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2017年11月20日 (月)

コラム 九州王朝は駅鈴も作ったか?(11/21版) 

『古代に真実を求めて』に掲載していただくために,
「九州王朝は駅鈴も作ったか?」を短く縮めてみました。
「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」の方は,
無事掲載の見込みです。

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古田史学では、複数の同じ言葉を統計的に処理しながら、「ここではこういう意味で使われている」などと論証を進めていく。自然科学なら仮説を立て、実験で決着をつけることができるが、人文科学ではなかなかそういう機会には恵まれないからだ。
また、大量の考古出土物が発掘されれば、その分布図が描けるので、それを使用したり,埋設したり,廃棄したりした場所の中心が特定できる。すなわち文化圏がわかるのである。
(2種類の銅鏡,銅剣・銅矛・銅戈と銅鐸など)
では、1~2個しかないものだったらどうか?たとえば駅鈴について考えてみよう。
これは現在本物が,隠岐にしかないとされている。(2個だそうだ)当然これでは「分布図」は作れない。※しかも「刻み」がないため、偽物説もある。では、駅鈴は「なかった」ということになるのだろうか。
また、そもそも駅鈴は誰(どこの王朝)がつくったものなのだろうか。そのことは、九州王朝説の強化に使用できないだろうか。ということで、私の考えを書いてみたいと思う。
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【その1】 改新の詔の「其の二」に駅鈴は出てくる
其の二の最初と最後に「鈴」ということで駅鈴が出てくる。(『日本書紀』孝徳紀)
ただし、川瀬健一さんからご教示いただいたところによると、これは常色三年(六四九)のことらしい。ということは、九州王朝の時代であり、白村江の戦いが迫る時期=古代日本ハイウェーの建設と重なる時期ということになる。まさに古代官道と駅鈴は、切っても切れない関係にあったということではないか。
しかも天武紀には、壬申の乱の描写が駅鈴をめぐって、生々しく迫力満点で描かれている。これで、「駅鈴はなかった」としたら、歴史の研究はまぼろしに終わる。

【その2】 駅鈴は厳重に管理されていた
NHK・BS2で2年前に放送された「古代日本のハイウェー~1300年前の“列島改造”」という番組を観ることができた。(二〇〇九年放送。二〇一二年再放送)その番組の中で、「最近解読された木簡に、兵士が2時間ごとに交代で駅鈴を見張っている」という事実が取り上げられていた。駅鈴は、確かに「あった」である。しかも厳重に管理されていた。

【その3】 だが、現存の駅鈴は隠岐のものだけ
正史(盗用ではあるにせよ)にも書かれ、しかも厳重に管理されていた駅鈴が、さらに天武紀ではあれほど印象的に表現されていた駅鈴が、今は隠岐の2個しかないという事実。私には信じがたい。奈良時代から一三〇〇年経ってはいるけれど、駅鈴の数は多数に上ったと思われるので、それが2個だけしか残っていないのは不自然に思われるのである。私はそこに前王朝の事物の回収・廃棄(金属なので溶かすというのも含め)があったのではないかと思う。これを持たれたままだと、九州王朝側の人たちに使われてしまう危険性があるからだ。

(事実「続日本紀」七〇七年、七〇八年、七一七年の3回にわたって、「山沢亡命」記事が出ている)そして,九州王朝の時代の駅鈴との違いを付けるため,「刻み」を入れたと考えた。(身分により利用できる馬の数が違うようだ)
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唯一2個の駅鈴が現存する億岐家。
「億岐家と駅鈴」サイト http://www.rundoki.com/okiietoekirei.htm
上記のサイトには、駅鈴が伝えられたいきさつを書いてある。ぜひ訪問してみていただきたい。また,億岐家の壺は、上記のサイトに写真が出ている。どなたか、年代の鑑定ができる方はいないでしょうか。かなり古そうな壺なのですが・・・。
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私の仮説は、次の3つである。
仮説1 ・・・ 九州王朝は、古代日本ハイウェーの建設と同時に、あるいはそれ以前から駅鈴を作っていた。(それには「刻み」はなく、文書とともに使われた)

仮説2 ・・・ だが、大和政権に主権が移譲されるとともに、それらのほとんどは回収・廃棄された。そして、大和政権によって新しい「刻み」のある駅鈴に作り替えられた。

仮説3 ・・・ しかし、九州王朝の「刻み」のない駅鈴を億岐家は壺の中に隠し保存された。それゆえ、九州王朝当時の駅鈴の2個だけが現存している。(大和政権の「刻み」のある駅鈴は,律令制の衰退とともに廃棄されていった)
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※ これまで「刻み」がないことで,「偽物扱い」になっていたらしい隠岐の駅鈴。
 逆に「刻み」がないことが、九州王朝時代の「真作」の証明になると思われる。
 なぜなら、もし大和政権の駅鈴を壺の中に隠してもっていたら、意味がないし、逆に公のものを隠していること自体が問題とされよう。 前王朝=九州王朝の時代の駅鈴だからこそ、壺の中に隠し持つ意味があり、当然「口外無用」ということになるのである。ここに多元的「駅鈴」研究の意義がある。

※ 駅鈴に「刻み」を入れて支給した記事が、「続日本紀」に出てくる。
「常陸国に十剋、遠江国に七剋の駅鈴を、伊豆・出雲の二国にも駅鈴をそれぞれ一つ宛を支給した」
これがあの日本書紀の完成のわずか二か月前の「三月二十三日」の記事である。
駅鈴も造り変え、歴史もねつ造し・・・・、と私は勘ぐってしまうが、いかがだろうか。 

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

 隠岐家の駅鈴が入っていた壺。
 肩が張った美しい胴の張りと言い、一か所地肌が見えているところから判断して、もともとは赤茶色の壺。
 どうみても古備前だと思うのですが。古くても室町時代。
 ということは壺に駅鈴が収められたのは奈良時代とかの古い昔ではないようです。
 しかし壺からは駅鈴が収められた時代は特定できませんね。壺に入れるとき、前から家にあった古い壺に入れたかもしれないし。 また途中で割れてしまい、別の壺に入れた場合もあったかもしれませんからね。

 ところで肥沼さんは九州王朝時代の駅鈴が隠岐を除いて残っていない理由を、回収・廃棄とされました。これは良いのですが、理由が「反抗している九州王朝側に使われる恐れ」を挙げていますが、それよりもなにより、駅鈴を発行するということは、全国交通網を支配しているということであり、それは全国を統治しているということを意味している。だから全国支配権を九州王朝から奪い取ったとき、近畿天皇家は全国支配を象徴するものである駅鈴を、新たに作り替え、古いものは回収した。
 こう単純に考えて良いと思います。

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉  ところで肥沼さんは九州王朝時代の駅鈴が隠岐を除いて残っていない理由を、
回収・廃棄とされました。これは良いのですが、
理由が「反抗している九州王朝側に使われる恐れ」を挙げていますが、
それよりもなにより、駅鈴を発行するということは、全国交通網を支配しているということであり、
それは全国を統治しているということを意味している。
だから全国支配権を九州王朝から奪い取ったとき、
近畿天皇家は全国支配を象徴するものである駅鈴を、新たに作り替え、古いものは回収した。
 こう単純に考えて良いと思います。

なるほど,その方が自然な理解です。
「野党」から「与党」に替わったわけだから,
「粛々と政策を進め」ていけばいけば良いわけですね。
ご教示ありがとうございます

川瀬さんへ
アドバイスをもとに修正・圧縮して,服部さんに再送しました。
A4判1枚半なので,今度はOKいただけると思いますが・・・。

肥様

素直に考えれば、肥様のお考えの通りだと思います。ここまではスッキリです。
ただ、今秋に肥様がこのテーマを発表になってから、私の中で「モヤモヤ」しているものがあり、ずーと考えているのですが晴れないのです。それは、以前書かせて頂いた

大和政権の「刻み」のある駅鈴が現存0個の意味
です。
その後、肥様から、平安時代の「駅鈴」奉納について教えて頂きました。ここに至っては、私の頭では整理がつきません。
1017年に四十八社に奉献された駅鈴も現存していないという事ですよね?
最高権力者の天皇家からの奉納品が四八社全てで現存していないという事の理由は、いくら考えても良いアイデアが浮かんで来ません。

更に、少し気になった事が以下のホームページです。
http://www.nangu-san.com/sub5/
後一条天皇即位の際 南宮大社に駅鈴が奉献されたとの事です。こちらの駅鈴はレプリカだと思うのですが、なんと
>南宮大社の駅鈴には刻み目はないが、底に付いている出っ張りの数に意味があったと伝えられている。
レプリカを作成する際、偶々刻みを忘れただけとも思いますが、少し気になる記事でした。

取り留めのない雑感でした。すみませんでした。

通りすがりの素人さんへ
コメントありがとうございます。

調査すればあるのではないかと思います。
時間ができたら,「四十八社に奉献された駅鈴」は調べてみたいです。
私は「7世紀当時のものは隠岐のものだけ」という考えです。

※ 南宮神社の駅鈴

大化改新の時代の律々制で駅伝の制が定められた。
唐の制度にならったもので、官吏の旅行を容易にするため、
主要道路に二十キロ前後の間隔で駅をつくり、馬や宿泊所を置いた。
ここで公儀の旅行者の証として使用したものが駅鈴と呼ばれる鈴。
駅鈴は特権の象徴で、官吏は、これを鳴らしながら往来した。
 南宮大社には、二つの駅鈴が保存されている。
この駅鈴は、寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、
諸国の大社四十八社に奉献されたものの一つとされている。
 駅鈴には刻み目があり、
その数によって調達できる馬の数が決められていた。
南宮大社の駅鈴には刻み目はないが、
底に付いている出っ張りの数に意味があったと伝えられている。

 ネットで南宮大社の駅鈴と億岐家に伝わる駅鈴を見比べてみる。
 形も大きさも色もそっくり。どちらも下部に二つの突起があることまで同じ。

 そしてどちらも刻み目がない。
 ということは、どちらも九州王朝時代の駅鈴なのではないかと考えられる。

 南宮大社の駅鈴は、「寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、 諸国の大社四十八社に奉献されたものの一つとされている」。
 億岐家は隠岐総社である玉若酢命神社の神主。
 もしかしたらここに伝わる二つの駅鈴も、「寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、 諸国の大社四十八社に奉献されたものの一つ」ではないのか。

 つまり近畿天皇家の世になって300年もたってから、九州王朝の時代が終わって回収された駅鈴が、この時点になって全国の大社48社に奉納されたということではないのか。
 したがって億岐家が中央権力交代時に隠し持っていたわけではない、という可能性もありますね。
 第一回収命令が出たものを隠し持っていること自体がありえない。
 そして旧駅鈴を、これが権力の象徴であることを考えれば、各々廃棄せよとの命令もありえませんから。
 こう考えてみると、億岐家に伝わる二個の駅鈴も「「寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、 諸国の大社四十八社に奉献されたものの一つ」ではないのかという仮説もほうがあり得ます。

 こう考えることも可能です。
 この「寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、 諸国の大社四十八社に奉献された」ということが史料で裏付けられる史実なのかどうか。
 ここが一つ検討してみるべき問題です。
 そしてその48社がどの神社なのかを調べ、そこに駅鈴が残っていないか調べる。

 こうした地道な検証作業が必要ですね。

追伸
南宮大社の駅鈴の下部がよくわかる画像がありました。
https://4travel.jp/travelogue/11192924
下部にある突起が、一つのものと二つのもの。この違いは何なのでしょうね。

追伸2
隠岐家の駅鈴の下部にも突起がある画像がありました。
http://www.page.sannet.ne.jp/nobumi-saito/kankou/gallery/dougo/dougoE.html
片方は二つですね。もう一つは?

川瀬さんへ
コメントありがとうございます。

〉 こう考えることも可能です。
 この「寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、
 諸国の大社四十八社に奉献された」ということが史料で裏付けられる史実なのかどうか。
 ここが一つ検討してみるべき問題です。
 そしてその48社がどの神社なのかを調べ、そこに駅鈴が残っていないか調べる。
 こうした地道な検証作業が必要ですね。

新たな課題をありがとうございます。
4月からの新生活がますます楽しみになってきました。

川瀬さんへ
南宮大社し隠岐・億岐家の駅鈴の突起の写真のサイトを
教えて下さり,ありがとうございます。
さっそく「夢ブログ」にリンク・アップさせていただきました。
皆さんに駅鈴について興味を持っていただけると思います。

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