古代の都や大阪城の建てられた上町台地
なぜ先日大阪城を眺められるところに行ったかというと,
そこが古田史学の会の議論になっている上町台地(うえまちだいち)
という場所だからである。
大阪城のあたりは30m以上の海抜があり,
古代から都も置かれたりした。
洪水対策としても,敵の侵入を防ぐ意味においても,
高台というのは有効な場所だったろう。
昔は河内湖の出入り口のように,
「神武たち」の侵入を防ぐのに役立ったのかも。
その存在を見ておきたくて,今回訪問した。
7世紀に誰が都を作ったかとかは別問題として・・・。
https://ja.wikipedia.org/wiki/上町台地
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