・・576~580年(5年間) ← 先日の「熊毛神社」「神光院」の5つの年号
鏡当・・・581~584年(4年間) ←
勝照・・・585~588年(4年間) ←
端政・・・589~593年(5年間)
告貴・・・594~600年(7年間)
願転・・・601~604年(4年間)
光元・・・605~610年(6年間)
定居・・・611~617年(7年間)
倭京・・・618~622年(5年間)
仁王・・・623~634年(12年間)
僧要・・・635~639年(5年間)
命長・・・640~646年(7年間)
常色・・・647~651年(5年間)
白雉・・・652~660年(9年間)◆
白鳳・・・661~683年(23年間) ←白村江の戦いの敗戦のため,異様に長い
朱雀・・・684~685年(2年間)
朱鳥・・・686~694年(9年間)◆
大化・・・695~703年(9年間)◆ ←「大化の改新」!ONラインの「大宝元年(701年)」
大長・・・704~712年(9年間) ←『古事記』出来上がる。しかし『続日本紀』に記事なし
←九州王朝系の資料を盗用した『日本書紀』出来上がる。
http://koesan21.cocolog-nifty.com/dream/2013/11/post-efbc.html
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