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2017年10月 5日 (木)

“「無位」から貴族へ大出世”の謎(3)

「無位」記事に関連して,729年の長屋王の記事を挙げてみる。

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二月十二日 長屋王を自殺させた。その妻で二品の吉備内親王,息子で従四位下の膳夫王・
「無位」の桑田王・葛木王・鉤取王らも長屋王と同じく自ら首をくくって死んだ。
そこで,邸内に残る人々を皆捕えて,左右の衛士府や兵衛府などに監禁した。

二月十三日 使いを遣わして長屋王と吉備内親王の遺骸を生馬山(生駒山)に葬った。
そこで天皇(聖武天皇)は次のように勅した。

吉備内親王には罪はないから,例に准じて送葬せよ。
ただ,笛や太鼓による葬楽はやめよ。その家令や帳内らはともに放免する。
長屋王は犯した罪によって誅せられたのであるから,罪人であるとはいえ皇族なので,
その葬り方を醜いものにしてはならない。
長屋王は天武天皇の孫で,高市親王の子であり,
吉備内親王は日並知皇子(天武天皇の皇太子草壁皇子)の娘である。

二月十五日 左大臣め正二位の長屋王は,残忍邪悪な人であったが,ついに道を誤って悪事があらわれ,
よこしまの果てに,にわかに法網にかかった。そこで,悪事の仲間を除去し,絶滅させよう。
国司は人が集まって何事かをたくらむのを見逃してはならぬ。

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『続日本紀』は正史なので,無味乾燥な史実を並べている面も持つが,
時々数日の出来事をかなり詳しく描いても見せてくれる。
天皇の地位を脅かすほどの勢いを持つ長屋王の「失脚」は,
聖武天皇(701年生まれなので29歳か)にとって,
「不安の火種」を消す事件ではなかったか。

その血筋や吉備内親王を妻にした経緯から,
長屋王は九州王朝系の人物だったとも思われる。

PS 水野孝夫さん(古田史学の会)のお考えによると,
「東大寺二月堂のお水取り「2月12日」は
長屋王が殺された日(殺した側の「懺悔の日」の行事ではないか。
長屋王は九州王朝系の人物ではなかったか」ということである。

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