« 正福寺の「地蔵まつり」 | トップページ | ソフトバンクが延長サヨナラ勝ちで日本シリーズ制覇 »

2017年11月 4日 (土)

東山道武蔵路と天王森

私は5年ほど前に,
「古代日本ハイウェーは,九州王朝が作った軍用道路か?」
という長い題名の論考を掲載していただいた。
(「古田史学会報」2012年2月号)

最近では,いろいろなところで話題に出せるようになり,
うれしい限りである。
また,それの姉妹作である「九州王朝は,駅鈴も作ったか?」
というのも「夢ブログ」内に書いた。

それと並行して,東村山市の久米川町から本町に広がる
「天王森」という地名について気になっていた。
「旧東村山の大字・小字」地図によると,
東山道武蔵路(地図の中央を南北に通る直線道路。現在の府中街道)と
それに沿って広がる天王森という字地名がある。

Pb040063

(地図をクリックすると,拡大します)

今回東村山郷土研究会の会長さんと知り合うことができて,
牛頭(ごず)天王のことを教えてもらうことができた。
これがどうもスサノヲの関係らしく,ということは出雲王朝の関係ということで,
話が膨らんできているところだ。

ところで,古代日本ハイウェーが九州王朝の作った道だとしたら,
出雲王朝のものらしい天王森とどのように結びつけたらいいのか。
それを昨日考えてみた。

それはすでに,「白山神社と牛頭天王像」で書いた通りだが,
出雲王朝時代にあった細い南北の道(天王森が隣接)を,
九州王朝が白村江の戦いに備えて幅12mにも拡大したものだということだ。
今までは「何もない荒野に道路を作ったのかも」と考えていたが,
出雲王朝がその基礎を作っていたとしたら,だいぶ手間も省けるという訳だ。
(それでも相当大変な土木工事であることに変わりはないが・・・)

出雲王朝のもとには,10月に全国の神々(人間だと思うけど)が集められたようだ。
それを今でも神無月(出雲では逆に,神在月)と呼んでいる。
その時神々は飛行機に乗っていくわけにはいかない。(時は弥生時代ですから)
海に面していない地方の神々は道を利用して出雲まで行ったであろう。
なので,当然出雲王朝が支配したであろう弥生時代前半にも道はあった。
(もしかしたら南北方位だけに,「公用道路」だったかも)

私にとって道は「研究の宝庫」である。
まさに「“道”との遭遇」なのであった。(笑)


« 正福寺の「地蔵まつり」 | トップページ | ソフトバンクが延長サヨナラ勝ちで日本シリーズ制覇 »

古田史学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 正福寺の「地蔵まつり」 | トップページ | ソフトバンクが延長サヨナラ勝ちで日本シリーズ制覇 »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
無料ブログはココログ