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2017年11月 9日 (木)

「神無月の神話」は,実話だった!?

仮説実験授業と古田史学の融合から,
授業プラン「〈邪馬台国〉はどこだ!」が誕生した。
1992年のことである。あれから25年の歳月が流れた。

ここ数日夢中になってやってきたことは,
古田史学と郷土研究の融合である。
果たして皆さんに評価していただけるものになっているだろうか?

出雲王朝は,その支配のために神社と官道を作った。
そのことが分布図からわかると思う。
そして,その天王は,こう命令を出しただろう。
「毎年10月には出雲に集まれ!」と。
それが世にいう「神無月」の由来だ。
(出雲では,逆に「神在月」となる)

世間では「面白い神話だね」と言っているが,
「実はこの神話は実話だった」というのが,
今回の分布図の意図するところだ。
そして,その№1だった出雲王朝もやがて終焉(しゅうえん)を迎える。

対馬の天照(アマテル)神社には,興味深い伝承がある。
「うちの神様は,出雲に一番最後に行って,一番先に帰ってくる」と。
つまり,出雲が№1で,九州が№2の時代があったということである。
そして,それは例の「国譲り」という政権移動に至って逆転する。
弥生時代後半から,九州王朝が№1となったのだ。

以下に,神無月についてのうんちくを取材したブログをリンクしておきます。
お時間が許す方は,お読み下さい。


日本文化研究ブログ

http://jpnculture.net/kannaduki/

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古田史学」カテゴリの記事

コメント

このブログ、考え方がおかしい。
>日本中の神様が集まって縁結びの会議をしていた。

このほうが俗説でしょう。
全国から地域の指導者を集めて何を行うか。
自分がトップだったら何をするかを考えればわかることです。

肥さんへ

妄想を一つ。
10月は「亥月」です。翌月が「子月(冬至のある月、現在の11月)」です。
昔は最初の月を「子月」次を「丑月」、次「寅月」・・・最後「亥月」と呼んだそうです。
現在の太陰太陽暦は「寅月」を「正始」(正月)とする「夏正」ですが。
つまり、「亥月(年の終わりの月)に集まって会議をしていた」のです。
だから、何をしていたか考えればわかるはずです。

山田さんへ
コメントありがとうございます。

〉 このブログ、考え方がおかしい。
〉 >日本中の神様が集まって縁結びの会議をしていた。

私のリンクした「日本文化研究ブログ」のことなのですね。
最初「夢ブログ」がおかしいと言われたのかと思って,
すごくあせりました。(^-^;

〉 つまり、「亥月(年の終わりの月)に集まって会議をしていた」のです。

これは妄想などではなく,「多元的古代の傍証」になるのではないですか!
だって,フツーは「収獲が終わった時期くらい」にしか思わないわけですから,
これはぜひ論文にして下さいよ!目からウロコの人が少なくないと思います。
もちろん私は,出雲王朝実在説を支える証拠として考えています。

肥さんへ

尊敬している肥さんの「夢ブログ」が「おかしい」なんて
絶対に言うわけないですよ。でも誤解されるのは確かですね。
言葉足らずでごめんなさい。

昔は「十二支」で月を呼んでいたというのは、
「暦」の基本的知識なので論文にするほどのことではないのですが、
ご存知ない方には説明する必要がありますね。

今は月を、「一月、二月、三月、・・・、十一月、十二月」と呼んでいますが、
最初は「十二支」で「子月、丑月、寅月、・・・、戌月、亥月」と呼んでいました。
というよりは、「十二支」はもともと月の呼び名だったといわれています。
そして「十干(甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸)」は、
月を「上旬、中旬、下旬」に分けたとき、旬の十日を識別する呼び名だった。
その「十干」と「十二支」を組み合わせて「六十干支」がつくられて、
六十年間の年を識別したり(年干支)、暦日を識別したり(日干支)するために
用いられるようになったようです。

古くは「冬至」が最も意識されたようで、一年の始まりを冬至のある月から
数え始めていたようです。これが「子月」で今の11月にあたります。

年の最初(「正始(正月)」)をどの月にするかということは時代によって変化していて、
その王朝がその制度であったかどうかには無関係なようですが、
「子月」を「正始」とするのを「周正」、「丑月」を「殷正」、「寅月」を「夏正」と呼んでいます。

三国志の「魏」が「丑月正始」の「殷正」を採用したことは「短里制」とともに有名ですね。

「神無月(10月)」は前に書きましたが「亥月」ですから「周正(子月が正始)」であれば、
年の終わりの月にあたります。この年末の月に各地のリーダーを集めたわけです。

古代官道に限って話をすれば、何年かにわたって造ったわけですから、
年ごとにノルマ(何処にどれだけ造るか)を言い渡しているはずです。
そして「神在月」の会議で、達成したかを確認し、翌年のノルマを言い渡す。
このようなことのために各地の権力者を集めたのだと思います。

これは実証する(どの史料にこう書いてあると示す)ことはできません。
論証するしかないわけです。神社の調査も論証するためですよね。

私が「考えればわかる」と言ったのは、自分の頭で「自分だったらどうするか」と
考える方であれば、何故各地の権力者を集める必要があるかは、
誰でも考えればわかることだと思ったからです。
「おかしい」と言ったブログの方はこれを行っていないですよね。
だから出雲に各地の神を集めたことを「俗説」と断言して、
「集まって縁組の会議をしていた」と言って納得しているわけです。

現代の会社・組織でも、このような会議を行っていると思います。

肥さんへ

ブログにもう少し詳しく(引用交えて)書いておきました。
http://sanmao.cocolog-nifty.com/reki/
年代などが参考になるかも知れません。
お時間があればご覧ください。

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