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2017年11月11日 (土)

「神無月」の3文字には,“出雲王朝”が隠されていた

昨日の山田さんのコメントで,
私は大いに確信した。
何をか?
出雲王朝の実在をだ。

詳しくは山田さんの以下のサイトを読んで下さい。

「神無月」と「神在月」~出雲王朝の年度計画会議

http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/11/post-d5a1.html?cid=140985349#comments

1年は「子月」から始まり,十二支の順番で,
「子月」「丑月」「寅月」「卯月」辰月」「巳月」「午月」「未月」「申月」「酉月」「戌月」「亥月」
と古い時代には並べられていたらしい。

そして,神無月は,その最後の「亥月」だという。
(今年は,11月18日から12月17日と,「日本歴史研究ブログ」には書いてあった)
ということは,来年度の計画は,その最後の月までに立てる訳で,
内々の発表もその年度内に行われただろう。

卑近な例で言うと,学校の人事も年度内で決定し,
旧年度内(3月まで)に発表され,
4月1日からは新たな先生たちと仕事を一緒にする。
それと同じだと思っていいと思う。

それが昔からのやり方を踏襲したものであって,
そのリミットの最後の月に当たる亥月=神無月に,
神々(地方の豪族たち)は出雲に集められ,
新年度の自分の「校務分掌」を知るのである。
それが出世か左遷か,それはわからないが,
とにかく出雲が主であり,自分が従の立場であることに変わりはない。
=出雲王朝の実在が,「神無月」の3文字には隠されていたのであった。

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

肥さんへ
ブログ紹介ありがとうございます。

〉出雲王朝の実在が,「神無月」の3文字には隠されていた
まったくその通りですね。すばらしいコピーだと感心しました。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉〉出雲王朝の実在が,「神無月」の3文字には隠されていた
〉まったくその通りですね。すばらしいコピーだと感心しました。

せっかくほめていただいたので,
それを使って表題にすることにしましょう。

肥様

素晴らしい仮説だと思います。

確認ですが、以下の理解でよろしいでしょうか?

①本来は、中国では周王朝時代に、倭国では「出雲に集合」が始まった。
②それは、周王朝の最終月の「亥月」に行われていた。
③出雲王朝は周王朝に臣下の礼をとっていた事を意味する。(周の暦の配下に入っていた)
「論衡」の「倭人鬯草を貢す」にも対応していると思われる。
④その時に、出雲への古代官道が作られた。
⑤国譲りで王朝が出雲王朝から九州王朝へ移行した。
⑥九州王朝は、漢の暦の配下に入った。
九州王朝が、周王朝時代の暦をどうしていたのかは不明
⑦漢では、「亥月」は10月に当たる。
⑧九州王朝でも、「亥月」は10月に当たる事になった。
⑨「亥月」に行われていた「出雲に集合」の実話は、10月に「出雲に集合」が行われていたと言う神話に変わった。
⑩その結果、10月は「神無月」と「神在月」と呼ばれることになった。

と言う事でよろしいでしょうか?

肥様

すみません。先ほどの投稿で肝心な事を確認し忘れていました。

⑪『「神無月」と「神在月」神話』の成立時期ですが、漢の時代に神話が成立した可能性が高い。(実話は周の時代)

通りすがりの素人さんへ
コメントありがとうございます。

なるほど!
出雲王朝が始めたことでなく,
自分たちがさせられていたことを,
自分たちもさせるようにしたという訳ですか。
それは十分あり得ることのような気がしますね。

肥様

返信ありがとうございます。
>出雲王朝が始めたことでなく,自分たちがさせられていたことを,自分たちもさせるようにしたという訳ですか

すみません。その様な意味ではなかったのですが、文章能力の無さを恥じております。
ただ、肥様のお考えは興味深いです。

山田様のブログで James Mac様が
>諸国の神々の「出雲」集結という意味はひょっとして王権」から「頒布」される「正朔(暦)」の受領のためではなかったでしょうか
と指摘をされています。
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/2017/11/post-d5a1.html?cid=140985349#comments&_ga=2.181543143.1983555855.1510541743-1895842991.1505171560

暦の知識は0ですので頓珍漢な考えかもしれませんが、全国から出雲に来年の暦を受け取りに行っていたとすれば、その前段として、出雲王朝は周王朝に来年の暦を受け取りに行く必要があるのではないでしょうか?(出雲王朝が周王朝の暦を使っていればですが)
「させられていた」とは真逆の結論ですが、行動としては同じ結果です。如何でしょうか?
仮説に仮説を上乗せした様で、申し訳ないのですが、私には壮大なテーマの様に感じました。

通りすがりの素人さま

①~⑩、整理して頂きましたので、良く理解できました。
ありがとうございます。
このように書かなければいけなかったですね。
論点整理能力の違いを思い知りました。

これからもよろしくお願いいたします。

肥沼様
通りすがりの素人様

>全国から出雲に来年の暦を受け取りに行っていたとすれば、その前段として、出雲王朝は周王朝に来年の暦を受け取りに行く必要があるのではないでしょうか?(出雲王朝が周王朝の暦を使っていればですが)

基本的にはその通りと思います。ただ後の倭の五王や隋唐との間もそうでしたが、「毎年」行くと言うことはさすがに無理があると思いますが、「箕氏朝鮮」ならば可能かもしれません。「箕氏朝鮮」の立場としては「周」の都まで毎年赴いて「暦」を受領することはなかば義務のはずですし、東夷に「周」の徳を伝えるという意味においても「周」の「暦」を列島の諸国、特に代表権力ともいうべきもであったと思われる「出雲」の権力者に「再頒布」をしていたということもありそうです。もし毎年ではなかったとしても「箕氏朝鮮」からある程度の年数分を受領していたということもまたありえるでしょう。(その場合「箕氏朝鮮」も「周」から複数年分を受領していたと考えられます。)
 また、細かい話ですが、「周」など「宗主国」から直接「頒布」される「暦」を受領していたとすると、それは一年の「最後の月」に行われますから、これに出席していたのでは国内に頒布しようとすると新年に入ってしまっている可能性が高いと思います。(移動に時間がかかると思われるため)そう考えると、「周」から直接、しかも毎年受領していたとは(「神無月」の伝承が正しいとすると)思われないこととなるでしょう。

James Macさん,通りすがりの素人さん,山田さんへ

思いつきですが,こういう「妥協案」はいかがでしょうか。

周の暦・・・文字通り「神無月」が亥月(1年で一番最後の月だった)
 → しかし,頒布に遅れの不満があった。

漢の暦・・・往復に2か月かかるとして,10月(神無月)に頒布することとなった
 → ちょうど1年の最初の月から使えて,便利なものとなった。

これはもう「妄想」の世界と言われても仕方がないのですが,
今でもよく雑誌や週刊誌で,何年何月号というのがだいぶ早い時期に売られますよね。
(『たのしい授業』誌(仮説社)は,ちゃんと毎月3日発行を守っていますが)
そういうことは,ないのでしょうか。

肥さんへ

〉今でもよく雑誌や週刊誌で,何年何月号というのがだいぶ早い時期に売られますよね。

この考え方は、実際にそうであったかどうかは別として、問題解決の名案です。
暦の頒布には様々な障害があるわけですが、その障害があることを受け入れて、
暦の頒布を実現するとすれば、「わたしならそうします」と言える方法です。
現地(翌年の暦の頒布で間に合う地)には翌年の暦を、
遠地(翌年の暦では間に合わない地)には翌々年の暦を頒布する。
これは「妄想の世界」ではなく「理性の世界」ではないでしょうか。
(年度計画の多少の遅れは問題視しないことにします。
少しずらして計画することでがまんすれば良いので。)

事実がそうではなかったとしても、素晴らしい問題解決策ですね。

James Mac さま

〉「箕氏朝鮮」ならば可能かもしれません。

「箕氏朝鮮」説に賛成いたします。
「箕氏朝鮮」が周王朝に東夷との関係をもたらしたと思われます。

妄想を言えば、
中国王朝は最も遠い東夷との関係を誇る伝統をもっていますから、
周王朝に倭人(最も遠い東夷)の朝貢をもたらした功績によって
周王朝の歴史上「箕氏」が称えられているのかもしれません。

肥様・山田様・James Mac様

返信ありがとうございます。

上で「壮大だ」と興奮したのですが、James Mac様の書き込みを拝見して、考えが変わりました。

一年の「最後の月」に暦が発布されるとすると、周王朝で発布された暦が、箕氏朝鮮を経由したか否かは別として、出雲で各地の神々に配布され各々が帰国するまで、1ヶ月は不可能だと思います。
卑弥呼の時代でも、帯方郡治(ソウル付近?)から女王国まで「水行十日・陸行一月」掛かっています(目的に対するスピードが違うかもしれませんが)。

蛇足ながら、上記の件で否定したのは「私の妄想」です。
「神無月」の伝承は、「周王朝での暦の発布とその国内配布」の「国内配布」の部分だったのでは?
と言う妄想です。それ以上のものではありません。

ただし、もしかすると、出雲王朝が暦の発布者ではなければ、(周王朝の暦の国内配布者だったとしたら)、James Mac様の
>諸国の神々の「出雲」集結という意味はひょっとして王権」から「頒布」される「正朔(暦)」の受領のためではなかったでしょうか
とのご指摘(=集結の目的)を否定してしまうかもしれませんが・・・


肥様
>漢の暦・・・往復に2か月かかるとして,10月(神無月)に頒布することとなった
暦の発布者は中国側の王朝で、漢でも一年の「最後の月」=丑月に暦が発布されるとすると、漢の暦を10月=亥月に入手できていたとは思えないのですが・・

山田さんへ
コメントありがとうございます。

厳しい批判を警戒して「妄想」と書きましたが,
人類は長い支配・被支配の歴史の中で,
いろいろな「生活の知恵」を身に着け,
より多くの人たちの支配につなげているような気がしたもので・・・。
「表現の自由」の中に「妄想する自由」というもの入れましょう。(笑)
もっともどこまでが「妄想」なのか線引きが難しいですが・・・。

通りすがりの素人さんへ
コメントありがとうございます。

〉 肥様
>漢の暦・・・往復に2か月かかるとして,10月(神無月)に頒布することとなった
暦の発布者は中国側の王朝で、漢でも一年の「最後の月」=丑月に暦が発布されるとすると、
漢の暦を10月=亥月に入手できていたとは思えないのですが・・

ご質問の意味がよくわからなくて,答えられなくて済みません。

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